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2005/09/24

思わぬ仕方で

 アメリカ合州国、より具体的にはブッシュ政権が、二つの台風で、苦境に陥っていくとは、ちょっと予想を超えていた。しかし、アメリカ南部の人々にとっては、大災害であるから、なんとか、逃げのびてほしいとも思う。避難中のバスの炎上も想像を絶する(想像力が貧困なだけかもしれないが)。『方丈記』を書いた鴨長明ならば、アメリカ現地へいって、つぶさに見て回ることだろう。日本へも影響が出てくる。

 おそらく、イラク戦争反対、米軍撤退の動きも加速していくのではないか。期待半分。政権党の共和党に比して、民主党がなんら姿を現さないのも、かの地の「二大政党」のあり様を示している。ある人にいわせれば、アメリカの民主党は、「アホや」ということらしい。日本の民主党も、自民党との違いを出すことには、否定的で、むしろ、違いがないことが「二大政党」だという。「本音」をもらしたというべきだろう。

 頻繁な台風の来襲は、資本主義的な生活様式が、いかに地球を破壊していくかの例証といえるだろうか。そのことは、ひとまずおいて、キューバでは、徹底的な避難で、台風での被害を最小限に食い止めようとしているとの記事もあった。実際、人的な被害も含めて、台風がきた国の中では、被害は少なかったらしい。記事は、カストロが、徹底的に国民の把握に努めているから、被害を最小限にできたと皮肉まじりに書いている。しからば、電話盗聴、Eメール盗み読みのスパイ網を張り巡らせているアメリカはどうか。別な意味で、国民を監視しているのではないか。「朝日」に出ていた説得力の弱い記事を見て、思った。

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2005/09/20

今は昔の両論併記

 総選挙後も、テレビの言論はひどい状況。とくに、登場するゲスト・コメンテーターがひどい。毎日新聞の岸井某なんていうのは、TBSのテレビで自民党の広報と変わらない活動を展開している。「障害者自立支援法」のひどい中身も紹介せずに、成立させなければならない重要法案の筆頭に上げている。犯罪すれすれ、あるいは、犯罪以上かもしれない。一方的な垂れ流し言論の風潮が加速している。こういう反対意見もある、程度のことすら伝えなくなっている。「朝日新聞」も同じ。一方的な視点の報道が増えている。
 両論併記は、結論を都合の良い方にもっていくときのゴマカシに使われる場合が多いが、視聴者なり、読者の判断を仰ぐ上では、一方的な視点よりマシである。アドルノ先生(1903~1969)が警戒するところの、あらゆるものを「同一化」させようというファシズム的風潮が出てきている。

 阪神甲子園球場の近くに住む巨人ファンと同様、さまざまな人、さまざまな言論があってよい。一色に塗りつぶすのは危うい。ただし、ブログに変なトラックバックを仕掛ける「業者」は許しまへんで。

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2005/09/19

結びつかない話

 民主党が負けたのは、共産党が協力しなかったからだと、あるブログでのべている。ジャイアント馬場が負けたのは、アントニオ猪木が協力しなかったからだというのと同じくらい奇妙な論理である。これでも、わかりにくければ、巨人が負けたのは阪神が協力しなかったからというのと同じといえば、わかりやすいかなあ。まあ、いまいち喩えがよくないが、とにかく、傍観者の論理だとだけいっておきたい。

 敗因の分析というのは、えてして大事なもので、テストの点数が悪かったのを分析するのは、明日につながる重要なことである。児童、生徒、学生でもわかることなのに、である。共産党は、少なくとも、「しんぶん赤旗」で、なぜ自民党に票が集まったのかを街頭インタビューも敢行して分析している。民主党は、敗北の分析をいまだに、まとまったかたちでしていない。なぜか。おそらく、敗因を分析していないのではなくて、「できない」のではなかろうか。

 自民党は今回、徹底的に民主党の選挙区(前回、新たに議席を獲得したところ)を執拗なまでに攻めた。具体例をのべよう。自民党の小泉純一郎総裁が、選挙最終日に現れた千葉1区。岡田イオン・ジャスコ克也の出身母体でもあるイオン本社が、この千葉1区にある。その意味で、総選挙の象徴的な選挙区だった。三重県から千葉県に本社を引っ越してきた旧岡田屋のおひざ元を最終日に攻めにきた自民党というのは、なかなか戦略的である。しかも、ジャスコの近くで演説した。もちろん、自民、民主が競り合っているという情勢分析から場所を選んだ面もあるだろうが、総選挙の場合、公示第一声をどの地で始め、どの地で終えるかは、各党とも知恵を絞るところなのである。

 千葉1区で落選した民主党候補は、前回、自民党現職をたたき落として当選した。ところが、この民主党候補が、この間、国会でどんな活動をしてきたかは、さっぱりわからない。たまに新聞折り込みで、民主党のちらしが入っていただけで、まともな演説を聞く機会はほとんどなかった。しかも、選挙最終盤になって、衆院選では郵便ポストに入れることができなくなった法定ビラ(まったくヒドイ公選法だが、政治活動としての政党新聞号外は配布可能)を、選挙違反覚悟で配布するありさまである。あきらかに慌てていた。民主党が自民党政治の何を批判しているか傍目には、まったくわからない。有権者には自民党も民主党も変わらないものに見えたのではないか。おそらく、ジャスコ前で小泉ヒトラー純一郎の小噺を聞いた人たちは、「改革を止めるな」の自民党に入れてしまっただろう。
 民主党の支持基盤は、地域住民と結びつかず脆弱である(もちろん、あらゆる政党に、この課題はある)。

 自民党との違いを打ち出せない政党が、敗因を分析するのは難しいことだろう。せいぜい、自民党と似ていることを主張していたのに、なぜ負けたかぐらいの反省しかできないのではないか。双子の兄弟の兄ばかりに人気が集まった弟のひがみにも似た心境かもしれない。さいたま市大宮駅前での民主・枝野氏の演説も、異常だった。彼によれば、少数政党に票を投じても意味はないのだそうだ。政権をとれる党に投票せよというのだ。政権をとるか、とらないかしか、彼らの関心は向いていないといわれても仕方がないのではないか。
 
 では、民主党が政権をとれば、日本がよくなるのか。口を開けば「政権をとる」「政権につけば」の一本槍で、一体、だれのために、何をするのか、表立って明確にいえない(民主党マニフェストでは、改憲とか、増税とか、恐ろしいことを平然といっているし、国会でも超タカ派的なことをぬけぬけといっているのだが)政党が、敗れるのは当然ではないか。野党なのに、「野党と呼ばないで」という主張しかない。

 民主党敗北=共産党原因論は、マスコミが、さかんに小選挙区での共産党票のゆくえと煽りたてた結果、それを真に受けた人がいっているにすぎないともいえる。マスコミの意図的な「共産党票ゆくえ論」は、財界筋の願望(共産党を衰退させる目的)のもので、財界からカネをもらっている「朝日」「毎日」「読売」などの党派性を表したものにすぎない。

 今回の総選挙で、民主党は、自民、公明、共産など各党から集中攻撃をうけた。マニフェストで増税を主張しておきながら、選挙後半になって増税反対を厚顔無恥にものべたてたのだから、批判される理由はある。選挙が終わったら、敗因も分析しないで、ホイホイと松下政経塾出身の党首へと首をすげかえる。

 松下政経塾出身の神奈川県知事、横浜市長らが、どんな県政、市政を展開しているかをごらんになれば戦慄を禁じえないのではないか。松下幸之助の教えに忠実なことこの上なし。

 あまりにもヒドイ政治なので、今後、ファシズムを防ぐには民主党に協力せよみたいな意見も出てくるかもしれない。しかし、自民党が勝ったとはいっても、4割台の得票でボロ勝ちしているのだから、早晩、国民生活との激しい矛盾が露呈してくることは間違いない。民主の支持基盤が脆弱なのと同様、自民の支持基盤も脆弱なのだ。自民党と本当に対決できないところに協力しろといっても、それは無理というものだろう。
 

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2005/09/12

小泉教という宗教団体と化した自民党

 9月7日であったか、さいたま市内のホテルで開かれた自民党候補の個人演説会で、小泉純一郎の演説を聞いた。台風14号被害には一言も触れず、候補者のことをあれやこれやだらだらしゃべり、郵政民営化の話しかしない。なのに、会場は、「コイズミ~!」と「なんてたってア~イド~ル」のkyon2を思わせる絶叫があったり、「純一郎~!」といい年したおやじ、「純チャーン」とおばはんが叫ぶ。あの熱狂は、どこかで見たことがある。そう、公明党・創価学会の演説会である。
 小泉の演説が終わると、自民党埼玉県連幹部の「がんばろー」斉唱の呼びかけに応じず、ドッと人波が動いた。明らかに、小泉を見にきたものたちである。完全に主観的な見解だが、彼らは、何かにすがりたいという目をしていた。

 残念ながら、小泉純一郎の語りは、落語家の域に達してる。なんともしょうもない話題で、4年間で100兆円もの国の借金を増やしておいて、あれだけ聴衆をつなぎとめる、しかも肝心の郵政民営化では、ウソまでついて語りつづけるのだから、相当な技といわねばならない。教祖としての資格は備えている。事実かどうか以前に、教祖の語り、言葉を信じることは、擬似宗教の要素も備えつつある。

 自民と公明の連立で、自民党が学んだのは、池田大作的創価学会の手法だと思う。父なる自民党が、その子、公明党から教えをうけたのである。子・公明党は、自民党・田中角栄の指南もうけて誕生した政党であるが(これについては、元公明党幹部らの証言がある)、支持母体はいうまでもなく創価学会という門徒団体であった。現在は、破門されているので、そもそも宗教団体としての資格があるのかどうか、まったく疑わしい団体であり、フランスではカルト教団と見られている団体である。宗教法人なので税制上の優遇このうえなく、巨額の資金力(集金力ともいえる)をもつ。さらに、過去の選挙で「福祉の公明」とかいいながら、この間、年金の連続値上げやら、健康保険料値上げやらに賛成した。出産一時金を50万円に値上げせよと主張しているが、サラリーマン増税(消費税増税も含めて)で年50万円の負担増を企てようとしているのが自民・公明ではないか。

 ウソをついて政治をする手法は、自民党もやってきた(例えば、中曽根が「この顔がウソをつく顔に見えますか」といってウソをついたように)が、公明党の比ではなかった。しかし、郵政民営化についての小泉のウソ(郵政公社が国にお金を納めていないかのようなウソ)は、公明党級のウソである。

 もちろん、ウソだけで「多数」はとれない。小選挙区制というのは、4割台の得票で議席を獲得できるもので、カネもヒトも集める政権党に有利にできている。小さな地域全体の支持を集める必要がない。一部の支持さえあればいい。だから、当選した者の発言も傲慢になる傾向がある。なのに、当選者がその小さな地域を代表しているかのように世間的に錯覚させる。

 小泉政権というのは、小選挙区という魔法の杖に支えられ、ウソという魔法の言葉をあやつる創価学会と小泉教の信者たちの集合体である。小泉ポッターの呪文にだまされた人たちに支えられているにすぎない。そんなものが「日本」という地域を代表し、戦争ができる「国」にしようと、憲法を改変しようとしているというのは、おこがましいといわねばならない。「改革、改革」という呪文しかり。こんなに簡単にだまされていいのかなあ。

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2005/09/08

日本が壊れるとか、なんやそれ

 日本をあきらめないとか、改革を前へとか、改革を止めるなとか、揚げ句の果てに「日本は、このままではぶっつぶれる」と絶叫したり、まあ、好き勝手放題な言葉が巷に飛び交っている。一々、吟味してゆくと、意味不明な言葉ばかりである。「○○党をぶっつぶす」(本当は、つぶす気はまったくないことは明白)も同じ。

 日本が壊れるというときの、「日本」は、何を意味しているのか。あるいは、「改革を止めるな」というときの、「改革」は、何を指しているのか。よーーーーく考えた方がいい。悪態をつく関西人風にいえば、「壊れているのは、おまえらの頭の中身じゃろ、おんどれ」(「おんどれ」には「おんどりゃー」という活用語もある)というところである。

 とにかく、9月になると、大阪・岸和田の人間は、だんじり祭りのことしか頭にない。カンカン場で、いかにうまくやり回し(だんじりを鋭角的に方向転換させる)をするかとか、前梃子を担当するかっこいいおじさんたちは、だんじりと塀との間に挟まれないようにするとか、命がけなのである。だんじりの難度の高いポジションに携わる者は、いまから体調をととのえておかないと大変なことになる。だんじりの屋根で躍る大工方も、イメージトレーニング+実践を繰り返しているであろう。おそらく、岸和田の人間にとって、総選挙どころではない。死ぬか生きるか。365日の総決算の日が近づいているのである。今回の投票日は、だんじり(地車)の試験引きの日である。迷惑なのだ。祭りを前に、岸和田の人間にとっては、夜眠れないほど、わくわくする日を迎えるのだ。再び、悪態をつく関西人風にいうと、「なにさらしとんじゃ。ええかげんにせーよ」というところである。「ぜんぜん」が「でんでん」という言葉に変化する地域もあるので、ええかげんなことをいう連中にたいしては、「でんでんダメ」というところだろうか。

 というわけで、大阪・岸和田の人間には、「日本が壊れる」なんてあまっちょろい言葉は、通用しないのだ。脅し文句にもならない。14、15両日は、朝6時からだんじりを引き回し、壊れるのは、だんじりがぶつかる電信柱とか、屋根とか、バイク店の看板とか、そういう類なのだ。ぜひ、9月の14、15日は、大阪・岸和田へいって、だんじりの激突で、屋根瓦が落ちたり、電信柱をなぎ倒す様子を見物していただきたい。

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2005/09/03

光化学スモッグ

 さいたま市へ仕事で行った。途中の電車の窓から見えた風景は、1970年代をほうふつとさせるものだった。圧倒的なスモッグ。真昼間に、霧がかかったように、遠景を望むことができない。内陸部で、風のとおりが悪いためか、埼玉は暑い。2学期の生徒たちにも、目の痛みや、吐き気など、被害をもたらしている。すさまじいばかりである。埼玉の空を覆うスモッグ。めまいがしそうなほどだった。作家のカミュが、さいたまに現れたらなんと言うか。作家(過去形)の石原慎太郎が埼玉にあらわれたら、なんというか。

 すくなくとも、この35年間は、「公害」は、何も改善されていないのではないか。とくに、大気汚染。ぜんそく患者は増えているし、鳥や虫たちは、どんどん減っている。なぜ、「公害」という言葉を聞かなくなったのか。その代わりの言葉が、生まれたからだ。地球環境汚染とか、環境汚染、つまり、まるごと汚染されてきているということなのだー。

 しかも、しかも。さいたま新都心の駅前の無残なこと。巨大な廻廊のごとく、映画館やら飲食店が空母のごとく鎮座している。脇からみると、なんともつまらない建築であることか。これまた、すさまじいばかりの都市計画の失敗である。田舎に屹立する高層ビル。これまた、神奈川、千葉、埼玉に共通する風景なのだ。しかも「新都心」なんて、卑屈な名前をつけられて。横浜のみなとみらい、千葉の幕張新都心なんて、いつになったら都心になるのか。むしろ、港が見える丘公園とか、外人墓地とか、海浜公園とかの方が有名ではないか。無残な風景は、さいたまだけではないけれど、とくに、大宮駅からさいたま新都心にかけては、ヒドイ。一体、だれが、なんの権限で、こんなヒドイ都市計画をたてたのか。まちを分断し、空間を切り裂き、いびつな立方体を氾濫させている。無駄に歩かされる。行き止まりが多い。

 まちを見れば、政治がわかる。まちづくりは、政治そのものである。と、結論をもっていこうとしたけれど、ナチス・ドイツのヒトラーなんかは、都市設計、建築の青写真に熱中していた。彼も、その意味では政治家だった。でも、ヒトラーの描いていた設計図、絵は、人の姿のない寂しいものばかりだった。おそらく、日本の「新都心」の建築家たちには、まちづくりの発想が薄かったにちがいない。あるいは、お金をドンと積まれて、はい設計してくださいと無理矢理押しきられた建築家もいるのではないかと、想像してみたくなる。光化学スモッグが、30年も変わらないのと同じく、高層建築もまた、貧困な日本の文化を象徴している。本当の建築家がでてきたとき、日本の政治は成熟するだろう。

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