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2006/01/29

間違えられやすい名前

 28日放送されたNHKの7時のニュース。字幕で、「東横イン」を「東急イン」と間違えて、訂正放送をしていた。おそらく、 「東急イン」は、カンカンに怒っているだろう。間違えられやすい名前だから。私の周囲の人間のなかにも「東急イン」の事件と勘違いしている人がいた。ぼけをかましているのではないか、ほんまかいな、と思ったが、どうも、ほんとうにそうだと思いこんでいたようだ。くわばら、くわばら。

 似ている文字がある。川端康成と川柳集成。川柳をあつめた本の名前とノーベル賞作家の名前の字面が、なんとなく、なんとなーく似通っている。
 あのハマコーこと、浜田幸一は、衆院予算委員長時代に、宮本顕治のことを宮澤賢治とまちがえたのは有名である(知る人ぞ知るかなあ)。音が似ている。

 こうなると、空耳状態である。浜崎あゆみの歌(もちろん日本語の歌詞)が、逆に英語の歌に聞こえてしまうという話を聞いたことがある。篠原涼子とシノラーの篠原ともえ(?)もまぎらわしい。そんなことはない? はい、わかりました。

 塊で文字を見てしまうと、もうダメ。新潮社と新曜社のような出版社名もまぎらわしい。しかし、西武鉄道と東武鉄道、阪急電鉄と阪神電鉄を間違える人も少ないと思う。まあ、ヒマネタとシマウタは、江戸っ子だったら間違えるかも。

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2006/01/28

B級ニュースのオンパレード

 耐震偽装事件とか、ライブドア事件がようやく盛りあがってきたら、テレビは、B級ニュースのオンパレード。何やってるんすか。恥ずかしくないのか、テレビの報道局! 11人の女性と57歳の男性の集団生活とか、東横インの体の不自由な人用のスペースの条例違反の改変とか「小悪」を放送して、肝心の「巨悪」問題を徹底追及しない。東横インなんて、B級ビジネスホテルの雄ではないか。どうも、政治的な取引が関係しているようだが…。

 「巨悪」や政権問題にふれるきざしが出てくると、あるいは、国会で重要な問題がかけられていたりするときに、テレビや一部の新聞は、どうでもいいニュースを放送、報道しまくる。「どうでもいいですよ」の、だいたひかるという芸人が登場する理由も、ここにある、といいたくなるほど。有事法制問題を論じていたときの、あの白装束の人々を報道したのは、なんだったのか。

 いまとなっては、アメリカがあんな牛肉を送りつけてきたのも、日本の人々の目を肉にそらさせるための「工作」かと思ってしまう。皮肉としかいいようがない。

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2006/01/22

闇の勢力

 ライブドアが闇の勢力とつながっていることが、明らかに(?)なりつつあるようだ。沖縄の海に、どこでもドアならぬライブドアが通じていた。となると、バブルのころ、ヤクザと一緒に荒稼ぎした者たちと重なってくる。いまとなっては、広島から衆院選に出たのも、なぜか「仁義なきたたかい」的に納得されてくるから不思議なものだ。賭場に群がる民、それを火鉢を囲みながら、端からニヤニヤとみている小泉純一郎という感じ。ジャーナリストの出番です。

 ディーブ・スペクターは、しつこくホリエモンを批判していた。アメリカ資本から見ても、ルールなき資本主義の上に乗っかったホリエモンは目障りな存在なのか。そんなことはないように思うが…。まあ、いまにして、予想されたようなホリエモン批判の大合唱。ホリエモンを野放しにしてきた政府・財界の責任でもあるだろう。結局、テレビのゲストコメンテーターは、ライブドアを日本経団連の会員にしたのは間違いだったといった奥田碩発言の想定内でしか言葉を発しない。

 誤解なきようにいうが、株で損をするのは、自分の責任だけではない。おかしなものを買わされたマンションの住民と同じである。だまされた方が悪いのではなくて、明らかに、だました方が悪い。ただ、国民をだました者が自民党につながる企業だったことだけでも、自覚すべきだろう。いまになって、自民党は、なにも関係がなかったかのようにふるまっている。が、自民党とホリエモンと結びついたことで、ライブドアの株を買った人たちもいるだろう。

 ライブドアは、ポータルサイトを通じて、いろいろな人々と取引関係(無償のものも含めて)にあるが、その取引先にまで責任があるかのようにいう議論もおかしい。これも誤解を招く言い方をすれば、ライブドアに損害を被った点では同じなのである。

 いずれにしても、ライブドアと闇の勢力との関係追及に、力を尽くしていかなければならないが、さて、どこから手をつけるか。

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ムイチモンのバクチうち

 額に汗して働く、生産活動から遠ざかれば、遠ざかるほど、「生きる」意味から遠ざかるものはない、と思う。人生とは、お金を稼ぐことだけが目的なのだろうか。株に手を出しておいて、ホリエモンに損させられたからといって、その責任をマスメディアに向けるのは、明らかに間違っている。なぜ、株に手を出してしまったのか自問してみるべきである。なんでも他人の責任にしようとするのは、そろそろやめたらどうか。一部マスメディアが、そのような風潮を煽ったことはあろう。しかし、株の損だけは、不純な動機に発したものだけに、私は、まったく同情できない。資本主義の「異常」を告発する、ある新聞が、株の危険性を訴えるキャンペーンを張ったとして、それだけで、すべての株被害を防げるというのだろうか。連日、資本主義の愚かさ、狂った姿を伝えている新聞を購読していても、読まない者がいる。読めるような新聞をつくれというのなら、そういう人間こそ、新聞づくりに参加すべきだろう。

 命を尊ぶ宮崎アニメのファンであっても、殺人を犯してしまう人間の問題を、大塚英志氏が提出していたが、株に手を出すはずがない人たちまでもが株に手を出してしまうのも、よく似た問題のようである。ファンであることと、それを実際に行為することの間には、大きな隔たりがある。本質的な理解の欠如、想像力の欠如といってもいい。ある政党の一員になったからといって、それだけでその人が完全無欠な人間となったと考えるのも、おかしなことではなかろうか。丸山健二氏がいうように、人間は自分で精神を育てていかなければならない、と思う。かくありたい、と理想に向けて自己変革をとげてゆくことこそ、人間らしい。

 株に手を出す人々を見ると、ヤクザ映画に出てくる、賭場のシーンを思い浮かべる。

 とりもなおさず、株に手を出したということは、額に汗するのではなく、安易に儲けようと思ったのではないか。動機が不純である。そのことを棚にあげず、真摯に確認しなければならない。株式一般を否定するのは、現行の資本主義では空想的であるが、働かないでお金が儲かることは、おかしなことだと見抜かねばならないはず。なぜ、見抜けないか。ムチの存在を知りつつ、アメにむしゃぶりつこうとする愚かな姿に見えて仕方がない。話は脇道にそれるが、初期の「男はつらいよ」シリーズが優れていたのは、寅次郎の素行の反対側にある「額に汗して働く」ことの意味を描いていたからだ。「異常」な資本主義国・日本の現実は、「額に汗して働く」ことを蔑む人々を増やしてきた延長線上にある。l

 株が儲かるとは、だれもそんなことは、大きな声でいわない。もし、そんなことをいうとすれば、一部の、証券市場を知らない者たちの言葉か、あるいは、一時的に儲かった、浮かれ者の言葉にすぎない。つい、この間の、バブル崩壊の教訓から学ぼうともしない歴史知らず。バクチうちが損をするのは至極当たり前ではないか。問題の中身は、ほんとうに単純である。失敗から学ばない日本の戦後史の悪循環よ。

 はっきりいえば、自民党支持者のホリエモンの株なんぞを購入する思考が、まったくわからない。だまされている、としかいいようがない。ホリエモンを露出させるテレビ。テレビを利用するホリエモン。新聞には、どういうわけか、ホリエモンの登場回数は少ない。意外にホリエモンは新聞嫌いなのである。活字で残ると、うさん臭さがバレてしまうことを知っていたのではないか。新聞を読まない若者。主婦層や若者が購入したライブドアの株。どういう人たちが損をして、だれが儲けているのか。損した人の一方で、だれかが儲けている。これがバブルの教訓である。
 
 つい、このあいだの、バブル崩壊では、地方銀行がつぶれ、信用金庫がつぶれ、老舗の寿司店がつぶれ、老舗の旅館がつぶれ、その他、意外な金持ちたちも没落し、年金を株につぎ込んだ人たちが苦しんだ。その後、アメリカの金融資本が、山一証券などを二束三文で買い取った姿は、ついこのあいだのことのように思うが、それすら忘れてしまったのだろうか。大銀行には、バブル崩壊後、国民の税金が投入され、なんと大銀行は、いま空前の大もうけである。国民をばかにするにもほどがある。いま再び、不況で、わずかな貯蓄を増やそうと株に手を出した人たちがいる。証券会社からの異常な勧誘があったことも事実。ネットで気楽に株を買ったり、売ったりする若年層が現れたのも事実。政治を変えようと選挙にもいかず、楽して儲けようとしたのも事実ではないか。

 上がるものは、いつかは下がる。ピークを迎えたものは、いつかは没落するのである。ソニーを見よ。ガリバー的な大企業が、苦しんでいる。トヨタもしかり。いまが全盛だが、トヨタも、もし欠陥自動車をつくりでもしたら、一気に信用は、がた落ちとなる。トヨタが少なくとも生きぬいてきているように見えるのは、製造業として、少しは、その怖さを知っているからだろう。あの三菱の欠陥自動車の例を見ればわかる。トヨタも、いずれは没落の歴史をたどることになるだろう。

 1929年のアメリカ発世界恐慌というものがあった。数多く、その教訓を示す本も出ている。だれも読まないのだろうか。その後、アメリカは軍事的、経済的に世界最強の国といわれる。しかし、その内実は、世界最大の債務国で、貧困率世界第5位の日本マネーに支えられているにすぎない。最近、中国マネーにも支えられているアメリカは、ハリケーン・カトリーナ被害でワーキング・プア層の存在が如実になったように、主要資本主義国ではもっとも貧困率の高い、見かけ倒しの、かりそめの世界最強にすぎない。世界最大の資本主義国が、資本主義国でもっとも高い貧困率を誇る。これぞ資本主義国の「異常」な姿である。

 せっかく、手痛い思いをして、資本主義の「異常」を勉強したのだから、失敗しないように、しっかり歴史に学んではどうだろうか。ムイチモンのバクチうちになるな! 風説を流した人間には、風説的論評がよく似合う。

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2006/01/20

芥川賞・直木賞、どうなのよ

 今回の第134回芥川賞、直木賞は順当すぎて、面白みに欠ける。あたかも、あの2人にとらせるかのような候補作を並べていた。大ハズレだった書評好きの有名な文学愛好者はいるけれど…。所詮は「文芸春秋」賞。出来レースと意地悪く批判してもバチは当たらないと思う。
 でも、あの2人の作品は読ませる。というか、すでに賞なんかもらわなくても、人気作家なのだ。「沖で待つ」。いいんじゃございませんか。
 しかし、「新人発掘」的な芥川賞には、そぐわない。直木賞も人生双六のあがりのような賞になってきた。それでも、ご本人たちは受賞にこだわっていた。文学賞でやんややんやと大騒ぎするのも、時代とかなりズレてきたような気がする。そんなに偉いのでしょうか。違う気がする。気に入らないと選考委員を入れ替える出版社もでてきた。そろそろ該当作なしなんて、厳しい評価があっても良いのでは。というか、文学賞なんかもらわなくても、活躍している作家は多いぞー。もらわない方が良いと思う。太宰治をはじめ、村上春樹も芥川賞はもらっていない。島田雅彦しかり。ほかにも「なんでやあ」といいたくなる人気作家がもらっていない。
 となると、芥川賞、直木賞って、一体なんだということになる。何を目的にしているのか。人気作家コンクールではあるまい。選考委員の好き嫌いを示すだけのものになりつつあるような感もある。先輩作家に従順な子分をつくる賞でもあるまいに。候補作も、この作家でこの作品を挙げるのは可哀想という類が多い。
 いまは亡き森敦さんの芥川賞受賞なんて、味があって良かった。味があるという表現が抽象的ならば、意外性と言い換えよう。年齢に上限を設けず、あっといわせてほしい。まあ、自分たちで、「これは」という作品を探し出す楽しみは捨てちゃあいかんということです。ふー。

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2006/01/15

4畳半風呂なし2万8000円

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 15日に放映された、あるテレビ番組で、年収100万円、4畳半風呂なし2万8000円のアパートに住む元高校教諭の人と、年収6000~7000万円の公認会計士で、1600万円のフェラーリに乗る人を対比していた。
 「下流社会」論の隆盛を受けて番組内容が企画されたことは、わかる。プロデューサーの意図は、明らかに所得の多寡で、人間を推し量る「下流」理解、視点にたっており、そんなものなら、尾崎紅葉「金色夜叉」を読めば良いのであって、何も新しい視点を提供しない。マーケティング調査たる「下流社会」論を映像化したものとしては、明らかにズレが生じている。『下流社会』の著者、三浦展氏がいっているのは、単に所得が低いということではない人々の存在、特異な消費行動をとる人々の存在を論じていたはずである。かのテレビ番組は、明らかに『下流社会』の誤読のうえになりたっていた。

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つまり、「下流社会」論を突き詰めると、金持ちの代表とされる年収6000万円男も、将来的に、その年収を維持できるであろうか、ということすら射程に入ってくる問題なのである。むしろ、このままでいくと「下流社会」に属するとされる民の消費動向の逆襲をうけて、物質的な豊かさの象徴たるフェラーリを乗り回すことも難しくなってくるだろう。下流を軽蔑する者は、下流に泣くことになるだろう。モノを買うお客さんの存在が視野に入っていない金持ちは、あっけなく滅びるのである。

 さらに、この番組では、「格差社会」と「一億総中流社会」では、どちらが良いかと出演しているタレントに質問を出していた。どちらもイヤといえば良いものを、こんな貧弱な二択をつきつけられて、どちかが良いと答える方も答えるほうだが、そんな選択肢しかないのか、と、突っ込みたくなる。馬鹿番組を見る人間も馬鹿なのだが、驚いたことに、時間になると「一件落着」なる字幕スーパーが突如、画面を覆う、むごたらしいまでの没思想性。あくまでも大企業が多数を占めるスポンサーの許容する範囲内でしか番組をつくることができない日本の民放の愚かさを表現する点では、有効であった。なるほど、貧弱なテレビ番組は「皆様のNHK」だけではない。良心的なテレビマンの登場が待たれるのである。

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アメリカを象徴する感じ

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 腕をつきだすのは、アメリカ帝国主義を象徴する身振り。なんでもナンバーワンをしたがる。ブロック・レスナー選手が悪いわけじゃあ、ないのだけれど…。もちろん、アメリカ人だけがする身振りでもないけれど、象徴的なのですよー。

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2006/01/06

アメリカ「日本占領軍」の犯罪

 横須賀の女性殺害でアメリカ軍の兵隊(具体的には米空母キティホークの乗組員としかわからない)が犯行を認めた。日米「不平等」地位協定で、容疑者の引き渡しが焦点。駐日米大使は、原子力空母の「安全」を宣伝しても、乗組員の素行の「安全」を宣伝できない。軍隊は、究極的には「人殺し」が仕事なのだから、こんな人々が横須賀にいること自体がおかしなことなのである。どうぞ、反論していただいて、結構。イラクでアメリカ軍がやっていることは「人殺し」以外の何者でもない。

 北海道釧路でも、1999年だったか、ジャニーコーク(コカコーラの容器に洋酒を入れる)を持ち歩くアメリカ軍兵士の姿が目撃されたことがある。アメリカ軍の兵士がコカコーラの容器を持ち歩いていたら要注意である。酔った勢いで何をするかわからない。基本的には、「占領軍」としての性格を保持したまま、戦後61年が経過してきたといえる。
 映画評論家の故・淀川長治さんも、アメリカ軍が日本を名実ともに占領していたころ、自宅にアメリカ軍の兵士が押し掛けてきたころを回想した文章を書いていた。淀川さんが晩年、全日空ホテルで生活する遥か以前のことである。
 ジラード事件(薬莢拾いの日本人女性をアメリカ軍兵士が射殺した事件。実行犯のアメリカ軍兵士は帰国)を嚆矢に、とくに沖縄のアメリカ軍基地周辺での犯罪は枚挙にいとまがない。八王子の事件もしかり。昨日のテレビ朝日系「報道ステーション」は、横須賀のアメリカ軍兵士の凶行を日米「不平等」地位協定の立場から少しまっとうに報道していた。中国や韓国にいきりたつネット右翼のみなさんもアメリカ軍の存在に対して、まっとうな視線を注いでみたらどうか。

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2006/01/05

悪魔の駐日米国大使

 昨年の12月25日付「毎日」の5面「発言席」に、駐日米国大使・トーマス・シーファー氏が登場した。見出しは、「米国の原子力空母は安全」というものだった。アメリカの牛肉は安全とのたまう人物の発言である。

 安全の根拠としての、このシーファー大使は、1964年以降、米国の原子力艦船が日本に1200回以上も寄港してきたが、なにごともなかったという。恐るべき回数の寄港である。ただし、1200回で済むのだろうか。米原潜など本当はもっと寄港しているはず。人体や海洋、環境になんら悪影響を及ぼしていないと開き直っているが、軍事的な艦船を寄越しておいて、なにごとも影響がなかったとはどういうことだろう。横須賀その他を使いたい放題にしてきて、なにが「良好な関係」なのか。アジアの緊張を高めてきたではないか。米大使の発言は、小泉純一郎の論法とまったく同じである。靖国神社で騒ぐほうが悪い、理解できないというわけである。

 米空母タイコンデロガが、水爆を海に落っことした事件はどうなったのだ? あれで、50年以上も「安全」に航行してきたといえるのか?
 正確には、1965年12月5日、沖縄近海において、米国の空母タイコンデロガから水爆一個を搭載したA4Eスカイホーク戦闘機が海に落下して、いまだに回収されていないという事故である。最近まで明らかになっていなかったが、いまでは日米両政府ともその事実を認めている。 沖縄県議会も全会一致で「沖縄近海における米海軍水爆機の水没事故に関する意見書」と抗議決議を採択し、政府関係機関等に要請している。

 原子力空母の名のもとに、この米大使は、核兵器の米空母への搭載については、一言も触れない。核兵器を積んだ米空母が日本に寄港して、それで「安全」といえるのだろうか。

 まだ横須賀に居座る米空母キティホークも、ベトナムをはじめ、イラクでの人殺しにも加担してきた。そんなものが、何が「安全」なのか。人殺しの手段が「安全」なのか。

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2006/01/03

「産経」化しはじめたNHK

 NHKの「産経」化が進行している。ニュース7で畠山アナの読み上げるニュース原稿で、安倍晋三氏につける枕詞が、「国民に人気の高い安倍氏」だった。いつからそんなふうに形容詞をつけることが許されるようになったのか。「自民党支持者に受けが良い安倍氏」の誤りではないのか。自民党への屈服路線まっしぐらである。NHKが首相レースで安倍氏を応援するのは、例の、あの一件がある。

 さらに、元日付の「産経」に注目されたい。1面に載せたNHKの受信料値下げの「スクープ」報道である。ただし、「産経」のスクープは、ガセネタ(飛ばし記事)が多いので、信用できないし、実現しない可能性が高いのだが、これもNHK揺さぶりの報道の一つである。
 しかも、2面、3面ではカルロス・ゴーン氏と安倍晋三氏の対談を掲載の用意周到ぶり。「産経」は間違いなく次期首相候補に安倍氏を推したのである。小泉純一郎(もはや「呼び捨て」にする)の意向が入っているのかもしれない。自民党機関紙たる「産経」の面目躍如ではないか。

 おそらく、自民党筋では、NHKによりいっそう圧力をかけて、一気に反動的放送機関へと変えてしまおうというシナリオがあるに違いない。電通あたりを巻き込んでいるかも。

 ポスト小泉なんて、なぜ自民党だけに話題を集中させるのか。それ以外の選択肢がないかのようである。NHKよ、受信料値下げなんてするぐらいなら、スクランブルをかけて、国民に番組を見せるな!

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2006/01/02

元日付の各紙を読む 2006年版

【2006年社説&主張】(順不同)
「朝日」…2006謹賀新年 武士道をどう生かす
「毎日」…ポストXの06年 壮大な破壊後の展望が大事 結果責任を負ってこそ名首相
「読売」…人口減少の時代へ国家的対応を 市場原理主義への歯止めも必要だ
「日経」…人口減に克つ① 成長力を高め魅力ある日本を創ろう
「産経」…年頭の主張 新たに始まる未知の世界 アジア戦略の根幹は日米同盟
「東京」…年のはじめに考える 日本の出番なのに…
「赤旗」…新年にあたって 連帯の輪広げ、語ろう希望

 ※「朝日」社説は藤原正彦著『国家の品格』の読書感想文。「毎日」社説はポスト小泉を論じたものだが自民党政治の枠内で論じる。「産経」はアジアでの緊張をさらに高めようとする極めて愚劣な主張。人口減をテーマにしたのは「読売」「日経」で、人口減が経済成長の先行きを暗くするという見解をもつ財界筋を意識した社説。一国的な視点からすると人口減は心配だろうが、世界的な視点からするとどうなのか。人口増の国は眼中にないのだろうか。

 【独断と偏見で注目した対談・インタビュー、エッセー、記事】(順不同)
「共同通信」(地方紙へ配信)…加藤周一・藤原帰一、谷川俊太郎
「赤旗」…志位和夫・渡辺治
「朝日」…橘木俊詔・西垣通、スラヴォイ=ジジェク、養老孟司、五木寛之・大谷光真
「毎日」…野口聡一・田中耕一
「読売」…大江健三郎(2面「顔」欄)、高村薫
「東京」…高村薫、橋本治

 ※加藤・藤原対談は地方紙でないと読めない「もったいない」記事。いわゆる『世界』(岩波書店)人脈的な企画だが、いまや良心的な知識人は「赤旗」と『世界』ぐらいにしか登場しなくなっている。高村薫は人気が高い。保守やリベラル層のどちらにも受けがいい。ジジェクを出してくるあたりが「朝日」らしい。昔から「現代思想」好き。しかし、平凡な内容で訴求力に乏しい。なぜか世界社会フォーラム系の外国人は日本の新聞にあまり登場しない。選別の基準でもあるのだろうか。元日付では、科学もの、宇宙もの、自然ものがもう少し読みたかった。日本の貧困な科学教育の影響が新聞企画にも及び始めているのか。昨年は世界物理年を意識してアインシュタインをめぐる企画記事が面白かったので、それとの落差が目立つ。そのなかで「毎日」のノーベル田中さんの対談記事は奮闘していたといえる。いつもけなしてばかりいるので、元日付だけ少し褒めたい。「朝日」には本多勝一さんクラスの記者がいなくなって久しい。「大物」記者が次々と退職している。本当に「大物」かどうかは別にして、記者の名前を売り出している割には、読みたいと思わせる記者がいない。元日付紙面ではないが、「毎日」の「記者の目」欄は、社論と違う視点もあったりして面白い。それ以外は全然面白くない。

 【バケの皮がはがれた対談】
「毎日」…世耕弘成(自民党)・鈴木寛(民主党)・西村博之(2ちゃんねる)

 【飛び抜けて反動的な対談】
「産経」…ジェームズ・ケリー前米国務次官補と古森義久

 今年も最寄り駅の売店へ元日付を買いにいったが、すぐに目を皿にして読みたくなる記事は少なかった。情けない。もちろん、面白い記事もあった。「朝日」は、元日付1面トップをつくるにあたって迷った形跡がある。「朝日」社会面トップにある竹中総務相ブレーン(木村剛)の疑惑記事が、おそらく1面トップ候補だったのだろう。竹中総務相は、最近、首相候補に祭り上げられているが、公務員の総人件費縮減など、怨みを買いやすい小泉「改革」の責任をとらせてクビにするための「要員」とみることもできる。竹中自身は、そのことに気づいているのだろうか。汚いねえ、自民党は。「朝日」が1面候補の記事を社会面に回したのはどういうことだろうか。

 その他、テレビ番組と同様に小泉チルドレンを登場させる記事が増えている。しょうもない人物を登場させるな! だんだんと正月の楽しみがなくなりつつある。「日経」本社ビルの隣にある日本経団連で消費税増税路線は、もはや既定のことで、「日経」紙面にもそれが反映しているが、自民党はあくまでもウソをつきつづけている。こんなのにダマされる方が愚かといえば愚かでもある。

 日米同盟強化を「産経」が主張するのは例年と変わりないが、森本敏もふくめて三つも日米同盟の記事を載せているのは、危機感の表れか。対中国との関係で、靖国問題も巻きこんで日米同盟は揺らぎつづける。グアムの米軍基地建設まで、日本の税金で請け負うことを知っている人はどれだけいるだろうか。昨年末、東京・八王子市で起きた米上等兵によるひき逃げ事故(逮捕後、日米「不平等」協定により米兵は釈放)、年始の名護市長選、年末の沖縄知事選、あるいは米中間選挙など、日米関係にかかわる審判も多い。IT長者が某新聞社を買収なんてこともあるかもしれない。近所の中古車センターもいつの間にかライブドアに買収されていた。暗躍する大銀行を批判する記事も読みたい。あ~あ。

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2006/01/01

やはり新年、信念。賀正、臥床。

 あけましておめでとうございます。

 さて、これまで何を望んでいたかをふりかえると、抵抗、抵抗、また抵抗。反発、反発、反発。不服従、不服従、不服従。非暴力、非暴力、そして非暴力だった。ほんとうは想像、創造こそ、あらまほしきものなり。

 テレビは愚劣。小泉チルドレンとか、民主党の愚昧な人々ばかり。なぜ、小泉に媚を売るのか。「紅白」のなかで、時代に敏感なのは、ユーミンだけだった。悲しい哉。あとは旧態依然の紅白歌合戦。新年になったからといって、昨年の出来事を、単なる過去にできるのか。地球が太陽の周りを一回まわったことが、宇宙全体からはどう見えるか。

 それにしても、大晦日、東京ドームへは、ものすごい人の波であった。あっという間に乗っていた電車が空になる。恐るべき集客力。ジャニーズ事務所の所属タレントが120人も集まった。近藤真彦、久しぶり。たしかに、珍しい、懐かしい顔ぶれもある。政治が入りこむ隙間もない「平和」な風景である。アイドルに熱狂するのは、案外、文化的には古いパターンで、古典的ですらある。昔のアイドルよりは、歌って踊れる。しかし、語りがない。語りがあるのは、さだまさしさんだが、「ゆく年、くる年」後のNHKは、よくも「やけくそ」番組を放映したものだ。かつては、もう少し、日本の将来とか、文化的に含蓄のある番組を企画をしていたと思う。視聴者に媚を売りすぎて、誇りを失っている。知的にリードしていく気持ちすら失ったNHK。2006年は、いよいよ、NHKが崩壊に向かう年になりそうである。

 テレビ朝日系の朝生こと「朝まで生テレビ」で姜尚中さんは、2005年は「信の倒壊」だったと指摘した。共産党の小池晃さんは、「格差」をあげた。格差がどんどん大きくなっていくと、マルクスの得意とする「階級」的な問題が急浮上してくるだろう。虐げられた人々の連帯、連係が進む。これは避けることはできない。むちゃくちゃな政治をすればするほど、逆にその政治を改めようとする力も増すだろう。これは希望的観測だが、生活が破壊されれば、愚かな者も黙ってはいない。世論操作などの小細工もきかなくなる。うまく消費生活をすることが社会に適合的であるかのように錯覚させるのが、現在の資本主義である。このまま、愚昧な消費生活を続行できるだろうか。大銀行ばかりもうけさせて…。合併する手続きに時間がかかるから、新年早々、引き落としもできないUFJと東京三菱。この間のホリエモン、楽天三木谷もすべて大銀行の掌の上の出来事である。素人トレーダーの巨額の破綻もおこるだろう。莫大なもうけをあげている半面、莫大な損失もする可能性がある。以上は、空疎な空想である。笑ってくれてよろしい。新年、初笑いである(「笑えない」という声あり)。

 社会的反撃の力をつけるために、想像力と創造力を働かせよう。

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