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2009/04/14

サヘル・ローズさん

 サヘル・ローズさんが「徹子の部屋」(14日、テレビ朝日系)に出ていた。4歳のとき、イラン・イラク戦争で家を破壊され、がれきの下に4日も埋もれていたなかから救出され、今、日本に住む。11人兄弟の末っ子だったが、自分以外の家族は全員亡くなり、ボランティアのイラン人女性に発見されて、数奇な運命をたどって養女になった。日本の学校の給食のおばちゃんからも応援されて、給食をもりもり食べて、身長が伸び、今日に至っているという。彼女の愛くるしい、輝くばかりの笑顔の背景には、残酷すぎる世界が横たわっている。

 ユニセフ大使も務める聞き手の黒柳徹子さんも涙涙涙、鼻水鼻水鼻水だった。サヘルさんを引き取り、愛情を注ぎ育てた養母の人生もすごすぎる。養母は、日本にいた彼氏よりもサヘルさんを選び、化粧品工場に勤め、ツナ缶一つを3日かけて食べて体をもたせ、2人の生活を支えた。サヘルさんがタレント、女優となった今でも、母娘でリバーシブルのペルシャ絨毯も織りつづけている。8時間織って、3ミリしか進まないという絨毯。

 戦争による破壊の痕跡、むごたらしい現実は、現代日本人の身近にもある。遠い国の話ではない。サヘルさん本人は、一言も言ってはいないが、戦争を放棄し、国の交戦権を認めない憲法九条があるからこそ、サヘルさんは日本にたどりついたのではないか。そう思った。

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2009/04/13

鶴見俊輔

 李麗仙の語りにのせて4月12日、NHK教育テレビのETV特集で、「鶴見俊輔 戦後日本 人民の記憶」と題する鶴見俊輔への長時間インタビューが放送された。聞き手は、作家の黒川創。SUREから『悼詞』という鶴見による追悼文集の上梓も重なった。母・愛子、都留重人、竹内好、武谷三男、桑原武夫、小林トミ、小田実、加藤周一、鶴見和子への追悼文の抜粋が紹介された。

 永遠の「不良少年」、鶴見の思想を理解するために必要な鍵言葉が、鶴見自身の言葉で生き生きと語られていた。戦争、原爆をどのように記憶し、伝えていくかが、鶴見の生涯の主題のようである。九条の会が、今のテレビ・チャンネルで、まともに登場するのは、NHK教育テレビだけである。

 今回の番組を編集するのは、困難を極めたのではないか。番組は、概ね鶴見の歩みを追うかたちをとっていたとはいえ、インタビューの時期、会場など、場面は一定ではない。しかも鶴見は、黒川以外の人たちのインタビューに、これまでもかなり応じ、話している。例えば小熊英二、上野千鶴子のインタビューなど。自伝でもかなり語っている。鶴見の晩年の話芸は、インパクトを重視する短い言葉を連ねる刺激的な話し方を特徴とする。鶴見の言葉を編集して断片をつなぎあわせることも可能だろうが、ユニークな論理の展開を追えないことにもなる。インタビューは、一定のまとまりのある形でとらえる必要があるように思う。何を前提にして鶴見が語っているかを視聴者に伝えないと、チンプンカンプンになる可能性すらある。

 これまであまり語っていなかった鶴見の記憶を記録するには、膨大な番組の編集作業、鶴見の思想への深い理解、が必要だったと思う。鶴見の本の編集をしてきた黒川ならではの引き出し方があり、新発見があった。それは、歴史学に対する鶴見の造詣の深さを示したことだと思う。
 
 ※15年戦争の命名者であり、『戦時期日本の精神史』『戦後日本の大衆文化史』の著者である鶴見俊輔の根源的な問題意識を知るうえで、示唆的であったと言い換えてもよい。

 「人民の記憶」を「国家の記憶」にすりかえることを許さず、「人民の記憶」とは何かを問う必要があると、歴史学の課題を力を込めて語る鶴見俊輔の姿が、番組冒頭と、中程で、2度繰り返される。ここに鶴見と黒川のメッセージがあるだろう。しかし、ここは、自民党の安倍、中川ら政治家によるNHK教育テレビ番組への介入、新しい歴史教科書をつくる会などの活動を前提にしないと生きてこない。憲法改悪をめぐる動き、教育基本法改悪後の状況もふまえないと、鶴見がなぜ目から火が出るように語っているのかを知ることはできないだろう。歴史哲学者と呼びたい鶴見俊輔の姿を、もっと知らねばならない。そして、もっと知りたいと思った。

 鶴見の思考方法の一端を示す、unlearn=「学びほぐす」という訳語は、鶴見独特で、英和辞典にない。番組では、日常生活の思想の開拓者としての鶴見の姿や、ジョージ・オーウェルの理解者としての鶴見の姿は出てこなかった。教育問題を語り、書くときの鶴見は、ワルガキの地点から、既成の観念、概念、思考に風穴を開けるかのような痛快な論点を示すし、高野長英、夢野久作らの評伝を書く態度も用意周到である。アナキストながらも日本共産党を評価するところにも鶴見の鶴見たる所以が隠されていよう。歩く図書館=鶴見俊輔の脳内の引き出し、ネタ帖は、まだまだ解明を必要としているといえるだろう。

 「不思議な出会い」(ウィルフレッド・オウエン作)の鶴見による翻訳、誤解された客観性について語るなかで出た羽仁五郎の話も鶴見らしい卓見に満ちていた。既知のことだろうが、『思想の科学』の雑誌の名前の由来は、「科学評論」(武谷三男)「思想史評論」(丸山眞男)などの案よりも、経済学者の上田辰之助の案が採用されたこと、土居光知、桑原武夫ら、鶴見を見込んだ学者応援団のエピソードも紹介され、手堅い番組編集ぶりだった。「思想の科学」、ベ平連、九条の会で活躍する鶴見の姿が軸となっていたように思う。

 ただ、野次馬としては、息子の鶴見太郎や鶴見の妻の証言も知りたいところだが、それは鶴見の思想を伝える番組とは関係ないワイドショー的な関心事である。京都・岩倉の鶴見の自宅の映像が出ただけでも、良しとしたい。それでも、書庫は見せてほしかった。

 鶴見は、1992年から、もうろく帖を書きつづけているという。『もうろくの春』という詩集の紹介のあと、自らの50年後を想像していたかを問われ、少し考え込んだ後、水木しげるの話がでてくる。このときの鶴見の目の動きが、彼の頭脳の若々しい運動を示していた。死や永遠について語るなかで、イギリスの数学者、哲学者のホワイトヘッドの最終講演を聞いた話を鶴見はしていた。永遠は価値観を入れたときにはじめて生じるということをホワイトヘッドは語ったという。鶴見は、ホワイトヘッドが話を終えた後に、小さい声で「精密さはつくりもの」と、自らの哲学を転覆させかねない言葉をつぶやいた姿を見逃さなかった。

 他人の話を聞くときの鶴見は、実に注意深い。耳が遠くなっているということではなく、講演会場などで、参加者からの質問にも、目を大きく見開いたり、笑みを浮かべたりしながら、反応する。番組が、ワーズワースとホワイトヘッドを混同する鶴見の姿を映し出したのは、必要だっただろうか。大した意味があるとは思えない。「もうろく」というテーマだからだったからか。リアルさを狙ったのだろうが、鶴見を理解するうえでは、余計な感じがした。「誰でも老いる。鶴見俊輔でさえも」という寂しい感想しかもたらさないからだ。

 「永遠の感覚は、生きている者の一部としてある」。鶴見のこの言葉を聞けただけでも、もう十分である。

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2009/04/11

北朝鮮の「飛翔体」騒動

 北朝鮮による「飛翔体」騒動の背景には、私見では、北朝鮮とアメリカとの関係があり、その中に日本も「巻き込まれている」ということになるだろう。北朝鮮は、国際社会の中で追い詰められており、破れかぶれ、あるいは、平たくいえば、ヤケッパチ、ヤケクソ、ドン詰まりの状態にあることは、間違いない。北朝鮮は、「国際社会」を挑発している。ただ、この場合でいう「国際社会」は、東北アジアと太平洋上の領域、アメリカに限られる。「飛翔体」の飛んだ方向が物語っている。
 
 一方、地理的、地形的に遠い国は、今回の騒動に「脅威」を感じないどころか、「脅威」を感じる暇もない。文字通り、関係ないからである。とはいえ、北朝鮮のテレビ報道、より実感的には、日本のテレビ局が伝える北朝鮮報道は、北朝鮮が隠しきれないものを伝えている。それは、軍の行進を見つめる人々の「顔」である。頬はこけ、必ずしも喜んでいるばかりの様子は伝わらない。北朝鮮の「崩壊」は、意外に近いのではないだろうか。倒産間近の会社が一発逆転の広告をうつような風情がある。ミサイル発射は、「崩壊」近しを伝えるサインなのかもしれない。少なくとも、ミサイル開発にカネを注ぐよりは、国民生活を豊かにする方向にカネを使う方が、「崩壊」を先延ばしにするだろう。北朝鮮には、軍事予算に莫大なカネを投入し、「崩壊」したソ連の例から学ぶ姿勢が見られない。

 狂った国が、ミサイルを発射し、その先端に人工衛星が搭載されているか、あるいは、核弾頭なり、爆発物が搭載されているかは、「脅威」である。卑近な例に例えると、部屋に2人の人間が枕を並べて寝ていて、どちらかの人間が、寝ている人間の上でバットを振り回すとか、起きている誰かとキャッチボールを始める絵柄を思い浮かべただけでも、寝ている人間は、いい気分はしない。ましてや「核弾頭」である。「熟睡」「爆睡」している場合を除き、誰でも、「そんなことは、やめろ」と言葉で警告するに違いない。黙ってみているわけにはいかない。ただし、寝ている人間も、冷静な態度を保持しつつ、実力行使は避けたい。寝ている人間の頭上でバットを振り回したり、キャッチボールをする人間を刺激して、最悪のケースとなることを避けたいからである。狂った国に対しては、それなりの対処の仕方というものがあるだろう。「冷静さ」こそ最大の武器である。

 狂った国は、発射するぞ、発射するぞというだけで、隣国に「脅威」を与えることができる。「軍事」的に安上がりである。貧乏な国のやりそうなことである。隣国が騒げば騒ぐほど、狂った国を喜ばせる。そういうことになりはしないか。それなりの対処の仕方としては、巷間でいわれていることだが、北朝鮮との外交交渉を強めることだろう。六カ国協議を困難にする動きに対しては警戒する必要がある。実際、そういう動きが日本でも強い。国連安保理決議から見ても、北朝鮮は違反している。話し合える環境をつくることが「破局」を避ける道である。これは、何も国際関係だけに限らない。

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