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2010/04/30

刑事訴訟法改悪ではないのか

 ジャーナリズムの最低限の役割の一つは、民衆に対して「ちょっと待てよ?」「ちょっと待って?」(やさしい言い方で)と注意を促すことであると思う。言い換えれば、拙速な動きに対して、本当にそれでいいんですか? と問いかけることだろう。

 更新頻度の高くのないこのブログで「新・週刊フジテレビ批評」(フジテレビ系。関西テレビでは「月刊カンテレ批評」)などの検証番組にちょっと触れたりしたのも、自ら放映する番組を検証する行為が、とてもジャーナリスティックに思えるからである。自己検証しているように見えて、そんなにテレビ番組が改善されているとも思えないが、すくなくとも、視聴者からの批判を受けることによって改善されてゆくものもある。

 ましてや、政権を握っている政党、権力を振り回す人間(とくに政権党の閣僚や代表者)を検証し、批判する人々がいなければ、それはジャーナリズムの死を意味するだろう。あるいは、命を粗末にする行為や戦争を志向するような勢力を批判しなければ、ジャーナリズムの役割はないとさえいえる。

 たとえば、殺人事件における公訴時効廃止という「改正刑事訴訟法」が4月27日に成立し、即日施行された。殺人事件の遺族の求めに応じたものであるという。殺人事件だから「時効」撤廃は当然だという意見は、誰もが納得できるかのように見える。しかし、逆に問えば、なぜ、いままで「時効」というものがあったのかを検証する報道に接することは少ない。犯人でもないのに罪を被される「冤罪(えんざい)」を批判するジャーナリズムが、「時効」廃止に口をつぐむのは、怠慢であるとしかいいようながない。

 千葉景子法務大臣は、鳩山内閣メールマガジン(2010年4月29日付)で次のように書いている。

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 [逃げ得を許さない]
法務大臣
千葉 景子(ちば けいこ)

 こんにちは。法務大臣の千葉景子です。

 4月27日、凶悪・重大犯罪の公訴時効制度の見直しなどを行う「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」が成立し、公訴時効制度の見直しの規定をその日のうちに施行しました。

 公訴時効制度とは、法律の定める一定期間が経過した場合には、検察官が刑事事件の犯人を起訴することができなくなる制度のことです。

 殺人等の凶悪・重大犯罪の公訴時効制度については、最近、被害者の御遺族の方々を中心として見直しを求める声が高まっていました。また、国民の多くの方々からも、これらの犯罪については、時間の経過によって一律に犯人が処罰されなくなってしまうのは納得できない、より長期間にわたって処罰できるようにすべきであるという声が寄せられていました。

 この法律は、こうした被害者の御遺族の方々を始めとする国民の皆様の声にこたえるために、私ども法務省において、多くの国民の方々からも意見をお聞きするなどして、法律案を立案し、国会に提出したものです。

 今回の公訴時効制度の見直しにより、殺人罪など人を死亡させた罪のうち死刑が科されることがあるものについては公訴時効が廃止され、傷害致死罪や自動車運転過失致死罪など人を死亡させた罪のうち懲役・禁錮が科されることがあるものについては公訴時効期間が現行のほぼ2倍となります。

 この法律により、国の姿勢としても、凶悪・重大犯罪について「逃げ得を許さない」という毅然とした態度を示すことができたことは、大変意味のあることだと思います。また、この法律が、凶悪・重大犯罪を少しでも減らすことにつながることを心から祈っています。

 今後とも、国民のための法務行政にまい進するつもりです。

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 一見、正しい主張であるかのように見えるが、疑問点が多い。

 第1の疑問として、「逃げ得を許さない」という千葉大臣の主張が、まず何を意味しているのか、不明である。千葉大臣の論法だと、殺人事件には「時効」という「逃げ得」があるから、殺人事件がなかなか解決しないのだという論理になる。本当だろうか。「時効」があっても、なすすべもなく未解決の殺人事件を残す警察の捜査能力、冤罪を生む検察の犯罪的な無能・非道を俎上にのせた意見とは思われない。「死刑」という重い刑罰があるにもかかわらず、なぜ殺人事件が起きるのだろうか。この問いにこそ、千葉大臣は答えるべきなのである。殺人事件が起きる根本事情を見据えた発言とは思えない。また、「時効」をなくせば、殺人事件が本当に減るとでも考えているのだろうか? 「時効」があるからこそ警察も捜査を急ぐのである。

 千葉大臣がおそらく念頭においているであろう「逃げ得」について、最近のことでいえば、顔を整形してまで逃げ回った殺人事件の容疑者がいたが、彼は逮捕された。彼にとって、逃げて何か得になっただろうか。少しは「人生の苦痛」を学んだかもしれないが、殺人事件の容疑者であることによって彼と周囲との人間関係は断たれてしまったのである。みじめなことばかりだったにちがいない。もとより、時間はかかったが、「時効」以前に逮捕されたのだから、「逃げ得」とはいえない。
 テレビ等では、千葉大臣のいう「逃げ得」の例として、世田谷の殺人事件、八王子の事件を挙げていたが、それらの事件が未解決なのは、千葉大臣のいう「逃げ得」によるものだろうか。世田谷、八王子の事件は、いずれも外国人による犯行説が巷間、噂されている。「時効」がなくなって、それらの事件は一気に解決するのだろうか。事件の周囲にいた人間にも寿命があるし、記憶も日々あいまいになってゆく。まさに「冤罪」を生む可能性が増大してゆくのである。今回の「法改正」は、こうした疑問にまったく答えてくれないのである。

 千葉大臣のいう「逃げ得」は、沖縄で親子に負傷させて逃げた米軍幹部、農婦を射殺してアメリカへ逃げたジラード事件など米軍の犯罪にこそ当てはまる。また、ロッキード事件やリクルート事件などの疑獄事件に絡んで、なんの罪にも問われなかった金権腐敗の政治家にこそあてはまる言葉であろう。

 確かに、自動車・自転車によるひき逃げは、許されない由々しき犯罪だ。しかし、犯人を自首させるような方策、自動車・自転車事故をなくす方策を考える方が、事件の解決につながるに違いない。自動車を製造する大企業は、自動車事故を減らすためにもっと努力する必要がある。ハイテク技術が進んでも、自動車事故をなくす技術の向上は大変遅れている。必要以上に地上を高速で走る自動車が人間に制御できるものなのか、F1レーサーがその限界に挑戦しているのだから、彼らに任せればよいことだ。消防車や救急車、パトカーを例外として、普通の人々は、公道で自動車を高速で走らせる必要はないだろう。 
 
 第2の疑問として、千葉大臣は、「多くの国民の方々からも意見をお聞きするなどして、法律案を立案」したというが、本当だろうか。
 例えば、法律に関わる多くの国民の方々の代表ともいえる日本弁護士連合会会長が、なぜ「法改正」に対して「遺憾」を表明する談話を出したのだろうか。本当に千葉大臣は、多くの国民の意見を聞いたのだろうか。日弁連会長の談話は、当然のことながら、日弁連会長個人の見解表明ではない。日弁連を代表する意見の表明であり、重い意味をもつ。

 日弁連会長は2010年4月27日、次のような談話を出した。
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本日、公訴時効制度の廃止並びに大幅延長を含む「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」が衆議院本会議にて可決し、成立した。

当連合会は、同法案に対し、わが国の公訴時効制度を事実上否定するものとして危惧の念を表明してきたが、今国会における拙速とも言える極めて短期間の審議によって立法がなされたことは誠に遺憾である。

今回成立した法律は、法定刑に死刑がある罪については公訴時効を廃止し、永遠に被疑者を捜査し起訴することができるという強大な権限を検察当局に認めるものである。

しかも、この法律は、現に時効が進行中の事件についても公訴時効の廃止及び延長することを認めるものである。これは、2004年の法改正により公訴時効期間の延長がなされた際にも認められなかったものであり、「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない」とする憲法39条の趣旨に違反する強い疑いがある。

この法律により、何十年も経過した後に殺人罪などで起訴される被告人が、防御権を尽くすことができないために有罪となり、新たなえん罪の被害者を生み出すことがあってはならない。

そのためには、早急に、以下に述べる課題を検討し、捜査の在り方を根本的に改めるための法整備を進める必要がある。

第1に、えん罪防止の観点から、長期間経過後に訴追された被疑者・被告人がその防御権を十分に尽くすことができるよう、捜査資料や証拠物が適正に保管されることが不可欠である。捜査機関以外の第三者機関による保管体制の確立も含めて、公正かつ中立的な保管の在り方を検討する必要がある。特に、事後の検証を可能とするために、捜査機関が作成・収集した全ての証拠物等の保管、その目録の作成及びこれらの弁護人への全面的開示など、証拠物等を被疑者・被告人の反証に積極的に利用できるようにする措置を講ずるべきである。

第2に、これまで取調べ段階での虚偽の自白によりえん罪事件が発生してきたことにかんがみ、政府において検討されている取調べの可視化(取調べの全過程の録画)を早期に実現するとともに、弁護人の立会いや取調べ時間の規制等、取調べの公正性を実効的に確保する措置についても早急に検討する必要がある。

当連合会は、以上のような捜査の在り方を根本的に見直すことなくして、公訴時効の廃止・大幅延長のみ行われることに危惧し、捜査の在り方を改めるための上記法整備を行うことを強く求める。

2010年(平成22年)4月27日

日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児
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 日弁連会長談話のポイントは、いくつかあるが、第1に、「公訴時効廃止」によって検察当局に強大な権限を与えるものになったことについて注意を喚起している。
 アドルノ的筆者なりに言い換えると、検察が殺人事件について、仮に冤罪を生むような誤った捜査をしたとしても、容疑者が死ぬまで、あるいは、過去にさかのぼってまで、その容疑者を犯人として追いかける権限を検察は得たということになる。いったん何かの間違いで殺人犯人と決めつけられたら、全国各地の交番、駅頭、繁華街などで顔写真が張り出されつづけるのである。重大な人権侵害をつくりだす可能性がある。「逃亡者」という冤罪をテーマにしたアメリカのテレビドラマ(映画にもなったが)を見た者は、あの恐怖が自分の身にふりかかるような現実のものになる可能性があることに震え上がることになる。「犯人」と決めつけられて、裁かれるような状態で、誰が「自首」するだろうか。

 話は、脇道にそれる。検察の捜査が正しければよいが、その捜査が正しいとは限らない。民主党のみなさんは、あれだけ小沢一郎幹事長の事例に関しては検察批判を繰り返していたのに、殺人事件については検察の権限をさらに強化してしまったのである。いまや小沢幹事長ですら検察の捜査によって身の潔白は証明されたかのように嘯く始末。小沢氏は27日の会見で、検察にすがるしか身の潔白を証明できないような致命的なミスをしたのである。検察は、小沢幹事長に対して「嫌疑不十分」としただけで、身の潔白を証明したわけではない。小沢氏の側近たちは、巨額の政治資金を国民の目から隠す事務処理をしていたのであり、検察審査会が「起訴相当」と議決するだけの理由はある。

 話をもとに戻すと、日弁連会長談話は第2に、「『何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない』とする憲法39条の趣旨に違反する強い疑いがある」と、過去に遡る時効廃止について憲法違反の強い疑いがあることをを指摘している。はっきりいえば、憲法違反そのものということである。「時効」が存在したときの刑法・刑事訴訟法で「時効」が成立していれば当然「時効」のはずであるが、今回の「法改正」は、それすら認めない。

 第3に、日弁連会長談話は、今回の「法改正」が、新たな冤罪を生み出す可能性を指摘している。「何十年も経過した後に殺人罪などで起訴される被告人が、防御権を尽くすことができない」。「疑わしきは罰せず」の刑事訴訟法(人権をもとにして成り立つもの)から被告人の「防御権」が奪われたら、ファシズム国家の成立ではないか。誤解を恐れずにいえば、「時効」があったからこそ「冤罪」になりかねない容疑者の「人権」も保障されてきたのである。

 国会で審議する時間は、まだまだいくらでもあったはずなのに、軽々しく、「法改正」してよかったのだろうか。取調室の可視化を先送りにして、検察の権限ばかり強化して、殺人事件の捜査に何か前進したことがあるのだろうか。被害者遺族の感情もわかるが、被害者遺族も他者の冤罪を歓迎する人はいないだろう。冤罪を生み出す警察や検察の捜査のあり方も非常に恐ろしいものがある。議論する時間はあるはず。

 ただし、アドルノ的筆者は、日本の戦争犯罪については時効撤廃論者である。ドイツではナチスの戦争犯罪について時効がない。かつて朝鮮王宮に乗り込んで王女を暗殺した日本軍の行為をはじめとする戦争犯罪は、許されるものではない。中国や朝鮮の人々を強制連行し、強制労働させた日本の大企業らの犯罪に時効はないはずである。時効廃止というなら、日本の戦争犯罪にこそ適用すべきだ。アメリカによる朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争に協力するような行為にも時効はないのではないか。人間は誰でも必ず死ぬ。ほうっておいても死ぬ。それなのに殺人やらお互いに殺し合う戦争をする。実に愚かなことだ。ちょっと待てよ、と言いたいことだらけである。

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2010/04/12

たちあがれ日本

 三島由紀夫ばりの亡霊が現れたというべきか。新党「たちあがれ日本」の旗揚げで、石原慎太郎が、「30代、40代、50代のなかに、この国を憂えている者がどれだけいるんだい」という危機感を、いつものように偉そうにしゃべっていたが、東京・市ヶ谷で三島が、割腹自殺の直前に大声で叫んでいた言葉と似ている。盾の会、青嵐会という右翼的人脈の系譜が断末魔をあげつつある。
 石原が30代、40代、50代を敵に回す発言をしたことを、よーく覚えておこう。そして、参院選のときに思い出そう。
 
 靖国派は、日本の「国柄」ばかりを心配して、若い世代のことなど一つも心配しないし、若い世代のことなど考えてもいないのに、若い世代へのいらだちを表明する。侵略戦争へと突き進んだ愚かな時代を繰り返すことを厭わないかのように平沼赳夫や石原慎太郎など、憲法9条改悪を主張する人々は、軍事産業の手先、アメリカ軍事産業の手先といってよいだろう。
 平沼という男の豊富な、潤沢な資金力を象徴するように、ホテルニューオータニという貧乏人を寄せつけない会場で、結党が行なわれたことも覚えておこう。アメリカ人が日本人を軽蔑したように見る豪華ホテルなんぞで「自主憲法制定」なんて語るな。日本のコメ(米)を大切にしない元自民党の亡霊たちが、偉そうに日本の政治を語るな。

 消費税増税という主張を一番喜ぶのが、財界・大企業である。なぜなら、消費税は企業の中を通過するばかりで、国民の税負担ばかりが増えるだけであるから。消費税増税と引き換えに、法人税減税が頻繁におこなわれてきた。消費税を負担してもいないのに、その分、税金を安くしてもらう大企業もある。軍事費をひねり出す最良の財源が消費税である。とにかく、与謝野馨の主張は、財界、アメリカを喜ばせる自民党、民主党などの主張と変わらない。弟に対して「君」と言い、徴兵された弟に対して「君死にたまふことなかれ」といった与謝野晶子に申し訳ないとか、思わないのか。いまからでも遅くないから、「たちあがれ日本」共同代表を辞任すべきだ。

 「九条の会」呼びかけ人の劇作家・作家の井上ひさしさんの死去は衝撃である。小林多喜二の特別高等警察(特高)による拷問死をとりあげた劇「組曲虐殺」が遺作となった。井上さんは、戦後民主主義の最良のものを文学作品で示し、地域に根ざす民主主義を考え、発展させてきた。靖国派の主張とは対極にある平和な日本を第一とする世界観、人生観を原稿用紙の桝目を一字一字埋めるように書いてきた。日本のコメ(米)を大切に考えてきた。こまつ座の芝居で表現された「笑い」に隠されたメッセージの数々は、まさに体当たりで、現代世界と格闘した軌跡を示している。ご冥福をお祈りします。

 たちあがれ 日本共産党

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