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2008/10/20

イーグル・アイ

 米映画「イーグル・アイ」が描くのは、ジョージ・オーウェルの小説「1984」か、はたまたスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」の問題群の世界である。しかし、この2作品を超える中身があるとは思えなかった。
 
 途中から話の終わりが見えてしまう。4人掛かりで脚本を書いているはずなのに、なんの思想も伝えない。印象深いセリフもない。致命的な弱点をもっている。機械の暴走、監視社会を批判しきっている訳でもない。人工知能の暴走の背後には、そのシステムをつくった人間がいるわけだから、開発した人間への批判がなければならない。ところが、「イーグル・アイ」は不問に付している。そういうことも含めて米ハリウッド映画の窮状を示している。娯楽映画だから野暮なことはいわないでという反論もあるだろうが、おもしろがってばかりではいられない。最後に、得体の知れない恐怖を体験した男女が「恋」に落ちるのも、男からの都合のいい結論である。むしろ、タカ派側からの目、ホーク・アイ。

 ヒッチコックの映画の方が、まだハラハラドキドキしていた気がする。最後に歌をもってくるあたりも、ヒッチコックへのオマージュかマネか知らないが、あざとい。ケン・ローチの映画を見て、出直してこいと説教を垂れたくなる。

 アメリカ軍は、実際に、イーグル・アイのような情報戦争を考えているのだろう。アメリカの軍事技術の一端を見せてくれる点だけは、この映画の取り柄だ。アメリカは、こういう映画もつくれるのだぞという「驚異」を地球上に知らしめるためにつくっているというべきか。米軍のハリウッド映画への広報戦略、協力路線が進んでいる。9・11以後の世界を描いているのだが、イラク戦争やアフガニスタン戦争などの侵略を反省するに至らない。本当の娯楽にならない理由は、そこにある。

 軍事的な脅威をふりまくばかりの能天気な世界情勢論を前提にしている意味では、テレビ東京系番組の日高義樹リポートと同じである。日高は、10月19日放送の番組で、日本国民が原子力空母ジョージ・ワシントンの配備を歓迎していると言い切った。しかも反対運動はあまりなかったと事実をねじまげた。アメリカに媚びへつらう眼しかもっていないのだろうか。あのような人物は、ジャーナリストでも何でもない。アメリカ軍の広報係である。

 「イーグル・アイ」では、アメリカ軍による誤爆から派生する暴力の連鎖をモチーフにしているが、FBIや国防総省が、明らかに「善」として描かれる。いがみあっていたはずの父子が簡単に和解してしまう内容にもあきれてしまった。映画監督が国家権力に媚を売るとは、ほんとうに情けない。良心的な映画関係者は、もっとこういう駄作、堕落した作品に対して抗議し、怒りの声を上げるべきではないのか。

 人間には創造と破壊の両面の衝動が備わっているように思えてならない。子どもは、教育されなければならない存在だが、時折、積み木を意図的に壊したりする行動を見せる。うまくおもちゃを操作できないと放り出してしまう。すべての子どもがそうであるとは限らないが、残酷でもある。そういう教育される以前の破壊欲、破滅衝動に迎合し、煽りたてる人々を「野獣」と定義したい。「イーグル・アイ」は「野獣」映画の範疇に入る。

 映画に触発された平凡な感想をいえば、監視カメラだらけの空間が、日本社会に蔓延しているということ。例えば、一つのマンションだけでも、四台の監視カメラに映る。駐車場、自転車置き場、玄関、そしてエレベーター。一体、誰が見ているのか。見ているヒマがあるのか。どのように記録されているのかは、不明である。

 国道も監視カメラがあるし、街中に、駅にも監視カメラ。おまけに、学校の教室を盗み撮りしていた教師もいたから油断がならない。盗み撮りそのものを取り締まる法律は、いまのところない。なにせ、国・自治体、警察・自衛隊、企業・団体が日常茶飯に監視カメラで我々を盗み撮りしているからである。

 いつのまにか、何者かに個人のホームページの掲示板が勝手に使われていることもある。ブログも個人の性癖、趣味、嗜好、思想を如実に物語る。もともと、そういうものだから、ブログを開設する人も注意が必要だ。携帯電話も個人の行動を監視する道具にされている。

 「野獣」が「野獣」を監視するのが、そんなに面白いことだろうか。

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