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2009/10/20

現代のノアの方舟

 新型インフルエンザの予防接種の順番を見るとき、旧約聖書に出てくるノアの箱舟(方舟)を想起する。①医療従事者②妊婦、基礎疾患のある人③1~6歳児、小学校低学年④1歳未満の乳児の保護者ら⑤小学校高学年、中学生、高校生、健康な65歳以上。

 いつかの日か、未来系のノアの箱舟に乗って人類が宇宙へ大挙して飛び出してゆく場合も、この順番になりそうな気がする。もちろん、ノアは順番などつけてはいないことになっている。宇宙時代には、基礎疾患のある人は、差別されそうな悪い予感もある。ハリウッド映画で、病弱な青年(実はそんなに不健康でもない)が健康な別の青年の血液、毛髪などを提供してもらい、宇宙へ飛び立つというストーリーのSFがあった。宇宙飛行士としての資格は、遺伝子レベルでチェックされるという設定である。

 資本主義社会が続いていれば、金持ち、富裕層から宇宙の旅に出かけることになるのは必定だ。タイタニック号遭難の宇宙版。誰も貧乏人を宇宙に誘ってくれない。宇宙飛行士になる道は、現状では狭く固く閉ざされている。元TBSのアキヤマさんは、資本主義の世界にあって、ものすごく幸運な人である。知的好奇心が資本主義の限界を突破した例だろうか。誰も未来を暗く描きたいとは思わない。資本主義以前の世界を知るのも有益である。

 それにしても、大学・短大生、専門学校生、無職の青年を優先しないのは、なぜだろう。ほんとうに彼らの順番を遅くしていいのだろうか。世界中を旅行して回る年齢層は、学生と退職後の高齢者、金持ち、富裕層だろう。そんなに大した数にはならないかもしれないが、ウイルスを運ぶ可能性も高い。そう考えると、予防接種の順番も、よくわからない。学生と高齢者に冷たい現代日本社会の特徴が出ているように思う。

 「ノアはただしきひとにして、その世のまったき者なりき」(創世記)。誰がノアを正しいと認定し、まったき者(完全な人間)とお墨付きを与えたのか。旧約聖書では「神」である。「神」なき世界で、箱舟に乗れと呼びかける現代日本のノアとなるのは、厚生労働省の役人、都道府県の役人たちである。いわば、日本の不思議な役人。予防接種の期日を決めるのは彼らだ。肝心の彼ら自身が予防接種をするのは、いつなのか。今回、医療従事者の一部は、副作用を確かめる人体実験の道具になるので、優先順位が高いのもむべなるかな。

 予防接種の優先順位の低い人たちは、基礎疾患のない「健康」な18歳から64歳までの男・女(妊娠していない)ということになる。基礎疾患がなかったとされる24歳の女性、45歳の男性が亡くなっているのに、変に思わないのだろうか。卵アレルギーの人は、予防接種はできないので、それなりの注意が必要だ。4歳の子どもが新型インフルエンザで亡くなっているのだから、のんびりしているのは、異常なことだ。緊急に予防接種が求められている。いまだに、くしゃみや鼻水の状態なのにマスクをしていない人がいる。電車の車内でさかんに、くしゃみをしている人ほどマスクをしていない。10月19日現在で国内の死者は28人を数える。

 結局、生き残ったのはノアの家族8人と、箱舟に入ったひとつがいずつの動物ということにならないことを願うばかりである。いま、アフリカの干ばつで、数多くのゾウをはじめとする動物が死んでいる。地球を蝕む温室効果ガスを急いで減らすことが緊急に求められている。

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2009/10/03

新週刊フジテレビ批評

 フジテレビで唯一、「良心的」な番組だった「週刊フジテレビ批評」(1992年4月~)が10月3日から「生放送」の「新週刊フジテレビ批評」(午前5時~)となった。旧番組では、昔、遠藤周作の息子の遠藤龍之介(フジテレビ広報部長?)を見ることができたので、遠藤文学ファンとしては貴重だった。

 「生放送」の第1回は、ややぎこちないスタートだった。それはもう朝早くから豊田皓社長(報道番組出身で都庁に詰めていたこともあるらしい)が生出演し、上智大の音好宏教授(メディア・ジャーナリズム論)からのツッコミに、まじめに答えようとしていた。ホントにまじめそうな人やね。騙されてるのかもしれないけれど…。こんな朝はよから誰が見てるのかいな。アドルノ的筆者のような変人しか見ていないのとちゃうか。

 豊田社長の口からは、①世のため人のため②ジャーナリズムの公益性③生活(字幕では「生活」。豊田社長は「公益」と言っていたような…)を豊かにする――という殊勝な言葉が出た。

 フジテレビは、小泉「構造改革」を応援してきた反省の上にたって報道していくのか、それとも無反省なだけなのかが、わかりにくかった。「産経新聞」の論調を見れば、想像はつくから期待はしていないけれど。それでも、豊田社長は、世間からのバラエティー番組(俗悪番組の象徴)に対する批判は、自覚しているようだった。フジ産経グループの出版媒体には、『正論』のような極右雑誌があるし、フジテレビへの監視を緩めることはできない。視聴者の声をたくさん紹介していた旧番組の良さを受け継いでもらいたい。リニューアルされた新番組の行く末は少々、心配である。

 このままでは、「新週刊フジテレビ批評」のテレビ評が必要になってしまうぞー(冷笑、寒笑)。いわば、寺山修司の世界のようなラビリンス(迷宮)。とにかく、自己検証、自己批判番組は貴重なので、かつてのコンセプトを保持しつつ、続けてくださいな。

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2009/10/02

パルコ劇場「中国の不思議な役人」

 中華人民共和国建国60年の日の10月1日、パルコ劇場で寺山修司作・白井晃演出「中国の不思議な役人」を見た。当日券を狙って早くから並んだら、とてもいい席だった。キャンセル待ちも悪くはない。パルコ劇場は客に親切・丁寧である。

 俳優陣では、平幹二朗(中国の不思議な役人)、秋山菜津子(日本軍の女将校)の2人が圧倒的存在感を示す。小野寺修二(一寸法師)、吉田メタル(怪力)、内田淳子(魔耶)らが、いかがわしさムンムン漂い、猥褻なエロティシズム大放出の寺山ワールドを醸し出していた。しかし、よく集まるねえお客さん。どちらかというと年齢層が高い。以前、天井桟敷を見たことがある人たちだろうか。美人のお客は、どこかの劇団員だろうか。勉強熱心なこと、感心感心。

 誘拐されて、娼婦にされてしまう中国人「花姚」を演じる新人の夏未エレナも、純な生娘から妖艶な娘へと最後に変貌をとげる演技が冴えていた。10月、NHKのドラマに出るらしい。あ、吉村華織の歌も良かったですよ。

 それにしても、すごいね白井晃。初演を実際に見た経験を生かして、「見世物」空間を冒頭から一気につくりだす。これでもかと、マッチを擦りまくる。もちろん、寺山もマッチを擦る演出を昔、試みていたようであり、否が応でも彼の短歌を思い起こさせる。誰か澁澤龍彦と寺山修司の比較検討なんて、やらないのかなあ。それともやっているのか。

 今年、NHKの「あの人」というアーカイブス番組が、寺山修司をとりあげたとき、映画「田園に死す」の一場面がチラリと映り、一緒に見ていた妻は、そのおどろおどろしさに顔をそむけた。天井桟敷の舞台の映像も紹介されて、マッチを擦る場面が出てきたのである。競馬場らしきところをバックに、寺山修司がカメラに向かい、独特のイントネーションで語る姿。なるほど、昔、タモリがマネしていた寺山そっくりだった。

 数年前に劇団「池の下」による同作品の公演を見たことで、一気に寺山ファンになってしまったのだったが、小さなスペースで小劇団によるユニークな演出に感化され、わかったつもりになってしまっていた。今回、「中国の不思議な役人」初演が行なわれたパルコ劇場(当時は西武劇場)で見て、当然のように、わからなくなってしまった。理屈の芝居ではないのである。ああ、伊丹十三(中国の不思議な役人)と山口小夜子(魔耶。なぜか2人とも故人)がキャスティングされた初演が見たかった。32年前は当然のことながら、小さな子どもだったので見る事かなわず、芝居は同時代を感じる空間なのだと改めて悟った次第。観客のほとんどは、誰も笑わない。筆者は、何回も吹き出しそうになった。本質的には喜劇なのになあ。違うのかなあ。秋山菜津子のギラギラした眼が、この芝居のすべてかなあ。来年の舞台にも期待しよう。

 終演後、往年のファンらが感想を語りながら帰路に着くのにアドルノ的筆者もゾロゾロとお伴するかたちとなり、一人の男が「猥褻ですね」と語りかけ、もう一人の男(天井桟敷の初演を見たらしい)が「猥褻だけど、寺山の場合は無機質な猥褻さがあった」と付け加えていた。「無機質! うまいこというなあ」と内心つぶやきながらアドルノ的筆者は一人、恐山ワールドに異化された渋谷を後にしたのであった。

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