« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

2010/01/24

これが、それだ

 周回遅れのランナーのように、映画「This is it」を見た。アンコール上映でも、人気は上々で、同じように映画を見逃したらしいマイケル・ジャクソンのファン、映画を何度も見に来ているらしいマイケル・ジャクソンのファン、映画を見ることを通じて別れを告げにきたかのようなマイケル・ジャクソンのファンがいた。さようなら、マイケル・ジャクソン。

 「これが、それだ」「これが、その時」。「誰かがやってくれるなんて思うな」と彼の語る言葉は、そのまま文学、現代に対する強烈なメッセージとなっている。音楽と詩・詞、ダンスを通じて、命の跳躍が顕現される。恐るべし、マイケル・ジャクソン。

 長いタイトルロールを見つめた後、上映終了後に拍手が起こり、映画館を出るために歩きながら涙が止まらない女性もいた。同世代の人のようだった。見終えてもなお、マイケルが口ずさむビートが頭の中、体全体にこだまする。

 マイケル・ジャクソンの音楽に対する姿勢、すさまじいばかりの才能、あくなき努力、執念、ファンを喜ばせよう、楽しませようとするサービスの徹底ぶり、未知の領域に踏み込もうとする芸術家魂、仲間への友情と愛情、地球環境の行く末に対して文字通り最期まで心を痛めていたことに示される世界情勢への敏感さ、アスリートたるスポーツ選手を思わせるような、きわめてしなやかで軽やかな体の動きに、ただただ、口を開けて呆然、ポカンとするばかり。

 力石徹か、はたまたルパン3世か。アニメの登場人物を思わせる長く細い足。大きな手。リハーサルを繰り返すなかでマイケルが乗りに乗っていく様子が映像に見ることができた。ただ、公演直前にスタッフ、仲間らと抱擁を繰り返すマイケルの姿には、なにか痛々しい、体力的に衰弱し、消耗した影のようなものがあった。マイケルの「その後」を知る先入観、亡き人を見る側の思いこみの問題だろうけれど、久々のステージに向けて気力と体力を使い果たしたかのような姿、優しく繊細そうな命の炎が消え入るような寂しさを感じた。

 世界中からマイケルと同じステージに立とうと集まってくる人たちの姿は、そのまま映画「コーラス・ライン」。セッションを繰り返す様は映画「エルヴィス・オンステージ」。舞台音楽芸術と映像芸術の最先端をミックスした創造世界は、多くの人を魅了した。マイケルの音楽に響く通奏低音は、アメリカの教会での音楽、ポップス、ロックなのだろう。アメリカ文明とマイケル。映画から隠された世界も見逃すわけにはゆかない。マイケルに群がったハゲタカの存在、彼の命を過剰なまでに消費させた者らの罪も重い。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010/01/19

オザワイチロー 行政と司法の対決

 「政治とカネ」をめぐる民主党の政治感覚、つきつめれば、民主党が有権者をどう見ているか? 権力というものを民主党がどう考えているか? という問題は、民主党政権の本質を示すものとして「実に興味深い」。

 つまり、オザワイチロー氏の「政治とカネ」をめぐる疑惑は、民主党政権の金銭・税金感覚を端的に示すばかりか、民主党政権を「革命政権」と呼んできた人々を「落胆」させ、民主党側の「完全敗北」になる可能性があるからである。はっきりいえば、民主党政権は、世論に鈍感な政権であると日々、広言しているに等しい。反オザワというレベルではなく、きれいさっぱりオザワ氏に退任を求めるというのが、ハトヤマユキオ首相の役割だったはず。再び「官邸崩壊」が起きているといわれるのも、むべなるかな。

 オザワ疑惑は、単なる政治資金報告書の「訂正」で済む問題ではなくなっている。大手ゼネコン、中堅ゼネコンを通じた東北の胆沢ダムをめぐる汚職、はっきりいえば、ダム建設に投入された国民の税金の還流疑惑に発展している。追及する側の野党・自民党も偉そうに言えない。自民党も公共事業をめぐる数々の汚職をしてきたからである。自民党と民主党という二つの政党が、お互いの類似性を示し、旧政権と新政権との違いが、ますますなくなってきていることに、国民は激怒しているのである。なぜ、民主党は新政権たる特徴を示すことができないのか。

 その根源に、「平家物語」に出てくる平清盛ばりの権勢をふるうオザワ氏の存在がある。オザワ氏のこの間の会見は、検察の捜査を見守るどころか、検察批判であり、検察との全面対決宣言しか述べていない。しかもオザワ氏は、何度も、自らの陳腐な「民主主義」観を繰り返している。その究極の表現は、「民主主義といえば選挙」という昨年の記者会見での発言である。選挙で信任を得れば、みずからの政治団体の「政治とカネ」の問題は雲散霧消するかのような物言いは、おかしい。変である。
 
 オザワ氏は、民主党内で権力をふるう源泉を「選挙」に求め、「選挙」を掌握、差配することによって、配下の議員を抑えつける。そればかりか、有権者を「選挙」のときだけ都合よく利用する対象としか見ていない。そのことは世論調査へのオザワ氏の鈍感さ、検察への逆上ぶりに表れている。もちろん、有権者は、政権交代させるために「オザワ氏」を利用したのかもしれないが、それならば、有権者はすでに「オザワ氏」に対して退場勧告を出しているのである。民主党政権は、参院選まで、選挙上手のオザワ氏と一蓮托生のままでいたいということなのだろう。

 18日の福井市での会見でオザワ氏は「メディアがこれだけ報道すれば、参院選挙に影響する」と、支持率低下の理由をメディアに押しつけた。メディアを敵に回し、司法も敵に回す男が、復活しようとすれば、メディアを支配し、司法を支配するしかなくなるだろう。外国では、そういう残念で異常な例(アメリカとかイタリアとか)があるが、早晩、そういう政権は崩壊する。

 事態の異常を示す一番わかりやすい例は、行政の長であるハトヤマユキオ氏が、司法との対決を宣言したオザワ氏を応援し、行動を共にしていることである。行政と司法との「対決」という構図にまで発展している。疑惑があれば、検察が動くのは当然である。いかなる権力に対しても検察は、動揺してはならない。自民党政権に対して必ずしも検察が十全の働きをしたとはいえない。むしろ、新政権なればこそ、検察は本領を発揮すべきだろう。
 
 民主党は、党内に、検察との全面対決を準備する捜査情報漏洩調査チーム(責任者・小川敏夫氏)を設置した。こんなことは自民党でもやらなかったことである。行政権力による司法権力への介入が始まった。オザワ独裁体制が着々と整いつつある。こんなものを「革命政権」と呼びつづけるとしたら、それこそ「異常」である。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010/01/09

ヒッグス粒子とダークマタ―

 ヒッグス粒子(物理学者のヒッグスが理論的に提唱している素粒子)とダークマター(暗黒物質)。今年は、素粒子物理学、高エネルギー物理学にとって画期的な発見の年になるかどうかが、注目されている。CERN(欧州原子核研究機構)に集う実験グループの手にかかっている。物に質量があるのはなぜかという疑問の解明が一歩進むかのかどうか。
 
 大阪大学の先生が、昨年末にダークマターを証明(?)したとか。ヒッグス粒子とも関係しているらしい。

 大地に降り注ぐ宇宙線は、軽々と地球を通過してゆく。なのに質量がある。物質の不思議と宇宙の不思議はつながっている。

 ノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎博士(科学忍者隊ガッチャマンの南部博士のモデル?)が戦前、日本帝国主義の下で徴兵されていたことは、案外、知られていない。日本帝国主義の敗戦直後に、大学へ戻り、研究室に3年間も泊まりこんだ体験とか、食料調達(野菜やコメを買い集める)など、偉大な物理学者の生活面での苦労は計り知れない。南部博士はアメリカに移住した。頭脳流出の例である。しかし、「頭脳流出」という言葉も将来は、無意味になるだろう。話は違うが、アドルノ先生(1903~1969)が体験した「亡命」の意味がなくなる世界がくるかどうかは、未知数である。宇宙への「亡命」もあるので。

 日本の若手研究者ブループも、民主党政権によって選ばれたクリーチャー、「仕分け人」による「事業仕分け」によって危機にさらされている。科学予算を切りまくったアホな蓮舫なんて、参院選で再選させるな! 日本の最先端の科学研究を支えているのは、若手研究者。自民党政権時代でも少なかった科学予算を、さらに切り縮めるなんて、実に愚かなことだ。日本からの脱出がさらに進むだろう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010/01/04

社説と未来

 2010年の元日付新聞社説の見出し。

 朝日新聞「激動の世界の中で より大きな日米の物語」

 読売新聞「『ニッポン漂流』を回避しよう 今ある危機を乗り越えて」

 毎日新聞「2010 再建の年 発信力で未来に希望を」

 日本経済新聞「未来への責任① 繁栄と平和と地球環境を子や孫にも」

 産経新聞「年のはじめに 『国を思う心』が難局を動かす」(論説委員長 中静敬一郎)

 しんぶん赤旗「21世紀 激動の10年目 政党のあり方が試されている」

 今年の社説の多くは、未来を展望することが大事だという、あたり障りのない、もっともな意見を、ちょろりと書いただけである。不意打ちを食らうような驚きを感じることができなかった。もちろん、読む側の感性の鈍さもある。未来とは、とりあえず、予測できないものに違いない。だから、過去に遡ったり、現在をじっくり観察し、未来を考えるのが、まっとうな未来予測というものだろう。たかだか、2009年の後半の時期を検討しただけで、やたらと将来の危機感を煽るような類の言説には、「無責任」が顔を覗かせている気がする。日米同盟が危ないぞといってビジネスチャンスを広げる者らの、ほくそえむ顔など見飽きたではないか。時代を測量するものさしが狂っているメディアが増えている。

 読売と産経は、自民党政権崩壊後も右翼的心情丸出し。ただ、民主党政権批判には参考になるし、傾聴に値すべきものが散見される。朝日も日米同盟絶対の枠組みから出ていない。日経も「子や孫にも」というところが自民党臭くて、公明党臭い。100年安心とウソをついて、年金制度をズタズタにした自民、公明への怨みは骨髄である。社説以外の記事で、「日経」の未来特集は、それなりに力が入っていたが、今の社会を根本的に変えるものでないのは、明らか。その将来予測も胸躍るという訳にはいかない。未来とは何か。それは、社会変革を志向しない者にとっては、いつまでも、ぼんやりしたものである。
 
 NHKでの宮崎駿と養老孟司(養老孟ではない)の対談を見たが、結局、教育の話に収斂していった。それは未来に通じるからだろう。日本の教育に希望はあるか。そこが大問題である。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010/01/02

あけまして、おめでとうございます。

 新年あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 亡命関西人であるアドルノ的筆者のご先祖は、和歌山市内のある古い神社の神主をしていたが、曽祖父が神主業を放棄して以来、後継者は途絶え、他から派遣された神主さんが管理している。数十年前まで、その神社は、さびれていたのに、近年は大盛況で、しかも境内にある神社の由来を記した案内板からご先祖の来歴が抹殺されている。さらに、新しい立て札がそこら中に建てられ、意味不明な神社が境内のなかに新たに建立されている。神社の中に別の神社があるという神社の二重構造が構築されているのである。なにやら、民主党政権の二重権力状態を思い浮かべる次第。

 あな、をかし。歴史修正主義か、はたまた、歴史の改竄か。ま、どうでもよいのです。自然のものは、自然に還れ! ということでありましょう。地方の小さな神社の歴史など、誰も気にとめますまい。

 さて、大江健三郎さんファンなら、誰でも関心があるサイン会。いまや浅尾大輔さん、大江さん、古井由吉さんの作家3人の動向は、昨年末の「朝日」文芸時評以来、無関心でいられないものとなっている(と思う)。

★『水死』刊行記念 大江健三郎さんサイン会
 1月14日(木)18:30~ リブロ池袋本店【03-5949-2910】※要整理券
 1月15日(金)18:30~ 丸善丸の内本店【03-5288-8881】※要整理券

 浅尾さん、サイン会をしないんですか? でも、浅尾さんには、浅尾さんの流儀があるのですね。

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »