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2005/02/28

メキシコからの牛肉

 米国産牛の輸入再開問題は、ブッシュ米大統領再選の「公約」と絡んでいた。
 特定の大統領候補を応援したことがなかったアメリカの肉牛生産団体NCBAは、今回の大統領選で、初めて誰に投票するか決めたそうだ。肉で当選したブッシュ。そういえば、気のせいか、額に「肉」の文字が埋めこまれているようにも見えてくる。ライス国務長官が町村外相に、「何とかしてください」と泣きついたのも、ブッシュ公約実現の含みがあるのだ。

 また、ブッシュ再選を応援した小泉首相は、結局、輸入再開まで約束させられていたことになっているのである。
 ブッシュ陣営は、巧みにBSE問題を大統領再選キャンペーンに組みこんでいたことになるから、まあ、アメリカの選対責任者は抜け目がない。
 『週刊金曜日』1月21日号の和田泰明さんの記事に、大いに啓発されたので、感想を述べてみたい。

 初めに「輸入再開」で結論がある議論を、日本政府は今、国民に隠して展開している。まったく茶番である。しかし、自民党もあせっている。農水相が、全頭検査は世界の非常識なんて言い出したのは、その証拠である。
 彼らは、日本国民の世論が盛り上がらない現状を打開するために、署名活動やら、牛丼復活やらで、輸入再開へ日本国民を丸め込むために工作している。日本フードサービス協会が展開する輸入再開署名は60万人に達している。加えて、2月11日牛丼ゲリラ活動における吉野家150万食である。自民党筋からの食品安全委員会への「圧力」も日増しに高まっており、恐らく、審議はスピードアップされて、5月を待たずに結論が出るかもしれない。

 輸入再開推進団体の日本フードサービス協会(吉野家も、松屋も入っている)のホームページを見ると、アメリカの国旗に、肉の絵が描かれたページが出てくる。アメリカ人が見たら、ギョッとするのではないか。協会が、輸入再開を求める論拠は、アメリカのおいしい牛タンが食えない、牛丼に適したアメリカの肉が食えない、特定危険部位を除去すれば安全というものである。検査方法の具体的中身については、極力ふれず、なぜ、アメリカの肉に固執するのか、ひとつもわからない仕掛けになっている。

 現在、日本に輸入されている牛肉は、オーストラリア、ニュージーランドだが、『週刊金曜日』の和田さんの記事によると、メキシコからの輸入が増えているという。メキシコといえば、アメリカと地続きの、いわば、アメリカの「庭先」の国である。しかも、メキシコは2004年3月に米国産牛肉の輸入を再開している。そして、同年7月、韓国では、メキシコから輸入した牛肉の中に、アメリカの牛肉が交じっていたという。そのため、韓国では10月下旬までメキシコの業者からの輸入を禁止したらしい。

 つまり、メキシコから日本へ輸入されている牛肉の中にも、米国産牛が入りこんでいる恐れがあるというのだ。うーむ、なんたる失策であることか。知らずに食べてた米国産というわけか。アメリカ→メキシコとパスされて、日本というゴールめがけてシュートされる牛肉のかなしさよ。こうなれば、私自身、強固なゴールキーパーなるほかない。

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2005/02/27

ホリエモンかホリえもんか

 ライブドア社長のホリエモン、ホリえもんこと堀江貴文社長は、まさに「時の人」ですな。本日(27日)も、田原総一朗氏のインタビューを受けていますなあ。ただ、堀江社長が「差別されている」と弱音を吐き始めたので、そうとう、あせっているのですなあ。大丈夫かな。切羽詰ってテレビに出て失敗した辻元さんのようにならないと良いのですが…。
 確かに、外資から資金を提供されている企業は、ライブドアに限らずたくさん例があります。堀江社長は、ソニーの例をあげていました。さすが、他の企業を調べているのですな。日本の銀行だって、外資から資金が入っている。
 山一証券を買い取った米企業とか、みずほFGとか。
 コンドリーザ・ライス米国務長官が重役をしていたJ.P.モルガンから資金提供を受けている日本企業だってありますぞい。

 しょうもない話、ホリエモンかホリえもんか、表記が揺れていますが、ひとえに、これは、文字を変換するのが面倒くさい人と、面倒くさがらない人の違いではないでしょうかな。世の中は、二つの人間に分けられるということなのですか。
 ドラえもんからの派生説からすれば、「ホリえもん」が正しい。これは、「溜池通信」の吉崎氏をはじめ、理論派の主張するところです。相当な根拠(?)があります。
 しかし、いちいち、「えもん」と、ひらがなに変換するのが面倒くさい。これも、早撃ちブログでは、支持される説ではないでしょうか。「時は金なり」派といえるかもしれません。あまり、意味はありません。
 まあ、ホリエモンかホリえもんか。「本質的には変わってないぜ」という感じなのですが、どうでしょうか。

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ライスと牛肉

 アメリカでもブログは、さかんなのですな。なんでも、2008年に、コンドリーザ・ライスを大統領にしようなんて、ブログまであるのですから、どないなっとるんじゃいという感じですな。案外、2008年は、ジュリアーニと、ヒラリーとライスがアメリカ大統領選を争うなんてことも、なきにしもあらず。おや、ライスの追っかけブログまでありますな。物好きですな。怒った顔のライスばかり特集したページまでありますぞ。うーむ。あえて、リンクはしませんが…。

 話は、変わりますが、テレビ朝日系「朝まで生テレビ」には、かの有名な「溜池通信」の吉崎達彦氏が初出演されていましたなあ。「ねえ、山本さん」なんて、隣に座る自民党の山本一太議員に語りかけていたあたり、自民党と仲良しブレーンの一人なのですな。しっかり「溜池通信」で、朝生の裏話を披露しているあたり、期待どおり、サービス精神の旺盛な方ですな。「双日」のシンクタンクにお勤めですから、まあ、自民党と親しいのは当たり前なのですが、旧日商岩井からの伝統でしょうか。
 また、日本のネオコン学者、森本敏氏は、田原総一朗氏から、2プラス2のことを聞かれて、お茶を濁していましたなあ。相当なことを知っている様子。話してくれてもよさそうなものなのになあ。秘密にするところが、とにかく怪しい。

 で、またまた話は変わって、26日に仙台で、町村外相が講演したらしい。そこで、米国産牛の輸入再開問題、すなわちBSE(牛海綿状脳症、狂牛病)対策で、ライス米国務長官から「何とかしてください」といわれたことを明らかにしたそうです。新聞でも伝えられるとおり、アメリカの議員たちが、わあわあと日本に、さらなる圧力をかけはじめたのと軌を一にしてますな。おそらく、町村外相は、2プラス2の場で、ライス長官からの泣き落としにあったのでしょう。それで、日本の食品安全委員会は審議を迅速化する必要があると、講演でのたもうたそうですな。早く結論を出せと外相が圧力をかけている訳ですな。アメリカから頼まれたわけではないなんて弁解しているけれど、明らかにアメリカからの要求にこたえている訳ですな。
 また、島村農水相は、全頭検査をする日本のやり方は世界でも異常なんて、言っていますが、どないなっとるんでしょうか。無理が通れば道理がひっこむ発言は、勘弁してもらいたいものです。
 確かに、日本の焼肉業界の人たちは、困っているでしょう。しかし、アメリカの牛肉に固執しなくてもいいはずです。別ルートを開拓する努力をしていただきたいものです。
 日本の食品検査のやり方を変えてまで、輸入しなければいけない牛肉なんて、何なのでしょうか。アメリカの人たちも無茶なことはいわないで、あきらめて全頭検査に切り替えるべきですのう。日米友好のためにも、頼みますわい。

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2005/02/25

アドルノ先生の同時代人

映画監督の小津安二郎さん(1903~1963)は、T.W.アドルノ先生(1903~1969)と、同時代人だった。亡くなった年が違うだけ。小津さんは、60歳の誕生日を迎えた日に亡くなった。アドルノ先生は、誕生日の一月前、65歳で亡くなった。
 小津監督作品は、海外にも多数のファンがいる。小栗康平監督が小津映画を評した言葉がある。「劇を発展させない、場を主体とする、会話を物語に従属させない」。形式化された独自の「映画の文体」をつくりあげた。いわば、「自分はここからものごとを見る」と、立場をはっきりさせたところに、小津映画たるゆえんがあるだろう。人間の存在と不在を強烈に示すシーンには、たしかに独特のものがあると思う。
 しかし、「自分はここからものごとを見る」といえる独自な地点にたどりつくのは、容易ではなく、きわめて難しい。小津作品の「映画の文体」が、一朝一夕につくられたと誰も思わないだろう。小津監督が、いかにして彼なりの「劇を発展させない、場を主体とする、会話を物語に従属させない」に到達したかを知ることは、アドルノ先生の本を読み解くのと同じくらい難しい。
 その難しさの一端を知るために、試しに、ビデオカメラをもって、街へ繰り出してみよう。おそらく、ふつうは、漫然と風景を映しつづけるか、自分の関心のあるものをズームしたり、あちらこちらとカメラを向けつづけることになるだろう。せいぜい、何を映すかを選択したところに、自分らしさが残るだけである。映像を再生してみれば、そこには、「自分はここからものごとを見る」という高邁さのかけらもなく、ただ、移り気に、興味関心をもって映しまくるお馴染みの映像(つまり、圧倒的大多数の人が撮る映像)が残るだけとなる。記録映像としては、もちろん、貴重である。また、みずからの、みすぼらしい知的状況を示す映像としても貴重かもしれない。しかし、それが、他者の視線に耐え得る、「自分はここからものごとを見る」と主張できる映像になっているかとは、いえないだろう。とにかく、難しい。わがブログにも共通する問題である。
 退屈な映画は、ただ、話の筋を追うためだけにカメラが動く。映像で過剰な説明をする。「映画の文体」として、案外、素人が撮る映像と違わない。むしろ、優れた映画をどんどん見て、楽しみ、学ぼう。「自分はここからものごとを見る」といえるようになるためにも。

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2005/02/24

ライス長官の半生

 奇しくも、2月22日、アメリカで、コンドリーザ・ライス国務長官人形が発売された。いわゆるバービー人形みたいな感じで、日本におけるリカちゃん人形みたいなもの。魔除け代わりに買う人がいるかもしれない。ポリティカル・アクション・フィギュア(「政治的動体人形」とでも訳すか?)シリーズの一つで、すでに、ヒラリー・クリントン人形などがある。売り出されているところを見ると、本人の承諾をえているにちがいない。
 さて、このライス長官人形。見てのとおり、顔は、かなり美化されている。それに、あの、おでこが再現されているとはいいがたい。実際、ご本人の顔を見ると、赤塚不二夫さんの漫画に登場する「でこっぱち」に似ている。アフガンやイラクへの戦争など主導しなければ、知的な50歳の女性として尊敬されていたはずなのに、なぜ、国務長官などの政権中枢ポストに就くに至ったのか。
 ライス氏の半生は、アメリカ的には当然、マイノリティなアフリカ系アメリカ人のサクセス・ストーリーだ。しかし、座標軸を動かすと別の顔が見えてくる。悪の「帝国」に恋々とし、暗黒面へ落ちていったアナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー卿)の姿を彷彿とさせるものがある。
 予定に変更がなければ、3月下旬にも米国務長官として来日することになるので、少し、予備知識を蓄えておきたい。

 コンドリーザ・ライス国務長官の半生
1954年11月14日 アラバマ州バーミンハム(英のバーミンガムと発音が違うとの説)で生まれる。
1965年 アフリカ系として初めて、バーミンハム南部の音楽学校に通う。
1969年 コロラド州デンバーに引っ越す。人種差別をしない学校に通う。
1971年 高校卒業。デンバー大学へ。
1974年 デンバー大学を優等で卒業。
1975年 ノートルダム大学から行政学で修士号を授与される。
1981年 デンバー大学から国際研究で博士号を授与される。
 同年   27歳で、スタンフォード大学助教授(政治学)に就任。
1984年 『あてにならない忠誠 ソ連とチェコスロバキア1948-1963』を執筆。
1986年 『ゴルバチョフの時代』(アレクサンダー・ダリンとの共著)を執筆。
 同年~
1987年 米外交問題評議会の評議員を経て、国防総省の特別アシスタントに。
 同年   スタンフォード大学の準教授(政治学)に昇任。
1989年
~1991年 ブッシュ(父)政権で、安全保障会議のソ連・東欧担当シニア・ディレクター、安全保障問題担当特別アシスタント。
1991年 シェブロン社(石油メジャー)、トランスアメリカ・コーポレーション、ヒューレット・パッカード社に重役として参加。
1992年 共和党全国大会で演説。
1993年5月 スタンフォード大学教授に昇任。
 同年  9月 38歳で、スタンフォード大学副学長(provostなので学長かと思ったが、どうも違う。訂正します)に任命される。
1994年 ノートルダム大学理事に選ばれる。
1995年 『ドイツ統一とヨーロッパ再編』(フィリップ・ジェリコーとの共著)
 同年   J.P.モルガン(米財閥)の重役に。
1999年 チャールズ・シュワープ社(大手オンライン証券)の重役に。
 同年7月 スタンフォード大学副学長を退任。大統領選で、ブッシュ(子)候補の外交政策顧問を務める。
2000年 共和党全国大会で演説。
 同年12月 ブッシュ(子)から国家安全保障問題担当の大統領補佐官に指名される。
2001年1月 国家安全保障問題担当の大統領補佐官に就任。
2005年 米国務長官に就任。

 そのほか、ライス国務長官の大学時代の恩師が、オルブライト元国務長官の父親(チェコ出身)だったことが、彼女の人生の上で、決定的だったようだ。おそらく、そこで筋金入りの反共主義者になったのだろう。また、元国務長官のスコウクロフト氏の薫陶を受けたりした。なぜか、ライス長官の後任の国家安全保障担当の大統領補佐官のハドリー氏もロシア研究者で、スコウクロフト氏のお気に入りらしい。
 ちなみに、石油メジャー、シェブロン社の取締役だった時、シェブロン社は彼女の業績を称え、オイルタンカーに「コンドリーザ」と命名したという。また、日本にも、大学教授として何回か来ていて、防衛大学校で集中講義をしたことがあるらしい。
 以上、フィギュアスケートの得意なゴンドリーザ・ライス長官が、フィギュアの人形になったのを記念しての一考察でした。

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2005/02/22

コンドリーザ・ライス米国務長官

 日米安全保障協議委員会、いわゆる2プラス2について、けっこう、ブログに書きこんでいる人がいるので気がひけますが、あえて、きな臭い話はやめて、しょうもないことを書きこみます。そのうち、きな臭いことも書きますが、本日は、やめます。
 それにしても、パンチDEデートの縮小版みたいな2対2の話し合いなんて、だれが決めたのだろう。その4人の中で、紅一点、だんだん顔が怖くなってきているコンドリーザ・ライス米国務長官は、もともと旧ソ連・ロシアを研究していた人で、まあ、アメリカ人がソ連を研究するということは、その当時、敵を研究するということで、きわめて限定されるというか、政治的なことで、ええ、つまり、するってーと、なんだな、その、アメリカでは特異な存在、国家的要請にこたえてきた人物ということになります。おそらく早い時期から、だれかに見こまれてスカウトされていた可能性がありますな。 
 ライス長官は、一時期、大学で「ソ連学」を教えていたこともあり、石油関係の会社に関係していることもあったりで、なかなかの経歴です。趣味はピアノで、玄人顔負けだとの噂です。フランスへ行ったときに新聞で紹介されていました。アメリカでは、Condiの愛称で呼ばれているようですが、怖くて呼べません。
 そのライス長官の母は、ピアニストでオルガン奏者だったそうです。娘に、「コンドリーザ」の名前をつけたのは、楽譜にある演奏表現を示す用語、イタリア語のcon dolcezza つまり英語でwith sweetness の意味からとったそうです。うーむ。顔は甘くないけれど、名前は、やさしく、美しく、甘いというわけです。
 そこで、コンドリーザ・ライスさんを日本名に無理矢理に訳すと、「米優美さん」「米田優美さん」「稲田優美さん」あるいは「米田美子」「稲田優子」というところでしょうか。「米甘子」では、ポン菓子になってしまうので、さすがに無理があります。
 まさに、しょうもない話の王道をゆくようで申し訳なし。お後がよろしいようで。

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2005/02/19

特定危険部位

 アメリカ産牛肉にまつわる疑惑が再浮上している。いわゆるBSE(牛海綿上脳症、狂牛病)対策で、アメリカが、いかにずさんかを、アメリカ政府の食品検査官の労働組合議長が告発していることが紹介されている(「しんぶん赤旗」2月18日付)。いわば、アメリカ版国家公務員の内部告発である。

 告発文書は、次のようにいう。

 アメリカ政府がBSE対策、すなわち、月齢30カ月以上の牛について、BSEの原因物質プリオンが蓄積する脳、脊髄、目などの特定危険部位(SRM)を除去する対策を打ち出して1年たったが、食肉加工場では月齢30カ月以上の牛がきちんと識別されず、その特定危険部位が食肉にまぎれこんでいる。

 つまり、いま、まさに日米協議で妥協しようとしている点(月齢20カ月未満の牛の検査をやめるうんぬん)以前に、アメリカでは、特定危険部位が食肉にまぎれこむ事態は続いているわけだ。また、内部告発では、アメリカ政府が対策をとったからといって、実際の現場では、食品検査官になんの権限もあたえられていないし、外国から検査義務を要求されてもこたえられないとものべている。

 安全なアメリカ牛肉の輸入再開ならまだしも、特定危険部位をふくむアメリカ牛肉の輸入再開なんて、だれが望むのだろうか。もし仮に、今回の輸入再開が原因で、日本でのBSE被害が出たら、だれが責任をとるのだろうか。発症するまでに10年かかるから、10年がかりの「殺人」である。農水省が責任をとる、とらないの問題以前に、食の安全すら放棄してしまう「日本の安全保障政策」には、きわめて不信の念を抱かざるをえないのである。署名活動してまで求めるべきことだろうか。はっきりいって、現時点での輸入再開を求める吉野家の署名活動は、「食の安全」をないがしろにする行為である。なぜ、危険なアメリカ牛肉にこだわりつづけるのか。
 
 なか卯も、短期間限定で牛丼を再開した。吉野家の牛丼復活ゲリラ活動に乗り遅れるなという訳だ。日米安保条約の悪影響は、牛丼にまで波及している。いまこそ、食の「自衛権」を発動しようではないか。

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2005/02/17

肥満

 グラビアの関係で14日発売になった雑誌『世界』3月号(岩波書店)に、「食事の果てに待つのは肥満 マクドナルドが言わないこと」が掲載されている(275~279ページ)。ル・モンド・ディプロマティックからの翻訳で、筆者は、フィリップ・フローゲルと、カトリーヌ・スマジャ。
 それによると、マクドナルドは、映画「スーパー・サイズ・ミー」に対抗して、フランスでも一大広告キャンペーンをしているらしい。いわく、ビッグマックのセットメニューは987カロリーで、成人が1日に必要とするカロリーの35~40%にすぎないから、ビッグマックを忌み嫌うことは正しくないと主張しているそうだ。
 しかし、筆者のフィリップとカトリーヌの調査によれば、マクドナルドのカロリー計算のデータは30年も古いという。
 体を動かさなくなっている西欧の消費者が1日に費やす平均的エネルギーは、1800キロカロリー未満。ビッグマックを食べると、40%どころでなく、1日に必要なカロリーの半分以上を摂取してしまうことになる。
 そもそも、現代人は、1日300キロカロリー超過の状態だというから、マクドのハンバーガーを食うと、とてつもない超過になる。よくよく、北山耕平さんの『自然のレッスン』を読んで、人間本来の生活を取り戻すべく努めるしかない。

 かつて人間が1日に費やすエネルギーは、前史時代の遊牧民なら5000キロカロリー、19世紀の農民なら3000キロカロリーだったらしい。

 フィリップとカトリーヌは、政府が食品関連産業にたいして商品のカロリー量を制限するよう強制することが必要だと説く。そうすれば、肥満を抑制することになると…。
 菓子類、とくに、チョコバーなんかも、ステーキよりカロリーが高いものがあるのに、見た目は小さかったりするので、見かけ上、だまされてしまうらしい。余談だが、ライブドアのホリえもんさんも、スナック菓子類を好むらしいので、注意しなければならない。
 アメリカで、ダイエット用の器具が、発達するのも、さもありなんというべきか。毎日のように、マクドナルドで食べる人たちがいるから、驚く。ちなみに、千葉・幕張のテクノガーデンにあるマクドナルドが1日で1500万円超の売上げを誇ったのが1990年代前半。いまだ破られない日本記録である。この事例から、日本のマクドナルドのピークは、バブル経済の頃だったのではないかと思う。しかし、バブル期に、ジャンクフードで太らされて、その一方で、今、ダイエット用の商品を売りつけられているのだから、みじめである。そのうち、肥満でわかる日本経済みたいな本が登場するかもしれない。うーむ。

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2005/02/16

吉野家牛丼食べそこね組

 吉野家牛丼(略して「吉牛」。朝日新聞だけが、見出しで「吉牛」を使っていた。やはり、記者たちが、東京・築地市場にある吉野家で牛丼を毎日食べているためか…)が展開した、いわゆる2月11日の乱、はたまた、「建国記念の日」に乗じた牛丼ゲリラ活動は、かなりの反響を呼んでいるらしい。まもなく離日する米大使のベーカー氏までが、コメントを出すくらいだから、日米合作の謀略ではなかったかと少し疑念を抱いている。あるいは、反米感情の高まりを警戒するCIAが暗躍していたのかも。アメリカ大使館の人たちも食べにいったのだろうか。知りたいところだ。われながら、謀略史観大好き人間なので、妄想は膨らむばかりだ。
 2月11日の乱は、歴史の年表に、社会的事件として書きこまれるだろうか(まあ、無理かも)。かくいう筆者も、恥ずかしながら、本当は、食べたいと思っていた「吉野家牛丼食べそこね組」である。吉野家の牛丼は、隠し味に白ワインを使っており、ほのかなアルコールが混入している。アルコールに弱い人間は、牛丼を食べるだけで、体が少し温かくなる(信じてもらえないかもしれないが、超微量なアルコールを感じるのである)。
 当日は、隙あらば、食べようと思っていた。しかし、家族サービスで忙しく、2歳の子がようやくチョキ、いわゆるVサインができるようになったことも手伝って、それを喜び、公園を走りまわり、滑り台を滑り降り、親馬鹿丸だしで、のほほんと過ごしてしまった。帰宅後、テレビのニュースで、売りきれ御免騒動の顛末を知った次第。車がつっこんでも営業を続けた大阪の店の商魂たくましさには、「やっぱり、大阪や」などのつぶやき(あるいは、心の中で叫んだり)をした人も多かったのではないか。店もそうだが、人間もそうだ。壊れた店に行列をつくっていた。どうなっとるんじゃい。
 毎日新聞は、店への車の突入に巻きこまれて負傷しながらも、病院から、その牛丼店に再びかけつけた人の声をフォローしていた。しつこい取材。食べにきた人もしつこい。「吉野家牛丼食べそこね組」は、2月11日を屈辱の日として記憶し、反省せねばならない。
 アメリカや外国で展開する吉野家では、当然、牛丼を食べることができるようだが、BSE疑惑で、輸入を中断している日本で、なぜ、そこまでして、アメリカの肉にこだわらなくてはいけないのか。なぜ、和牛ではダメなのか。オーストラリアの肉ではダメなのか。なぜ、中国の牛肉ではダメなのか。そういった情報開示が少ない。どうも、アメリカ牛肉の特定の部位が、牛丼に向いているのが理由らしいが、本当にそうなのだろうか。では、中国の牛肉で「牛めし」を展開している松屋は、何なのだろうか。
 吉野家の店舗は、全国と海外含めて1256(2004年11月現在)。松屋は、いまだ1000店舗に達していない。牛丼の代名詞の地位は、販売していないとはいえ、明け渡すまでにいたっていない。なぜならば、松屋には牛丼を食べにくる行列はできないからだ。お客は、正直である。
 ファストフードでは、マクドナルドというグローバルなガリバー企業があるが、映画スーパーサイズミーの影響もあって、最近は、カロリー表がランチョンマット代わりに使われる始末。頭の中で、カロリー計算しながら食べると、なんだかおいしくない。マクドナルドが牛丼に乗り出したら見物だと思っているが、どうも、和食化する気配がない。営業努力が不足している。
 今回の2月11日の乱は、マスコミも巻きこんだ吉野家の計画的な作戦勝ちというところだろう。時期的にも、アメリカ産牛肉の輸入再開へ動き出すニュースと重なっていた。アメリカと吉野家の不思議なつながりを見ると、アメリカの軍艦が来ても歓迎する右翼との類似を感じる。ほんとうの「右翼」なら、和牛で、どんどん牛丼を売り出してほしい。国産牛の牛丼が食いたい。高くても許す。築地だけで売るなー。おーっ!

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2005/02/15

日々是、反省

 なんの因果か、ブログにはまってしまって、その揚げ句、コメントを書いてくれていた人を怒らせてしまった。誠に申し訳ない。当方が、カッカしてしまったのが失敗の原因である。いろいろと知りたい欲求、知的好奇心の範囲では、議論は、大いにした方がよい。疑問をいろいろと提起され、議論することは、大事なことだと思う。すぐに正解など、見つかる方がおかしい。いろいろと考えることこそが楽しいのである。通常の文部科学省的な学校教育では、疑問をもつこと、懐疑的な態度を維持することは、難しい。相手を知っていても、メールのやりとりやブログでは、エスカレートしやすい。会話で聞き流すような話が、メールやブログでは文字になってしまう。読み返すと、余計に怒りが増幅されるのである。いけない、いけない。
 とはいえ、あの「セロ弾きのゴーシュ」のように、各方面からいろんな意見、注文を寄せてもらえる方がしあわせなのかもしれない。余談だけれど、ゴーシュには、「左」の語義があって、宮澤賢治が、どういう意図で、この名前の主人公にしたのか、いろいろと説はあるようだ。また、ゴーシュにセロ、すなわちチェロを教えたモデルが、斎藤秀雄さんという音楽教師だったのではないかとの説(噂の真相的な域をでないが…)がある。斎藤秀雄さんは、指揮者・小澤征爾さんの先生で、サイトウ・キネン・オーケストラに名を残す高名な音楽教師。評伝もある。ちなみに小澤征爾さんの父親は、小澤開作氏で、「満州国」では有力者だった。征爾さんの名前には、板垣征四郎の「征」と、石原莞爾の「爾」が刻まれているのも、歴史を感じさせる。
 「満州国」つながりでいくと、映画監督・山田洋次さんも満州育ち。親戚筋は、満州の偉い人で、満州某重大事件、すなわち張作霖爆殺事件に遭遇した。その親戚筋の話によると、張作霖が乗る列車の爆破前、政府の要人たちがゾロゾロと列車から降りるのを見たという。
 「満州国」は、そんなに昔の話なのだろうか。それに南京大虐殺も。アジア・太平洋戦争も、膨大な記録映像が残されている。少なくなってきているとはいえ、いまも、当時の歴史を知る人たちがいる。私の父も米軍のグラマン機に追い回され、B29の空襲に遭った。身近な人たちの戦争体験を聞き、それを語り伝えるべきだと思う。日々是、反省である。
 
 

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2005/02/14

「未来って何ですか」

 郡山総一郎さんの『未来って何ですか』を読んだ。2001年からフォトジャーナリストになったという。今年34歳。その前は、トラックの運転手をしていたそうだ。
 イラク、パレスチナ、パキスタンをはじめとする紛争や貧困地域の子どもたちの写真が、眩しい。写真を、じっくり見ると、郡山さんの眼差しに気づく。パレスチナの破壊された住宅の瓦礫の中で、座りこむ子どもの姿。瓦礫から鉄筋が至るところに飛び出し、ねじ曲がり、人々の怒りを代弁しているようにも見えてくる。頑丈な家を破壊する砲弾のすさまじさを知る。ちぎれた手の写真もある。しかし、郡山さんが、こだわるのは、子どもの姿だ。
 子どものことに触れている大思想家はルソーをはじめ、たくさんいる。子どもの写真をとるジャーナリストもほかにいる。しかし、なぜ、子どもの写真を撮りつづけるか、突き詰めて考える人は少ない。
 ご存じのとおり、郡山さんは、イラク日本人人質事件の当事者だった。渦中にいて、撮る側、撮られる側の問題を、深く考えさせられたという。タイのHIV感染の子どもたちの写真は、施設で働きながら撮ったものだ。フィリピンの子どもたちの眼差しも温かい。
 人と人とが、お互いを知ろうとし、好きになること。そのことを自覚しはじめてから、郡山さんの写真に変化が表れたような気がする。平和もその延長線上にあることを、説得力のある写真で教えてくれる。反省を迫られる1冊である。

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2005/02/12

扶桑社本の落とし穴

 扶桑社の「新しい歴史教科書」をめぐるたたかいは、新たな展開をみせている。
 日本、中国、韓国の大学教授らが組織する「日中韓3国共通歴史教材委員会」が、3カ国で共同編集した歴史教材を各国で、今年5月に同時出版することを明らかにした(1月28日)。内容は、次のようなものだという。

 『東アジアの近現代史』
 序章  開港以前の日中韓3国の状況
 第Ⅰ章 開港と近代化
 第Ⅱ章 日本帝国主義の膨張と中韓両国の抵抗
 第Ⅲ章 侵略戦争と民衆の被害
 第Ⅳ章 戦後の東アジア
 終章  東アジアの平和を求めて
 出版社:高文研(日本)

 おそらく、藤岡信勝ら「新しい歴史教科書をつくる会」のグループは、いまから、この歴史教材を批判すべく、てぐすね引いて待っているのだろう。なにしろ、扶桑社の歴史教科書に対抗してつくられる本なのだから。
 しかし、「新しい歴史教科書をつくる会」に同調する人たちが、いちゃもんをつければつけるほど、自分たちが、侵略戦争を擁護する人間であることを世間に明らかにするだけだろう。
 
 例えば、疑問の多い扶桑社の歴史教科書は、「満州国」建国の調査にきたリットン調査団について、次のように書く。
 「リットン調査団の報告書は、満州における不法行為によって日本の安全がおびやかされていたことは認め、満州における日本の権益を承認した。一方で、報告書は、満州事変における日本軍の行動を自衛行為とは認めず、日本軍の撤兵と満州の国際管理を勧告した。日本政府はこれを拒否して満州国を承認し、1933年(昭和8年)、国際連盟を脱退した」
 
 扶桑社本で、リットン調査団報告書が「満州における日本の権益を承認した」などと書いているが、果たしてそうか。割合に懐疑的な人でも、こういう叙述にだまされるから、注意が必要である。
 では、リットン調査団の報告書は、どう報告していたのか。国際連盟事務局公定訳の『国際連盟日支紛争調査委員会報告書』(1932年、日本評論社)の表記方法は古めかしいので、一部ひらがなに改めると、次のように報告している。

 「恐らくは世界の如何なる地においても、かかる状態に照応するような事態、すなわち、一国がその隣接国の領土内において、かかる広汎なる経済的および行政的特権を享有するがごとき事例は存在しない。かかる状態は万一、それが両当事者によって自由意思をもって希望され、または承認されたとするならば、その時こそ不断の係争を惹起(編注・ひきおこす)することなくして持続され得べきものである。しからざれば、それは経済的ならびに政治的分野において熟考されたる密接な協力政策の徴候であり、それの具体化されたものである場合に限り、事なくして続けられ得るのである。しかし、かかる条件を欠くとするならば、その結果は、ただ軋轢(あつれき)と衝突に終わるほかはないのである。
 二、満州事変における日支(編注・日本と中国)間の基本的利害の衝突
 シナ人は、満州をシナの構成部分と考え、満州を他のシナから切り離さんとする如何なる試みにたいしても、深く憤激してやまない。今日までこれら東三省はシナ側からも、また、外国からもシナの一部と考えられてきていた。しこうして、この地におけるシナ政府の法律上の統治権については問題となったことがない。このことは他の国際条約におけると同じく、多くの日支間の条約および協定に証明されているところである。日本を含めての諸外国の外交官庁の発した公式の声明に繰り返されてきたものである」(同書73ページ)
 
 「現在の政権(編注・満州国)は純粋かつ自発的なる独立運動によって生まれ出でたものとは考えられない」(同書204ページ)

 リットン調査団報告書は、満州における日本の権益など承認していない。むしろ、万一、満州にたいする日本の権益を承認すれば、「不断の係争」が続くこと、すなわち、日中全面戦争につながることを警告していたのである。さらに、満州(中国・東北部)が、国際的にも中国の領土であることについて、日本に注意を促していた。当時の帝国主義戦争の時代ですら許されない異常な支配であることを告発しているといってもよい。

 実際、日本軍は、リットン調査団にも、ある謀略をおこなってさえいた。昭和天皇の弟、三笠宮崇仁氏(歴史学者)が著書『古代オリエント史と私』で、こんなことを書いている。
 「…ある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかったと語っていました。『聖戦』のかげに、じつはこんなことがあったのでした」
 
 エピソードが豊富な扶桑社の歴史教科書も、この話は収録していない。ぜひ、収録すべきだと思う。

 ウソが書かれた歴史教科書で、歴史を勉強することは、きわめて有害である。事実の中にウソをまぶす騙しのテクニックで、われわれを「錯誤」の世界へと誘った上に、何が本当であるか見えなくさせる。文部科学省が教科書検定で合格にしたからといって、教科書の内容が正しいわけでもなんでもない。
 NHK教育テレビで、安斎育郎氏が指摘していたが、①判断の主体を放棄しない②合理的なものかどうか吟味③懐疑的になることが、だまされないための秘訣だそうだ。
 だまされないためにも、疑問を乱発するのは良いが、その前に、まず歴史を知る必要がある。順不同でいえば、1928年の戦争放棄に関する条約(パリ不戦条約)から日本国憲法第九条に至る歴史など、人類が戦争を違法化してきたことを真剣に学ばねばならない。石原莞爾が、扶桑社本ですら日本軍の謀略と認める「満州事変」に関与していたのは歴史の事実である。また、19世紀末、アメリカの国務長官が、中国に門戸開放、機会均等を求めたことを例に、アメリカも中国侵略の一翼を担っていたようにいうのは、明らかに間違いである。経済での勢力拡大と軍事力での勢力拡大を、ごっちゃにしている。日清戦争後、日本の中国侵略が突出していたことついては、中国の人に聞いてみればよい。歴史を知るということは、今の中国の人たちとも、おつきあいをすることだと思う。アメリカうんぬんの問題ではない。
 南京大虐殺について、日本軍がなぜ、あれだけの人々を殺したかといった、逆立ちした質問も出されている。こちらが聞きたいくらいである。本当に愚かなことをしてくれたものだ。答えを知りたければ、中国人を殺した人々に聞けばよい。この質問にたいしては、『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店)という決定的な本があるので、ぜひ、読んでいただきたい。
 日本が、いま、殺人事件の頻発する殺伐とした国になってきているのは、侵略戦争への無反省と無関係ではないと、私は、ひそかに疑っている。

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2005/02/11

コメントに認証がいるとは…

 拙者、トラックバックしていただいた方への返礼に、コメントを書きこもうとしたら、ログインしないとダメという表示がでた。ライブドアのブログ。ライブドアのIDなんぞを取得しないとダメらしい。あんまりである。残念!切腹!
 ホリエモンさんが、ニッポン放送の大株主になったことが話題ですが、ライブドアは、もともと企業買収・合併の、いわゆるM&Aで成長してきた会社。いわば、本業での、ひと勝負ですね。しかし、ニッポン放送につながるフジサンケイグループといえば、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を出版している扶桑社の親グループ。東京都内の中高一貫校が、この教科書を採用したことでも知られる。
 ホリエモンさま。くれぐれも、右翼的かつ反動的潮流の片棒をかつぐようなフジサンケイグループに、呑み込まれないように気をつけてくだされ。どうせなら、扶桑社も買い取ってほしいですな。

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2005/02/10

なぜ、日本軍は南京へ行ったのか

 「なぜ、日本軍は南京へ行ったのか」。南京大虐殺「否定」派が、沈黙しつづけるこの質問に答えることは、そんなに難しいことではない。しかし、彼らが沈黙しているのは、この問いをつきつめていけば、侵略戦争の本質を語ることになるからである。関心のある方は、故・江口圭一氏の『十五年戦争研究史論』410ページに目を通されるとよいだろう。
 日清戦争、「満州事変」、華北分離、日中戦争とつづく歴史を顧みれば、答えは得られる。聞く耳をもたない人に説明することは難しいが、たとえば、石原莞爾らの戦争計画を見ていただきたい。中国侵略どころか、世界支配まで予定していたのだから恐れ入る。南京事件は、一連の対中国侵略の中でも頂点をなす出来事だった。
 日中戦争以前から、日本軍は、中国・東北部を拠点とする軍閥の要人を爆殺し、国際連盟から脱退し、ドイツのヒトラー、イタリアのムソリーニなどと日独伊防共協定を結ぶ国だった。1922年以後、戦争放棄の国際条約が作られ、戦争そのものが違法化される世界の流れのなかで、国際世論を無視して中国・東北部への侵略をつづける国だった。しかも、清の最後の皇帝を連れてきて、日本のいうことをきく「国家」を勝手につくりあげることまでやった。
 ことの異常さを理解するためには、試みに、逆に考えてみればよい。中国が日本の天皇を連れてきて、勝手に国家をつくったなら、どうなるかと…。
 「満州国」については、ラストエンペラーなどの映画でも、その一端を知ることができるだろう。日本国民(当時は、臣民)に対して、「満蒙は日本の生命線」だ、なんだと宣伝して、反省するどころか、侵略を合理化したのである。

 1937年当時の新聞にも、「祝・敵首都南京陥落」(「東京朝日新聞」)との大見出しが掲げられているとおり、中華民国は「敵」であり、当時の南京は、中華民国の首都だった。大日本帝国は、中国東北部への支配を強め、1937年の盧溝橋事件を契機に、宣戦布告もなしに、ずるずると戦争拡大を始めた。その戦争の表向きの理由たるや、日本のいうことをきかない中国を懲らしめるという理屈だけである。そして、同年12月13日、南京を「陥落」させたのである。
 この当時、天皇制政府下の臣民への軍国主義教育は、徹底していて、大日本帝国内では、そもそも、治安維持法などを使って反戦運動を弾圧していた。この点が、現在と異なる。世が世であれば、「アドルノ的」の筆者などは、たちどころに牢獄に放りこまれ、拷問で殺されたであろう(あるいは、小者だから、生き延びたかも)。

 イラク戦争でも、最後は、首都バグダッドへの侵攻、陥落で、戦争終結宣言をしたように、首都陥落は、相手の政府を打ち倒す意味をもっている。しかし、実際、打ち倒すことにならなかった例が、日中戦争だった。
 南京大虐殺「否定」派は、中国側が降伏勧告を拒否して逃げたから南京事件が起きたみたいなことをいっているが、故・江口氏の『十五年戦争研究史論』で鋭く指摘しているとおり、「強盗に押し入った者が、おとなしくしろといっても応じないので殺傷に及んだ、と開き直るに等しい」。
 
 それにしても、南京大虐殺と、イラク・ファルージャの虐殺とは、戦争のなんたるかを示してあまりある。

 イラク戦争後、『国防』なる本を出した前防衛庁長官の石破茂氏などは、イラク戦争での民間人虐殺に一言も触れず、逆に、自衛隊派兵の理由の第一に、イラクの石油エネルギーに日本が依存していることを挙げている。派兵は国益にかなうからだと主張している。なかなか、正直な人である。しかし、中華民国を侵略した大日本帝国は、日本軍を中国大陸に送りこんだ本当の理由を隠した。中国の市場や資源を獲得すること、さらに中国共産党を打倒するのが、戦争の目的だった。また、中国で栽培したアヘンを密売して多額の収益をあげることまでやってのけた。かの安倍晋三氏の祖父・岸信介も、こうした歴史にかかわっていた。

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2005/02/09

前提をすっとばす議論

南京大虐殺の有無を検証するものではないというふれこみの『南京事件「証拠写真」を検証する』の著者、東中野 修道氏は、これまでも、南京大虐殺否定本を次々と出してきた。そして、なぜか、いつのまにか、日本「南京」学会なるものが設立され、なぜか、いつのまにか、会長に就任している。なんなのだ、この「学会」は?
 東中野氏の略歴を見ると、次の如くである。1947年(昭和22年)、鹿児島県生まれ。鹿児島大学法文学部卒、大阪大学大学院博士課程修了。亜細亜大学教授、文学博士。西ワシントン大学客員教授、ハンブルグ大学客員研究員を経験。日本「南京」学会会長 。…
 アマゾンのホームページでは、なぜか、「新しい歴史教科書をつくる会」会員であることは極力、伏せられている。南京大虐殺は、1937年。東中野氏が生まれたのは、1947年。南京事件の10年後に生まれた人物によって、いま、奇妙なかたちで、歴史論争が再燃しつつある(再燃しないかもしれないけれど…)。
 また、アマゾンのホームページでは、南京大虐殺の本について、「本多勝二」なるペンネームをもつ人物が、次々とウソだ、「虐殺派」は中国の手先だ、はたまた、ジョン・ラーべは中国の工作員だ、などと、ギター侍よろしく、めった斬りである。もう少し、謀略的な匂いがしないペンネームにすればいいのに、本多勝一氏憎し丸出しである。
 他の「ウソ派」の皆様も、同じアマゾンで南京大虐殺本への執拗な攻撃を展開しており、文章の最後は、ご先祖さまには申し訳ないなどと、必ず締めくくりの言葉をのべる。決まった修辞があるかのようである。
 それでは、あの侵略戦争に誇りをもてというのだろうか。
 むしろ、ご先祖さまに申し訳ないのは、いま、戦争する国へ突き進む動きに、大きく歯止めをかけることができない現状についてである。かくいう「アドルノ的」の筆者の曽祖父は日露戦争に、祖父や伯父はアジア・太平洋戦争に徴兵され、兵隊として参加している。みんな生きてかえってきたが、だれも、あの戦争がよかったなどとは、いっていない。
 死人に口なし。「ウソ派」の方々は、巧みに「ご先祖さま」を持ち出して、尊い命を捧げたご先祖さまを侮辱するのかと脅しにかかる。「英霊」に申し訳がたたないらしい。では、「英霊」とはなんぞや。死人に口なしどころか、死者たちは、実に雄弁である。歴史家たちが、死者たちの姿を現代に甦らせる。そこには、「大日本帝国」のむごい仕打ちで飢え死にした兵士たちの姿があり、学徒出陣で亡くなった人たちの姿がある。殺人鬼にさせられた兵士たちの姿がある。人を殺すのが「英霊」なのか。命をすすんで投げ出すのが「英霊」なのか。
 不思議なことに、南京事件「ウソ派」は、なぜ、中国・南京に日本軍がいたのか、その理由、その前提すら理解していないようなのだ。恐るべし。揚げ句の果てに、中国の兵士たちが、南京の民間住宅にまぎれこんでいたから悪いのだ、などと、あべこべの議論を展開する。
 イラク戦争の口実とされた大量破壊兵器のウソだけでも、もうコリゴリなのに…。

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2005/02/05

滑稽な本

 『話を聞かない男 地図を読めない女』を出しているのは、主婦の友社でした。草思社ではありません。訂正いたします。われながら、「話を聞かない男」の典型なのかもしれない。
 草思社が出した『南京事件「証拠写真」を検証する』を、『週刊文春』や『週刊新潮』が、なぜ、いっせいに紹介しているのか。それぞれ、文藝春秋、新潮社と、出版社系の週刊誌なので、他社の本を、本の紹介以外で紹介するのは珍しい。誠に寛大なココロをもっていると感心する。
 さて、両週刊誌が話題にしている本の著者、東中野修道氏は、南京大虐殺後の中国国民党中央宣伝部による宣伝工作を批判したいらしい。南京大虐殺の写真ではないと否定しながら、逆に、アメリカ人の撮影による、日本軍の重慶空襲の悲惨な写真であることを証明するなど、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーにしては、「自虐的」なまでに日本軍による残虐な仕業を明らかにしている。もっとも、日本軍の空襲が原因による「死」を「事故死」と称するなど、無反省な点は変わりない。写真を紹介すればするほど、多面的に、日本軍の侵略、戦争犯罪が浮き彫りになるだけである。
 東中野氏には、日本軍兵士が撮った「南京事件」に関する写真も、ぜひ検証していただきたい。それでこそ、本のタイトルにふさわしくなる。この点は、出版社の編集者にも責任がある。
 さらに滑稽なのは、『週刊新潮』が、この本をうけて、中国政府に抗議せよと主張していること。中国国民党は、その後、台湾へ移ったのだから、台湾に抗議すればいい。このままでは、中国政府から逆に抗議されるだろう。

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2005/02/04

どうした草思社

 新聞の朝刊広告および週刊誌の記事などに、いっせいに、南京大虐殺の写真が、ねつ造であるとする本の一大宣伝がなされている。本の執筆者は、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーで、侵略戦争の事実を、自虐的などといって覆い隠し、戦争する国への転換を後押しする者たちである。本宮漫画にも圧力をかけて、掲載中止の事態を引き起こしたりしたグループにつながる。3年もかけて、研究したというが、本当か。
 驚いたのは、草思社から、侵略戦争を否定するような本が出版されたことだ。草思社といえば、本のタイトルで、凝ったりして、売上げを伸ばしてきた出版社で、河出書房新社にいた編集者が独立してつくった。どちらかといえば、ノンポリ、ハウツー、知恵袋本を得意としてきたはず。
 時節柄、教科書の採用を決める時期だったり、従軍慰安婦問題で、自民党とNHKの蜜月ぶりなどが暴かれたりしているだけに、草思社が、南京大虐殺は怪しい的な本を出すことは、侵略戦争大好き勢力を喜ばせることにもなる。ひいては、草思社に信頼を寄せてきた読者に、「おや」と思わせることにもなる。何があったのか。
 本の宣伝では、写真に写る兵隊の靴の先の向きがおかしいとか、なんやかやと書いているが、よく見ると、靴の先の向きは、全然おかしくない。本の執筆者たちは、「怪しい、怪しい」の大合唱で、そのように見るように仕向ける手口である。
 歴史学では、この種の写真は、南京大虐殺に参加した兵士らが、上海の写真館で現像を依頼した際に、写真店の店主が抜き取って保管していたことが、突きとめられている。兵士たちは、記念に、その種の残虐な写真をもちかえっていた。兵士たちが、自分たちで現像したのなら、いざ知らず、外部に委託して現像・プリントしているのだから、流出するのは、避けられない。写真のみならず、日本軍兵士たちは、日本の家族へ書き送った手紙のなかに、中国人を殺したことを告白している。この事実は、1990年代に出版された地方都市の市史にも記されている。しかも、検閲を通りぬけて、家族のもとへ届いているのである。
 また、南京大虐殺は、ナチス・ドイツ下のラーべら外国人も目撃した歴史的事実である。作家・石川達三氏の「生きてゐる兵隊」を読めばよい。
 NHKが従軍慰安婦および天皇の戦争責任番組を改竄したのと同じく、草思社が、南京大虐殺の事実を改竄するような本を出版したことは、知を担う出版社としては致命的な誤りである。改めて、何があったのかと問いたい。

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2005/02/03

2歳の子ども

 昔、小学校で、「僕は2歳」とかいう映画を見せられた記憶がある。俳優の宇津井健さんが父親役で、2歳の子どもが一人で旅をする映画である。確か、離れているところにいる父親に会いにゆくような設定だったと思う。かなり、記憶があいまいである。ペプシの看板を、2歳の子どもは、父親の居場所と結びつけて記憶しているらしくて、クライマックスのシーンに登場する。昔は、コークやペプシの看板が至るところにあったのだ。実話だとか、なんとか、担任の先生がいっていた気がする。
 今、自分の子どもが2歳で、果たして、そんな「旅」などできるのだろうか、と観察しているが、確かに、放っておくと、あらぬ方向へ歩き出して、どこかへいってしまいそうな雰囲気もある。かといって、すぐに「だっこ、だっこ」と叫んで、歩くのをいやがる。実際、「旅」などとは程遠く、自宅マンション前の道路で、たちまち車にはねられる危険もある。誘拐されて、どこかに売り飛ばされる危険すらある。時代は、変化した。
 2歳の子ども自身の記憶は、あるのだろうか。どうも、あるような、ないような。3歳ぐらいからは、どうも記憶があるような。写真を見て、記憶を補正している節もある。言葉と記憶は、分かちがたく結びついている。最近は、頭の中の映像と記憶になってきているのではないか。映像を言葉に置き換えてゆく訓練などは、何歳ぐらいからできるのだろうか。夢を見ることと結びついているような気もする。
 しかし、「僕は2歳」なんていう映画を、のちに「親」となる小学生(当時、つまり私)が見たことで、育児のうえでは、はなはだしいギャップが生じるのである。あのころは、「親」になると思って、映画を見ていなかった。この、感覚をわかってもらえるだろうか。

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2005/02/02

街の変化

 東京都内の、ある駅近くの街の変化を見てみましょう。

 ラーメン店→居酒屋
 写真店→とんかつ定食の店
 どんぶり店→ラーメン店
 居酒屋→焼肉店

 少し前の時点、近くの別の場所で、
 銀行→コンビニ
 ケーキ店→写真店
 とんかつ店→ラーメン店
 薬局→立ち食いそば店
 ファーストフード店→定食店

 どうも、似たような店舗で、ぐるぐる回っているような気がしないでもありませんが、ある特徴が見てとれます。デジタルカメラの普及に伴う写真店の減少、銀行支店の統廃合による街の変化です。ケーキ店も確実に減っています。帰宅時に、ケーキを買ってかえる人は、ほとんどいません。都会では、「絶滅危惧種」です。JRの駅ホームから、イスが次々と消えているような、ちょっとした変化ですが、けっこう、影響があります。とんかつ店とラーメン店は、開店したり、閉店したりという感じ。ラーメン店の栄枯盛衰は、ものすごく早い。とんかつ店には、街に対する一定の比率のようなものがあるのかもしれません。しかし、これから消費税が上がったりなんかすると、もう外食なんてする気がしなくなるような…。家やマンションを買われる方も、消費税は大変な重荷になります。お~寒っ。

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