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2008/07/02

長いお別れ

 レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』(村上春樹訳)に出てくる名前で、ハーラン・ポッターなる大富豪の人物名があって、どうにもこうにも、ハリー・ポッターがちらついて、いまさらながら、ハリー・ポッターシリーズの害悪というか、毒素というか、他の小説を楽しめなくする作用というか、さらに『ロング・グッドバイ』にはローリングという名前の夫妻まで登場するに至っては、せっかくの傑作がパロディーに見えてくる。もちろん、チャンドラーの小説の方がローリングの小説よりも大先輩であることに、変わりはないのだが。それでも、フィリップ・マーロウの人物描写は、アメリカ的、言い換えれば、アメリカの鷹揚さ、なんというか、1953年に製作されたアメリカ映画のようなものをくっきりと備えた陰影がある。つまり、主人公が隠然たる暴力に怒りをもつ物語の背後に、不思議と「時代」というものが、とうとうと流れていることを読者が感じ取れるようになっている。変な感想かもしれないが、読んでみて、そう思った。

 作品が古いという訳ではない。作品の思考様式なり、構造が、一つの宇宙空間を形成している。そういう作品は、読者もそのなかに入ってゆける。というか、安心して身を委ねることができる。読み進めていける。作品として成功しているかどうかは、どうも、そのあたりにあるのではないかと睨んでいる。単純化して言えば。

 しかし、今、身近で起きている異常な事件、戦争、暴力の連続は、いうまでもなく、フィクションではない。当然ながら、われわれは、そのノンフィクションの世界の中で生きている。「地獄」の中に、「うまく」入っていけるなどという代物ではない。否が応でも、そういう世界を押しつけられてしまう。押しつけられていると感じる。それは、自分たちが作ったものか、どうかが、その感覚を分ける。感覚の世界の話でいくと、そういう分類になる。「おい、地獄さ行くんだで!」ということになる。『蟹工船』は、虚構でありながら、虚構を超える。もはや現実でしかありえない、そういう小説は、少ない。

 閑話休題。秋葉原の連続殺傷事件と佐世保の銃撃事件をつなげて考える論考があまり見当たらない気もする。違う性格の事件だったろうか。簡単に整理できる事件でもないように思う。それは、秋葉原という土地で起きてしまった事件だからか。宮崎勤の死刑執行も含めて、「いやな感じ」が続いている。資本主義は、一方で人々を「分断」「孤立」させ、一方で「団結」「連帯」を準備する。二つのことを同時進行させる。しかも、それは「自動」ではない。
 
 アドルノ的筆者は40代で、宮崎世代の一つ下であるが、関西から亡命してきて最初に、しかも、近くで起きた事件が宮崎勤の事件であった。今も強烈なのは、宮崎勤の、あの、おどおどした姿である。アドルノ的筆者も、ご多分にもれず、おどおどした人間で、小心者である。宮崎勤の、あの、おどおどした姿と、彼が殺人鬼と化した姿が、容易に結びつかない。そのことに、当時は兎も角、驚いた。今も驚き続けている。彼によって殺された子どもの親にとっては、とても信じられないことでもあるだろう。怒りのぶつけようがないような、おどおど。

 弱者の攻撃対象は、弱者に向かう。一連の事件に共通していることは、まずこのことだ。身近で、普段、顔を突き合わせたりしている人々を、いとも簡単に殺してしまう。「いやな感じ」の第一は、いとも簡単に、手早く、近くにいる人が殺す事件が頻発していることである。では、強者になればいいのか? そんなに問題は単純でもない。

 おそらく、日本もアフガニスタン戦争やイラク戦争に「参加」していることが、「いやな感じ」の背後にある。そうした戦争に日本が参加することを阻止できなかった「いやな感じ」。名古屋高裁の判決は、イラク戦争に自衛隊が参加している現実を裁いたという意味で、希望である。にもかかわらず、「希望は戦争」という、本当にくだらない物言いがあり、おそらく、「戦争」を比喩的に使ったということであり、日本軍に対する主観的なイメージでモノを言っているのだろう。「戦争」の実態とかけ離れたところで、そういう空想的な感想が出てくる。「希望は戦争」という人たちとは、まず、戦争そのものについて話し合うべきだろう。話し合うことを始めている人たちがいる。それも希望。「日本」で起きていることだけが「現実」ではない。

 「いやな感じ」の第一は、自戒も含めてのことなのだが、相手がこうだろう、あの人は、ああなのだろうと、勝手に、さっさと、決めつけてしまうことである。そういう風潮がはびこっている。落ちついて考える人が少なくなっている。時代の落ちつきのなさ、おどおどさ加減は、いきなり暴力に走ることに象徴されている。もう少し、ゆっくり、考えることができないものか。もう少し。そうすれば、本当に変えるべき世界は見えてくるのではないだろうか。甘いと言われれば、それまでだが。

 

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