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2006/04/26

いい仕事をする人たちの共通点

 各分野、第一線で活躍している人の共通点は、自分にとって大事なことと、および社会にとって大事なことと、そうでないことの違いが明確に把握されていることである。これは、ひとえに、わずかな経験および観察の結果にすぎない。どうも、これまで偉い人の特徴として集中力の違いを感じてきたのだが、修正を迫られそうだ。しょうもないことは、しょうもないこととして、明瞭に指摘できる人たちが、仕事のできる人たちなのである。すでに、未来のことがわかっているかのような感じ。悟りを開いているのとも違う。じゃあ、なんなのか。

 ある問題、課題に接近するとして、最短距離で向かうことが望ましい。雑音も聞き分けつつ、それには同意せず、熟慮して、発言なり、行動、実践へ進むという具合。ちゃんと結果を残している人たちは、何かが違う。

 もちろん、道草をして、回り道をして、迂回して、失敗して、偶然にも発見することもあると思う。しかし、この方法は、成功するとは言いがたい。冒険主義である。失敗のなかから得られるなどと早合点して、やはり失敗する。運まかせというのは、何もしていないと同義であるのだ。

 では、何が判断力の基礎になっているのか。カントではないが、純粋理性、実践理性、判断力ときて、意外にも判断力というのは、重要な位置を占めている。別の人にいわせれば、そうでないかもしれない。熟慮に熟慮を重ねる姿というのは、強烈な集中力の発露である。なあんだ、やはり集中力じゃあないか、といわれそうだが、では、熟慮に熟慮を重ねる習慣は、いかにして培われるか。教育の結果だろうか。はたまた、自己研鑚の結果だろうか。いかにして、そういう習慣が身につくだろうか。いつ、いかなるときも。
 熟慮に熟慮を重ねることは、先回りして考えることに近い。この、先回りというのが、普通の人間には、簡単にできない。やさしいことのように見えて、できない。もちろん、できている人がいるから、できていない人間に教えてくれる。ほんとうに、先回りして考える人間が増えると、資本主義は成り立たなくなるであろうと思う。危険が大きいバクチだらけだからだ。

 逆に、先回りしすぎると、どうなるか。これもまた、何もできなくなる。そこで、当面の状況なり、情勢にあわせて、あるいは、それらに応じて、大事なこと、そうでないことの腑分けをおこなうことになる。つまり、状況なり、情勢を読むということは、行動の大前提であり、それに応じて、みずからの力も発揮できるということになる。

 短絡的な人間が多い。短絡的に意見をのべる人間も多い。早とちりをする人間も、実に多い。文章の読めない人も実に多い。自分もその一人である。短絡的な批判、短絡的ないやがらせ、短絡的ないちゃもんつけ、短絡的な行動。そんなものに、つきあう必要がどこにあろうか。人生は短いのだ。

 

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2006/04/12

平野啓一郎擁護

 平野啓一郎という作家は、大した人物である。最近の作家で、これだけ自分の思うところを堂々と書ける作家はいない。出版社に書かされたのかと思うと、そうではない。かなりの問題意識のもとに、小説を世に問うている。誤解を恐れないという点で、それだけで違いが出ている。
 『顔のない裸体たち』は、たしかに問題作らしく、性交描写が執拗である。『日蝕』での、あの両性具有の人物の描写が、いかんなく、今回も発揮されている。最新作には、日本の異常さの把握につながる視点が隠されている。フランス留学、いや文化交流の大使としての経験がいかんなく発揮されている。建前と本音の二重構造を抉り出し、ブログという名の架空の心情吐露についても批判的な立場を明らかにしている。

 ブロガーはすべからく実名にしないと、やはり、その言論、言動、言説、言質の信憑性はあやしい。かくいう「アドルノ的」筆者も実名でのブログ活動に躊躇するものである。したがって、その言い分には、なんら説得力をもたない。顔のない裸体の主人公「ミッキー」と同じ存在である。恥ずかしくないどころか、まことに恥ずかしい存在としてある。自己同一性をもたない。実名ブログの値打ちは、段違いである
 たたかえ作家たち! 現実世界とネットの世界の境界を打ち破れ!

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2006/04/02

ムグンファのうた

 『民主文学』4月号、ほうがとよこさんの「ムグンファのうた」が面白い。面白いといっては語弊があるが、84歳とは思えぬ瑞々しい筆致で、大新人が現れた感じ。60年かけて記憶が「濾過」されたことが、小説に昇華するということは、小説とは何かのヒントが隠されているといえよう。文学のすごさ、人生の面白さである。

 ということは、作家たちは、普通の人が60年かけて濾過してゆく記憶を、短時間に、数日間に、数十日間に、文章化できる人たちということか。ムダなものを削ぎ落としてゆくということが、どうしても必要な気がする。何がムダというより、「省略をきかせる」ということなのだが。この「省略をきかせる」ということは、直接書かなくても、別のことを想起させたり、具体的で生き生きとしたイメージを読者のなかに思い浮かべさせるということなのだが、凡人には狙ってできることでもない。

 戦中の大阪のミッションスクールは、学校内では言いたいことをいってはいても、天皇制政府のもとで生き残る術を教えていたらしい。読後感は、なるほどなるほどなるほど、と、腹のなかで頭のなかで、45回転のレコードが回るような感じであった。言いたいことを書く、書きたいことを書く。ただ、それだけを大切にすることが肝心だ。

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