格差社会の克服
神戸大学の二宮厚美教授が書いた『格差社会の克服』(山吹書店発行、JRC発売)は、この間の格差社会論の理論的整理を試みた本である。
二宮教授によると、「格差」は「修正」や「是正」にとどまるものではなくて、「克服」「打開」の対象であると明確に位置付けられる。つまり社会の病理として「格差社会」をとらえるのである。当たり前のようで、当たり前でないところの指摘が独特である。
類書の立場とは明確に違う。何が違うのか。一言でいえば、資本主義社会論をふまえた「格差社会」論として、例えは古いが映画「マトリックス」シリーズで明確に映像化されたような、現実とイデオロギーとの落差を抉り出しているところが、違う。つまり、狂った世界のなかにいる人々の覚醒を促すのである。
映画「マトリックス」では、人工知能をもつ機械が人間の頭脳・肉体エネルギーをも利用し、現実には存在しない仮想現実のなかに人間を閉じ込める。そして、機械は、その仮想現実を、惰眠をむさぼりつづける人間たちに「現実」と思いこませる。この仮想現実のウソくささ、胡散くささに気づいた人間たちが、人工知能をもつ機械に抵抗・反乱を試みる人間たちの物語だった。
「下流社会」論などは、社会現象として「格差社会」をとらえていた側面が強く、それらの特徴をあげつらう傾向が強い。貧乏生活の実態を「中流」生活者(「下流」生活者予備軍)におもしろおかしく伝えることで、よしとするものだった。極端にいえば、狂った社会を容認しかねない。
「格差社会」の実態は、とてもおもしろおかしいものでは決してない。例えば、ネットカフェ難民が、政府の数え方によると、5400人いる。この数え方が、多いのか、少ないのか、議論の余地を残す。しかし、確実にネットカフェ難民は、精神的かつ肉体的に病んでいっているはずである。
奈良から大阪の病院へ辿りつくまでに、9カ所の病院で断られ、交通事故で流産(死亡)してしまった胎内の赤ちゃんがいた。過去には、盥回しの末に亡くなった妊婦もいた。端的にいえば、われわれの生活する日本の極めて貧困な救急医療体制の現実が、如実に示された。医療における不平等、不自由、貧困、格差の原因は、明らかである。医師不足の現状を放置し、救急指定病院数の少なさを放置し、産婦人科の衰退を招いてきた自民・公明による「命」軽視の政治がある。
「格差社会」が人間の命を蝕むものであることを、二宮教授の本は教えてくれる。本ブログは、二宮教授の著書を紹介するものではない。二宮教授が提起する「格差社会の克服」という言葉から触発されたことを少しだけ書き連ねたにすぎない。
マルクス先生(1818~1883)の学問を縦横に生かした「格差社会」論として、二宮教授の著書を推薦したい。


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