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2005/11/28

不遜な男

 アドルノ先生(1903~1969年)の研究書は、没後ではなくて生誕100年だった2003年を契機として、欧米では比較的たくさん刊行されているといってよいだろう。アモルバッハの子供時代とでも訳したらいいのだろうか。写真が豊富な小さな本が2003年にでている。遺稿集の刊行もつづいている。全体像がわかるのは、まだまだ先のことである。そういえば、マルクスの遺稿集、あるいは新メガの刊行もまだまだ長い時間がかかるようである。マルクスを批判する人たちは、その全体像を知らずに批判しているというべきだろう。

 アドルノ先生は子供時代から賢そうである。そんじょそこらの洟垂れ小僧とは訳が違う。音楽と哲学の両方で、達人となった点、あるいは、エドワード・W・サイードがアドルノを師と仰いでいたことなど、今日にもふりかえられる機会が多い。つい最近も、青木保氏が寝る前に、アドルノの本を読んでいると、ある総合雑誌に書いていた。アドルノ先生の本は難解なので、睡眠薬代わりにもってこいなのである。そういう皮肉がこめられた文章である。青木氏が、とくに強調していたのは、アドルノ先生は不遜な男だったということである。

 アメリカにマーティン・ジェイという学者がいる。いわば、アドルノ先生の名前を世界中に広げる上で最大の貢献をしている人だが、その彼が独フランクフルトにいるアドルノ先生にインタビューしにいった。インタビューはうまくいかなかったという。後から出てきたアドルノ先生の手紙には、「あのジェイという奴は実に嫌な奴だ。それに、彼は嫌なことを正確に嗅ぎ出す本能を持ち合わせている。できるだけ軽くあしらった」と書かれてあったという。

 ジェイは、この手紙が出てきたので、相当ショックをうけたらしい。しかし、読みようによっては、最大級のほめ言葉が隠されている。つまり、「嫌なことを正確に嗅ぎ出す本能」。ジャーナリストとしては、これ以上のものは、いらないのではないかというくらいである。政府や財界にとって嫌なことを正確に嗅ぎ出すことは、実に重要なことだ。
 
 そこで、ここから与太話になるのだが、みなさんもジャーナリストには気をつけたほうがいい。「へえ、ほうほうほう、そうなんですかあ」なんていいながら、虎視眈々と、相手の弱点を観察したりしているのです。いやだなあ。

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2005/11/16

やはり、こうなったか

 サーヤこと紀宮清子が、黒田清子さんになった。婚姻届は、自分たちで出しにいかなかった。というより、出しにいけなかったのだろう。帝国ホテルが、やや貸し切り状態になった。交通が制限された。1DKのマンションに警備がついている。テレビ番組が、NHKから民放まで、同じ画像を流す瞬間があった。テレビ朝日だけは、放送時間が短かったが…。皇籍離脱。幽体離脱ではない。大気圏離脱でもない。「離脱」という響きがいい。

 めでたいことには、ごちゃごちゃいうなという意見があるのは、わかる。しかし、国民が一人増えた。30代の国民。結婚してはじめて国民になれる存在。扶養家族なのか。しかし、今、自民・公明政権のもとでの政府は扶養家族にも容赦しない。1億円以上の持参金を所有する30代の国民は何人いるか。ああいう結婚式は、六本木ヒルズ族もできない。そこが、金持ちの皇室へのゴマすりにつながる。

 NHKアーカイブスが、名番組を再放送していた。「皇居」。まあ、なんと時間の流れの違う世界よ。皇居では1000人以上が働いているという。公務員を減らせ、減らせ、減らせという小泉純一郎よ。宮内庁にいるのも公務員だぞよ。雅楽も洋楽もOKの人々。内閣府から文書を運ぶ人々。天皇と同じメニューの食事をし、どれくらい食べたかを看護師が記載してもってきた紙をチェックする医師。おいおい、保育園の連絡帳ではないか。わが息子(2歳10カ月)ですら、保育園の先生から、スープ残すとか、野菜食べたなどと記入してもらえる。天皇は、保育されている存在だったのである。看護師や医師を、保育園の先生よろしく使うなんて、皇居の世界は、人の使い方が間違っているのではないか。

 宮内庁書陵部だったか。古文書などの補修、再生に二百年はかかるという。国家的事業なので、あの作業だけはお金をかけてもいいと思う。人も増やして、どんどん進めるべきだ。それ以外は、できるだけ金をかけないでほしい。税金という意識が宮内庁にないのは、以前も指摘した。

 皇居、宮内庁は、外国からの来賓とか、冠婚葬祭になると忙しいらしい。奥村土牛の富士山の絵は、いまでも飾っているのだろうか。ぜひ、宮内庁記者クラブのみなさん、おしえてたもれ。

 そうそう。サーヤが乗っていた車。あれは日産の車だったかしらん。ゆっくり走る性能がすぐれているという。以前は天皇・皇后御用達の車だったはず。今回、天皇・皇后が乗っていた車はトヨタだったかしらん。日産→トヨタという「離脱」も、今回の儀式の見物だったのである。

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2005/11/02

NHK廃止論

 ここへきて(どこへきてというわけではないが)NHKの愚昧さ加減に磨きがかかっている。とりわけても、小泉内閣改造の報道である。くだらん人物たちを、念入りに追いかけて、だれがそんなことを知りたいのか、というようなニュースを次から次へと流す。とくに、安倍官房長官もちあげが、図抜けた馬鹿さ加減だ。エビジョンイルが辞めたあとも、NHKの自民党へのへつらいは、続いている。
 猪口邦子少子化相とは、一体、どういう頭脳をしているのだろうか。権力に媚びるのが、そんなにうれしいのか。何が、雅子さまが結婚したときのドレスであろうか。借金、住宅のローンに追われている国民の姿など、眼中にないではないか。ゲンナリするような言葉の連続。少子化をすすめる大臣ではないかと皮肉をいいたくなる。あきらかに、自民党のコミ専のマニュアルどおりのコメントをつづけている。NHKのニュースには、小泉内閣が狙う大増税や、強行成立させられてしまった障害者「自立」支援法など、何もなかったかのような風情である。
 これは、もうNHK改革などという生易しい問題ではない。NHKは廃止せよ、というべきである。廃止して、いったん解体して、出直すべきだ。その際、国策放送とはっきり銘打ってもらおう。中途半端な公正中立ポーズは、やめてもらいたい。NHKの優れた伝統は、アーカイブスにしか残っていない。いまのままでは、再生は、ほぼ無理といってさしつかえない。

 小泉純一郎の支持率が高いからといって、国民の半数が支持しているかのように喧伝するのは、いい加減にやめたらどうか。国民感情、世論など、手垢にまみれた言葉を使って、その流れに乗っていなければ、「おまえはズレている」とのたまう輩がふえた。世論調査が、世論操作につながっていないとでもいうのか。ある人が、「国民感情」というとき、何を前提にしているか。ある人物の脳細胞が、視神経がとらえた恣意的な「国民感情」であって、「国民感情」なる一塊のものは、虚空に漂う幻想でしかない。小泉を変なふうに褒める輩も増えた。つまり、小泉は「国民感情」をとらえているという言説として。何をとらえているというのか。とらえているのは、多くのマスコミ、スポーツ紙、のこのこと自民党本部へ出かけていったブロガーたちではないか。

 自民党本部へのこのこ出かけていったブロガーたちは、ブログの機能を殺した罪を犯したのである。権力迎合・強権屈服型のブロガーたちよ、自分たちが世論をつくったなどと威張らないでもらいたい。あなたたちがつくったのは、たんなる「風説」にすぎない。まさに、右翼がいうように、腐ったリンゴが交じると、ほかのリンゴも腐ってしまうのである(なぜか11月1日に、東京・神田神保町を流していた右翼街宣車は、腐ったミカンといわずに、腐ったリンゴといっていた。リンゴが産地の地方出身なのだろうか)。それは、さておき、ヘナチョコ・ブロガーたちを「粉砕」(いまや右翼用語)するために、たたかいの烽火をあげねばならない。ゆるやかに、そして静かに。

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