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2009/08/31

今こそ、平河クラブは解体を!

 自民党の記録的大敗は、彼らが国民の声を無視してきた結果を示す。マスメディアのキャンペーンがモノをいったというよりも、麻生太郎の金持ち臭とだみ声も自民党大惨敗に貢献していると思うのだが、選挙後半になるにつれて、麻生太郎が黙ってカメラを見つめる映像だけになった。自民党は、なぜ自分たちが国民から嫌われたかを理解せず、広報戦略を広告会社などに頼ったために、自己分析する力をなくしている。当然、自分たちに都合の良い情報にしか耳を傾けなくなる。「平家物語」が最近、妙にナマナマしく読めたのも、合点がいく。おごれる者久しからず。

 とくに、今回の総選挙の結果は、自民党を露骨に持ち上げ、応援してきたフジ・サンケイグループ、読売新聞、日本経済新聞などのマスメディアの報道姿勢、財界にも強く反省を迫るものである。朝日新聞の中にも、麻生太郎の指南役になる記者すらいた。緒方竹虎をほうふつとさせる。二大政党キャンペーンというのも、財界御墨付きなわけである。民主党政権になったからといって、アメリカや財界が慌てふためいている訳でもない。しかし、少なくともマスメディアと政治との関係のつくり方は、民主党政権に鋭く問われている。

 国会内における自民党記者クラブである「平河クラブ」の傲慢さよ。自民党幹事長、国対委員長筋から記者名簿の提出を求められれば、ホイホイと写真つきで提出し、情報提供のみならず、記者懇と称して、飲食を共にする。共にするだけでなくて、一緒に記念写真におさまる、一緒に自民党議員とボウリングに興じた連中も多数いる。権力の監視人たる記者が、政治家に接近するのはやむをえないが、自民党広報機関と化し、長年の自民党政治のなかでの癒着の度合いが限度を超えていたことは否めない。

 いや、自民党と一体化していた証拠はいろいろとある。クラブに加盟していない記者を自民党職員と一緒に追い払おうとする。クラブに加盟していない記者に体当たりして、取材を邪魔してきたことさえある。記者の風上に置けない、腐敗した者らがいる。もちろん、まっとうな記者もいるが、密告者が現れ、突然、地方へ配置換えされた記者もいる。

 テレビで自民党本部が映り、平河クラブの面々がチラリと画面に見えたが(有名な癒着記者も)、うつろな表情で、自民党員と一緒に青ざめている人もいた。

 民主党政権になれば、現在の「野党クラブ」(野党第1党が部屋を提供する)の面々が与党記者クラブとなる。権力監視人の出番である。夜遅くまで鳩山由紀夫代表の記者会見に付き合っている姿には頭が下がる。今度は、平河クラブの面々は「野党クラブ」である。官邸の記者クラブ、内閣記者会なんかも早速、クラブ外の報道機関、報道人に開放すべきだ。国会の部屋、官邸の部屋を使用しているということは、国民の税金を使っているということなのだから。独占なんて、とんでもない話。なんとしても、自民党、民主党と癒着しないでね。

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2009/08/24

元NHK記者の自民党候補

 8月23日(日)のNHKニュース7の総選挙報道は、疑問ありだった。

 わざわざ島根2区をとりあげて、注目の選挙区のように報じていたが、一体、どういう了見なのだろう。自民党の竹下亘と国民新党の亀井久興の対決は、自民党と元自民党との確執にすぎないではないか。

 保守の牙城が危ういという視点で島根2区だとしても、ピンぼけな選択である。それにしても、竹下亘の支持者は、猛烈に集まっていたなあ。参院自民党のドン(いまでも隠然たる影響力がある)青木幹雄が檄を飛ばす映像なんて、今回の総選挙の特徴を示していただろうか。竹下亘の平平凡凡なコメントも、緊張感を欠いていた。大体、竹下亘の国会における存在感の薄さは、兄(故・竹下登)と比較しても、知る人ぞ知るではないか。まあ、存在感を増してもらっても困るわけだけれど。

 今回の報道は、元NHK記者としての竹下亘という経歴がモノをいったのではないかと疑いたくなる。おそらく、支持者の間で「先生、きのう、NHKのニュースに出てたねー」と、お追従発言が繰り出されることになるのだろう。元NHK記者で民主党から立候補している人もいるし、NHKとしては特別視していませんということなのだろう。しかし、一部の政党からしか立候補していない選挙区を取り上げるのは、もうやめたらどうか。不公平極まりない。一部の視聴者が、不信感を募らせていることを忘れてもらっては困るのである。

 

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2009/08/21

原爆投下のコールサイン

 祖母の親戚に、日本海軍での通信活動、アメリカ軍の暗号探知、解読に関わっていたおじさんがいて、驚いたことがある。東京・中野へも研修に行ったことがあると話していた。敗戦後は、警察等への就職を勧められたそうだが、断ったという。脱穀作業で、いっしょに米袋を担いだこともある、やさしいおじさんだったので、軍隊時代にそういう活動に従事していたとは、想像もしていなかった。

 おじさんは、亡くなった祖母の葬儀が終わった日に話してくれた。8月6日、山口県で、B29から発せられた「キーン、キーン」という暗号を聞いたという。いつもと違う暗号で、とても不思議だったそうだ。後から、広島に原爆が投下されたことを知り、あの暗号がそうだったのかと気づいたという。「投下に成功した」という暗号だったのか、それとも、「これから投下するぞ」という暗号だったのか。

 戦争中の日本の暗号に関する本があって、原爆を投下したアメリカ軍の部隊は、投下前、ワシントンへ一度だけ打電していたという。事前にニューメキシコ(ロスアラモスでは核兵器の研究)での最初の核実験のフィルムも見せられていた部隊である。アメリカには今でも広島、長崎への原爆投下を肯定的に評価する人が多いというが、世論も変わってきていることは、オバマ大統領のプラハでの演説が示したとおり。作家の米谷ふみ子さんをはじめ、ロサンゼルスなど各地で反核の市民運動を粘り強くつづけている人たちがいる。日本の原水爆禁止運動、被爆者の方々の運動が世界を動かしている。

 自民党内に核武装論者(核兵器の保有検討)が増えているという毎日新聞の候補者アンケートを知って、時代に逆行する愚かな政党の敗北を痛切に願う。

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2009/08/20

投機屋たちの情報を公開せよ!(改訂版)

 スイスのUBS銀行が、アメリカ人の顧客4450人分の情報をアメリカ国税庁に提供することになりそうだとBBCワールドニュースが伝えている。アメリカとスイスとの間で裁判になっていたのである。アメリカは、5万人以上の顧客情報の開示を求めていたが、開示されることになりそうなのは1割に満たない。それでも金銭的ダニのような人々が明るみに出ることを歓迎したい。ダニも吸血鬼も光に弱いのだ。

 「脱税」との関連がとりざたされていることで有名な秘密口座の扉が開こうとしているのかもしれない。ケイマン諸島などのタックスヘブン(脱税天国?)は、貧乏人を騙して住宅を買わせ、その住宅を投機の対象にし、取引の上前をはねて儲けてきたウォール街の連中、株の配当で莫大な資金を得ながら、「金融大恐慌」に紛れて莫大な利益を隠匿してきた大資産家、大金持ち達の温床になってきた。彼らの化けの皮がはがれるだろうか。いま必要なのは、株主資本主義にメスを入れることだ。そうしないと、「日本経済は全治3年」(麻生太郎自民党総裁)という訳のわからない、根拠不明な言説が撒き散らされることになる。

 なぜ、日本の派遣労働者は、大もうけをしているはずの大企業から解雇されなければならなかったのか。なぜ、派遣村にたどりつかねばならなかったのか。労働者の首切りをしたトヨタなどの大企業が「赤字」と騒いでいたのは、あくまでも「赤字」予想であって、金融投機で損をした自身の損害を除けば、「赤字」といえないことが明らかになりつつある。

 日本で大企業・大資産家にメスを入れよと終始一貫(唯一!)いっているのは日本共産党である。自民党や民主党は、総裁や代表自身が大資産家なので、さすがに、自らにメスを入れよとは言ってない。彼らが大資産家の利益を代弁することになるのは客観的状況に由来する。

 オバマ米政権は、米国民の不満のガス抜きなのかもしれないが、演説でも金融的ハゲタカたちを批判したし、投機屋連中を槍玉にあげているのは、日本の自公政権よりも、はるかにマシというべきだろう。米マスメディアの大金持ち批判、追及報道が背景にあったことも注意したい。日本のメディアで常時、トヨタを追及しているのも「しんぶん赤旗」だけである。これまでの消費税増税が、大企業の法人税を安くするためのものだったことを忘れてはいけない。消費税が資本主義体制維持税であることを、もっと訴えていきたい。

 日本の大手銀行は、「庶民」に対しては、サラ金としての機能を強めている。なんと、この低金利時代に、貸し出し利率の高いことか。サラ金の背後にいて、隠れていたのが、いまやおおっぴらに前面に出てきたというべきか。住宅ローンに苦しんでいる人間の信用情報が簡単に外部に漏洩して、「家を売れ!」という葉書が舞いこんだりするようなご時世である。金融機関の「情報流出」といわれるが、その実態は「情報売り飛ばし」ではないのか。大資産家の口座は秘密だが、大貧乏人の口座や信用情報は、まったく秘密どころではないのだ。

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新型インフルエンザ

 アドルノ的筆者の妻は、看護師で、帰宅後もテレビのニュース報道に釘づけである。新聞をいつもより熱心に読んでいる。なぜか。新型インフルエンザのウイルスで日本でも初の死者が出たからである。

 死者は、相次いでいる。人工透析の患者や持病のある高齢者が多い。この間まで「高齢者は免疫があり、大丈夫」という情報、言説を流していたのは誰だ? 何を根拠に、そのような情報を流したのか。子どもも注意が必要だ。すでに、子どもの間での感染拡大は、夏休みの初めから、学童を通じて報告されていた。ぜんそく患者も危ないと警告をされているが、日本にぜんそく患者は、450万人もいるという報告もある。糖尿病患者1600万人、腎臓病患者1300万人という報告もあるから、持病のある人にとって、とてつもない大問題だ。

 厚生労働省の注意喚起が弱かったことは、明らかだ。なぜ、死者が出てから騒ぎだすのだろう。なぜ、予想されていた事態を防げなかったのだろう。「弱毒性」で大したことがないみたいな情報を流布していたのは誰なのだ? 今回の事態を予想して、危険信号を発していた専門家の意見が、行政に反映されにくい仕組みになっている。誰かが邪魔しているのだ。新型ウイルスに対する予防接種の体制は、どうなっているのか? 皆目わからない。

 命に関わる問題なので、とても重要な情報だと思うのだが、周囲を見渡す限り、予防・防護策が市民に浸透していたとは言い難い。あれだけマスクが売れたのに、マスクをする人が少なかったのは、なぜだろう。今は夏なので、マスクをすると暑いと述べた人がいた。しかし、電車の車内でマスクもせずに強烈なくしゃみをし、飛沫が飛散しているのに、平然としている人も多い。衛生観念は、教育されないと身につかないようである。 

 講談社ブルーバックスを紹介するメールで知ったのだが、インフルエンザウイルス研究の第一人者が、9月に本を出すという。
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●『インフルエンザ パンデミック』
 
 河岡義裕/堀本研子 著

〔変幻自在、インフルエンザウイルスの謎に迫る!〕
21世紀初のパンデミック(世界的大流行)が突如発生、
ウイルスは瞬く間に世界に伝播した。
はたして新型ウイルスは、人類を脅かす存在なのか。
ロベルト・コッホ賞を受賞した世界的権威らが最新の研究成果をもとに、
インフルエンザウイルスにまつわる様々なミステリーを解き明かす。
▼最新研究でわかった意外な事実
①新型ウイルスは今年の冬、大流行する
②季節性インフルエンザと病原性は変わらないは「ウソ」
④新型ウイルスは、突如病原性が高まる可能性がある
⑤「60歳以上の高齢者は免疫があるから安全」は間違い
⑥肥満と妊娠は、新型ウイルスのリスク因子だった

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 とにかく、行政も専門家も対応が遅い。粘り強く警告を発し、ウイルスのまん延を防ぐ、素早い対策を講じてほしい。

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2009/08/15

加藤周一さんのDVD

 加藤周一さんのいない8月15日を迎えた。

 DVD「加藤周一さん 九条を語る」を見た。映像ドキュメント.comが作製。最晩年の加藤さんの語り、講演をダイジェスト版にしたものだった。

 http.//www.eizoudocument.com から注文すれば、1200円(送料別)で送ってくれるはず。

 最近、軽井沢高原文庫へ行き、辻邦生展を見てきた。家族連れだったので、ゆっくりと見ることができなかった。加藤さんに顔が似た人はほとんどいないが、比較的、顔の似た人として、辻邦生さんがいると思う。加藤さんは、辻邦生さんとも友達だった。できうれば、トーマス・マンをめぐる2人の対談を読みたかった。展示には、加藤さんと辻邦生さんらの写真があった。写真の加藤さんは精悍な感じ。辻邦生さんは、実に綿密な小説のプラン、準備をしていた。膨大なノートが勤勉な作家の素顔を物語る。加藤さんと筆跡も似ているような感じ。

 DVDのオリジナル映像で、加藤さんは、別荘の近くらしい場所で、死が人生の総決算だといっていた。死後、カネは何の役にも立たない。人生で「私」が何をなしたかが問われるということだろう。

 夏の軽井沢は、やはり涼しく、北杜夫さんの昆虫展の方に、子どもたちは喜んでいたが…。防腐処理された昆虫の「死体」「ミイラ」でさえも美しいというのは、一体どういうことなのか。

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2009/08/07

裁判員裁判と「歴史の法廷」

 四方山咄。8月7日は、立秋で鼻の日で、バナナの日だそうである。しかも仏滅。曲事をめぐるマスメディアによる「全国初」の裁判員裁判の過剰報道は、ようやく一件落着したのだろうか。東京・足立区での凶行事件をネタにして、「国民」に新たな裁判制度を周知徹底させようという大義名分を掲げる司法と一部マスメディアの姿勢が、まず気に食わない。とくにNHKは、「同時進行」と称して、冷静な報道と、ほど遠いキャンペーンを張った。総選挙が事実上、始まっているこの時期に、視聴者に対して、ほかに報道すべきことがあったのではないか。民放も含めて、総選挙の争点隠しとして、強く批判したい。

 司法の片棒を担がされた一部の裁判員自身による制度賛美も異常である。検察、弁護士による説明の「わかりやすさ」が取り沙汰されているが、被告による犯行動機の解明に時間が費やされたという印象を受けない。4日という裁判日程に注文をつける裁判員が一人いたことは喜ばしいが、テレビで裁判員の感想を聞くと、どうも裁判員裁判に批判的な人が、裁判員に選ばれにくい印象を受ける。もし、そうだとすれば、思想・信条の自由の侵害ではないのか。しかも裁判員が密室での評議の内容をもらせば6カ月以下の懲役、または50万円以下の罰金である。裁く者が、犯罪者となる可能性がある。司法記者クラブは閉鎖的で、法廷の特等席を独占しており、市民に開かれたものではない。

 例えば、暴力団員が被告となる事件で、裁判員の身の安全は保障されるのだろうか。しょうもない論点かもしれない。しかし、立法や行政に市民が関与する機会は、いまだ不自由だ。司法は遅れていたというが、では、なぜ司法試験という膨大な知識、記憶力を必要とするものがあるのだろうか。裁判における専門的知識を必要とするからだろう。民事裁判などで弁護士に頼まずに提訴し、敗訴して、市民に不利な判例が生じるケースが多々ある。裁判員裁判でおかしな判例が生じたときは、どのようにカバーしていくのだろうか。

 「歴史の法廷」という言葉があるとおり、歴史学者もまた、過去の出来事についての見解を求められる。こうした場に歴史学の知識を持ち合わせない「素人」が、史料・資料の根拠なく、無責任な見解をもちながら参入することが許されるだろうか。もちろん、歴史学者の研究も常に一面的との批判を免れないが、歴史の検証には歴史学にもとづく基礎的な手続きというものがあるのは自明である。歴史学の研究者になるには、通常、大学の史学科を修了することが必須のように思うが、民間の歴史家の道が閉ざされている訳ではない。それでも歴史の専門家など第三者による検証・批判が求められる。「新しい歴史教科書をつくる会」では、まともに歴史学の知識を吸収し、研究できない人たちが、侵略戦争賛美へと歴史を歪曲する教科書を作成したりする。実際、彼らの関係者・支援者は、歴史的事実をめぐる法廷で敗訴している。歴史の「素人」による教科書作成は、歴史学からすれば厳罰に値すると思う。そのような誤った歴史教科書の使用を認める、ごく一部の地方行政も犯罪的である。

 裁判員裁判の空疎さよ。よってくだんのごとし。

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2009/08/06

ポリトコフスカヤさん

 BBCワールド・ニュースが8月5日、ロシアのジャーナリスト、アンナ・ステパノーヴナ・ポリトコフスカヤさん(1958~2006)殺人事件の再審が始まったと伝えている。ポリトコフスカヤさんは、ニューヨーク生まれのモスクワ育ちで、アメリカ人でもあり、ロシア人でもあった。
 
 ポリトコフスカヤさん殺人事件をめぐっては、男性容疑者3人(うち2人は兄弟)が共犯とされ、起訴されたが、無罪となっていた。ロシア最高裁判所は、公判手続き違反を理由に5日、再審を命じた。7日に公聴会を開く予定という。
 
 ポリトコフスカヤさん(チェチェンでのロシア軍による人権抑圧を暴露し、有名になった)は、2006年10月にモスクワの彼女のアパートの玄関ホール(エレベーター内)で射殺された。エレベーターの監視カメラに映っていたRustam Makhmudov容疑者(起訴された容疑者兄弟の兄弟)は、事件から3年たった今も逮捕されていない。ポリトコフスカヤさんの家族の弁護士の一人(カリーナ・モスカレンコ)は「犯罪は、未解決だし、犯人の捜査は、どんな最終的結論にも達していない」と語る。一方、容疑者側の弁護士は、再審を妨げるつもりはないと述べている。

 ポリトコフスカヤ殺人事件をめぐる公判手続は、ロシア人のジャーナリストと人権擁護団体によって強く批判されてきた。裁判支援者は、真犯人が逮捕されないうちは、3人の容疑者に対する有罪判決でさえも満足できないと怒る。アメリカのジャーナリスト擁護団体は、ポリトコフスカヤさんについて、「プーチンのロシア」が続く限り、命を脅かされるジャーナリストだったと指摘している。

 BBCワールド・ニュースでは、「再審決定」というフラッシュニュースだったが、bbc.com/news では、少し詳しく報道していた。ジャーナリストの命が脅かされる国は、最悪、極悪というほかない。

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2009/08/04

裁判員制度

 ロシアの劇作家アントン・パヴロヴィチ・チェーホフは、自らの手帳に《人間というものは、あるがままの姿を見せられたときに、初めて向上する》と書いた。

 「君が人間どもに、彼らがどんな体たらくかを見せてやるときに、はじめて人間は向上するのです」(神西清訳『チェーホフの手帖』1934年、芝書店)
 
 神西の弟子、池田健太郎は、神西が後に「あなたがその人間に、彼がどんな体たらくなのかを見せてやるとき、はじめて彼は向上する」(同、1939年、創元選書)と、「人間」を「彼」と改訳したことを指摘している。池田は、神西があえて「誤訳」した理由について自著『チェーホフの仕事部屋』(1980年、新潮選書)で「作家的な気持ちが働いた」のではないかと推理している。
 
 小説を書く人が、彼・彼女らの体たらくを好んで描くのも、同じ理由からだろう。悪を見つめずして、善はわからず、戦争を考えることなしに平和も考えることができない。政権を担った自民党・公明党による政治悪を見つめ、総選挙で、日本を少しでも建設的な方向へ進めることが求められている。自民か民主かの選択を迫る一辺倒の報道は、眉に唾をつける必要がある。総選挙は、アメリカ、財界と、日本国民との対決ともいえる。

 それはさておき、2009年5月21日に導入された裁判員制度による初の裁判が8月3日に始まった。なぜ5月21日からの制度導入だったのか。皮肉にも、その日付以前の刑事事件は、旧来の裁判制度のもとで裁かれている。テレビ局、新聞は、5月21日以降に、東京・足立区で男性が近所の女性をナイフで刺し殺した事件を、裁判員制度の下での初裁判ゆえに大々的に特別報道する。

 裁判の見世物化が復活した思いを強くする。人間が更生する機会、場が歪められ、咎められても仕方のない被告をいたずらに責めたて、もてあそぶ印象を受ける。殺された側の家族も、やり場のない怒りを法廷で新たにする。あの裁判員のせいで、刑が軽くなったと怨まれるようでは、裁判員も安心して外を歩けない。裁判員制度が始まった日にも、ストーカーの男性が女性2人を殺傷する事件が起きている。社会的に殺人事件をいかにして防ぐか、なくしていくかの観点を置き去りにして、ただ犯人の量刑の軽重を問い、殺した人数が多ければ死刑とばかりに、スケジュール的に死刑執行していく社会とは、生きやすい社会なのだろうか。

 「裁判員は、積極的に発言してほしい」と作家の佐木隆三は言い、「裁判員は被告に質問してほしかった」とテレビ朝日のコメンテーターは、コメントをしていた。傷痕生々しい遺体写真や血のついた凶器のナイフを間近に見せられて「普通の人」たちが動揺しないはずはない。さらにいえば、被告の男性がなぜ、殺意を抱き女性を殺すにいたったかという理不尽な事態を、「普通の人」たちは理性で把握し、判断することを強いられ、そのうえに「判決」という実践まで迫られる。法廷サスペンスドラマを寝転がって見ているのとは、訳が違う。人を裁く行為について思いをめぐらした裁判員も多かったのではないか。検察の「プレゼン」能力が高ければ、裁判員が説得されてしまうこともあるだろう。被告にも弁護士がついている意味を、もう少し社会的に勉強する機会を持ち得ないものだろうか。

 裁判員制度が十分な準備をもって開始されなかったことが、今回の過剰な報道の背後にあるだろう。「犯人」にも「人権」はある。善人なおもて往生とぐ、いわんや悪人をや。親鸞ならずとも、悪人でさえも「往生する」権利はあるのではないだろうか。戦争で大量に人殺しをすれば英雄、戦争以外で一人殺せば殺人犯という問題を、チャップリンが、映画ムッシュ・ヴェルドゥーで提示した。いまもイラク侵略戦争、アフガニスタン侵略戦争で「英雄」たちが、殺人に苦悩している。「毎日新聞」の大治朋子記者の伝えるとおり、兵士たちの脳損傷は激しい。

 殺された人間は、法廷で怒りをぶつけることはできない。もっとも最高の被害を受けた人間が法廷に不在である。だから検察は、被害者(家族)の怒り、やるせなさを代弁する。被告の体たらくぶりを明らかにすることに主眼を置く。検察としては当然だが、被告が殺人を未然に防げなかったのかという点の解明にも重きを置いてほしいと思う。

 裁判員制度の法廷で、自らの体たらくを見せられた被告が、人間として向上することはあるだろうか。

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