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2004/11/28

電通と政治

 『週刊金曜日』の集中連載、「電通」の正体が、7回目にして、ようやく、政治との関係に到達した(11月26日号を参照のこと)。いよいよ、本丸に突入である。マルクス風に言えば、「ここがロドス島だ」というところだろう。自民党は、『週刊金曜日』編集部のアンケートに対して、「戦略上の理由から」取材拒否だそうだ。それほど、電通と自民党は、深い仲ということだ。

 最近の国政選挙における自民党のPRを見ればわかる。いかにも、広告会社の発想しそうなしょうもない演出が増えている。およそ、政治をよくしようとか、まじめな考えとは無縁で、有権者をバカにしきっている。例えば、なぜか、お江戸の火消しになった候補者たちが、「おう!」とかなんとかいって、複数集まって、気合い入れているシーンがあった(千葉選挙区)。衣装の調達から、言葉まで、すべて、アホな電通の考えそうな台本にしたがって、自民党の候補者は、政見放送に登場していた。なんの政治的アピールもない。ただ、勢いだけを印象づけるという「戦略」である。自民党が、「戦略上の理由」で隠すまでもなく、電通の関与はバレバレである。頭隠して尻隠さずとはこのことである。どうぞ、しょうもない政見放送を量産して、有権者をあきれさせていただきたい。

 今回の記事によれば、小泉首相のワン・フレーズ・ポリティックスをアドバイスしたのは、電通だという。いまや、首相のコメントまでプロデュ-スする。そういえば、汐留の電通本社ビルにある飯屋で、小泉が他の政治家らと会食していたことがあった。首相動静に出ていた。当然、電通の手のものたちも、同席していたに違いない。
 
 『週刊金曜日』の記事を紹介しすぎると、営業妨害になるので、やめておこう。取材記者たちの苦労に頭が下がる。ガリガリと岩盤を砕くような取材風景が目に浮かぶ。それだけ、記事もゴツゴツしていてよろしい。あっぱれ。
 

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2004/11/22

鬼の仮面

 小泉改革のもとで、毎年3万人の自殺者が出ている。イラク・ファルージャでの米兵の死者よりも、多い。イラクの人たちも何万人かが亡くなられている。戦争とは殺人の異名である。自殺に追い込まれた人たちも、暴力的な世界の犠牲者である。
 小泉首相は、イラク戦争を明確に支持している。ファルージャでの大虐殺を「成功させなければならない」とまでいった。殺人を奨励してはばからない人間なのである。そして、その政権の下で、相変わらず、子どもを狙う犯罪が続いている。しかも、まだ逮捕されていない犯人。冷酷無比な犯行の手口。国内での殺人事件が急速に増えている。殺人を奨励する人間たちが、平和を唱えることができるだろうか。
 鬼の面をつけた人ならば、鬼を演じているとわかるが、鬼の面すらつけずに、鬼的行為を成し遂げる人間。鬼の面をつけない鬼の増殖をとめるには、どうしたらよいか。

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2004/11/21

現実は厳しい

 テレビ番組欄を見ると、いわば、ヒエロニムス・ボス(ボッシュ?)の絵的状態だと思う。石原裕次郎を描いた五夜連続の「弟」があるかと思えば、「ターミネ-ター2」のような殺人ロボ映画があり、「赤い~」シリーズを思い出させる韓流ドラマがある。テレビ東京系のおなじみのグルメ・温泉番組(どうみても、紅葉していない山にむかって歓声を上げる竹田君的番組)があるかと思えば、奈良の誘拐殺人事件を視聴時間のランクづけで片付ける山瀬まみちゃんの「お父さんのためのワイドショー講座」がある。また、アメリカ帝国を想起させるローマ帝国なんてものをNHKが特集する。これでもか、これでもかと、狂った果実ならぬ狂った世界を見せつけられるのである。
 トラックバックのおかげで、ファルージャの現実を忘れずにすむのであるが、暴力的な世界を、否定する言論が、テレビには(テレビだけではないが、とりあえずテレビ)実に乏しい。これは、あるベテラン記者の方の話で、痛感させられたことである。これだから、テレビを見ると、うんざりするのだ(もちろん、そんなものを、見る方もダメなのであるが)。もちろん、良心的な番組はある。その比率が、きわめて少ないことを憂慮するのである。
 例えば、石原裕次郎の兄、慎太郎。彼は、東京都政において、どんなことをやっているか。福祉予算を削り、日の丸・君が代的方針に従わない教職員を次々と処分している。一種の間接的な「暴力」をふるっている。ドラマ「弟」は、そうした現実を覆い隠す。慎太郎支持層は、裕次郎ファン層に便乗したものなのだが、あたかも慎太郎が人気があるかのようにスリカエられる。このドラマをみると、都政の厳しい現実は忘れて、弟思いのやさしい兄、慎太郎像が印象に残ることになるだろう。渡哲也演じる慎太郎は、かなり美化された役柄で、マスコミに取り囲まれても、おなじみの暴言ひとつ吐かない。この点で、「弟」は、滑稽なドラマに成り下がっている。逆に、あまりもリアルに慎太郎を演じられてしまうと、これまた滑稽なドラマになる。
 解離性動脈瘤の手術を終えてベッドに横たわる裕次郎(三浦友和さんの熱演)が、見舞いに来た兄にたいして、スケッチブックに「ニイサンノマヌケヅラ」と書くシーンが、唯一、リアルさを感じさせるシーンだった。恐らく、石原都政にたいして怨念を抱く人々が、唯一、カタルシスをおぼえた場面だろう。これで、満足したのでは、慎太郎の思う壷なのであるが…。 五夜連続で、こんなドラマを流すテレビ局も、異常である。

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2004/11/19

中国の人気作家

 渡辺淳一さんが、中国で人気作家になっていると聞いて驚いた。18日のNHKのスタジオパークに出演した際に、中国で翻訳された本が、2畳分の大きさの台の上に、所狭しと並べられていた。8月ごろには、上海で売上げ1位とか2位になっている。以前は、中国でも発禁で、海賊版が出まわっていたそうである。
 渡辺淳一さんの初期の作品などには、大学病院のどろどろした世界が描かれていたりして、ちょっとした「白い巨塔」を思わせるものもあった。最近は、ご存じのとおり、中高年の「性」の世界を描いている。スタジオパークの雰囲気は明るくて、みんなゲラゲラ笑っている。黒田アナウンサーも、けっこう、イキイキとしていた。
 いままで抑圧されていたものが解放されると、逆に、イキイキするところがあるのかもしれない。しかし、本当に解放されているのだろうか。違う方向で解放されていないか。その辺が少し気になる。結局は、商売のネタにしているのではないか。そうした疑問が、どうしてもちらついてしまうのである。
 渡辺淳一さんの作品の根底には、「女性とは、わからないものである」みたいなものがあるようだ。大学時代の友人の女性が自殺してしまったことが、原体験としてあるように話していた。また、札幌では、有名な心臓移植手術の事件があって、そのとき、同じ札幌で医師をしていたという。
 渡辺さんは、渋谷のクラブにも、ときどき出没して、奇妙きてれつなファッションを見て楽しんでいるというから、渋谷の若い人たちの方が詳しいのかもしれない。

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2004/11/18

忘れちまったゴジラ対へドラ

 NHKBS2で、ゴジラ対へドラを見た。小学校2年生のときに映画館で見て以来である。当時は(今もかな)小学生は一人では映画を見にいってはいけないという時代。父親には、映画館の前までついてきてもらって、あとは一人で見て、一人で帰った記憶がある。翌日なぜか、先生が知っていて、叱られた記憶もある。まさか先生も映画館にいたのだろうか。だれかの告げ口か。うーむ。いまだに謎なのだ。
 「♪鳥も~魚も~どこ~へいったの~」というあの歌は、強烈で、「♪水銀、コバルト、バナジウム、シアン、マンガン、オキシダン…ストロンチウム」の部分も、覚えたくて、何度も口ずさんでいたのだが、そのうち忘れてしまっていた。「よごれちまった海、よごれちまった空」という歌文句も、関西人からすれば「…ちまった」という語尾にも違和感を感じていたが、その後、中原中也の詩に接して、納得がいった。
 しかし、ゴジラ対へドラは、一連のゴジラシリーズの中でも、一番、支離滅裂。話の筋が通っていない。なぜ、ゴジラが登場するのかが、まったく説明されていない。ゴジラが子どもの味方になっている点も、全然ダメ。ヘドラに向かって、若者たちが火を投げつける部分や、ゴーゴーを踊る場面に1970年代が反映されている点、自衛隊が少ししか登場しない点だけは評価したい。
 この映画を見ると、大阪の小学校でも、しょっちゅう、光化学スモッグ警報が出されて、校庭で遊べなかった記憶が、甦る。ひどい時代のひどい映画である。いまでも、そんなに環境は、改善されていないと思うのだが。

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2004/11/17

武富士元会長に懲役3年(補強版)

 盗聴を指示した武富士元会長に懲役3年、執行猶予4年の判決が17日、東京地裁で下された。罰金は、わずか100万円。おいおい、えらい、安すぎるやないか。武富士は、フリージャーナリストらに、1億円超の賠償請求をしながら、彼らを盗聴していたのであるから、武富士側にも、1億円を超える罰金を支払ってもらいたいものだ。ハムラビ法典なみに、目には目を、歯には歯を、の刑罰を下していただきたいものだ。しかし、武富士会長退陣のきっかけをつくったジャーナリストたちの果敢なたたかいに、大きな拍手を送りたい。
 武井元会長は、一部週刊誌でもかつて報じられていたとおり、刺青を彫っていた正真正銘の、やーさん(刺青を手術で消し去ったともいわれる)であるからして、あの「武富士」本社の金文字も、何やら、暴力団事務所の金看板文字のようにみえてくる。非常に、文化的、視覚的にやーさんに近いものを発散しているのである。
 岸和田出身の亡命関西人から見ると、1970年代から80年代にかけて山口組の抗争が激化していて、関西では近所に暴力団事務所があったりすると、また、子分を従えた「兄貴」同士の喧嘩なんかも目撃したり、あるいは、夜中に発砲事件なんかもあったりして、やくざとか、暴力団とかは大嫌いである。犬を散歩させていると、なぜか犬が暴力団事務所の方へいって、おしっこをひっかけそうになるので、慌てて阻止するなど、犬の散歩も命がけだった。それだけに、逆に、そういった、やーさん文化的匂いがするものには、敏感にならざるをえない。
 日本で盗聴を平気でする団体は、創価学会、武富士、神奈川県警その他があるが、世界的には、アメリカのNSA、エシュロンなんていう機関が、個人や企業の電子メールもなんもかも、「傍受」しまくっている。卑劣である。彼らには、想像力が欠如しているのだろうなあ。きっと。
 それにしても、NHK7時のニュースでは、武富士元会長有罪判決は、ほんのわずか、軽い扱いのフラッシュニュースであった。民放では、どうするアイフルやプロミスの宣伝が氾濫している。武富士に広報・宣伝マンをおくりこんだ電通も罪が重い。

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2004/11/15

紀宮婚約報道について

 紀宮清子さん、いわゆるサーヤの婚約報道について、宮内庁が14日に明らかにした発表資料が「朝日」「毎日」などで意図的に伏せられて報道されている点について、一言申し上げたい。つまり、「新鮮な驚き」の捏造疑惑である。
 また、言論のタブーを作り出す風潮についても、二言申し上げたい。

 悪口罵詈雑言を言う前に、やはり、いっておかなければならない。紀宮の結婚は、晩婚化の象徴としての意味ももっているのであり、その点では、ブライダル産業および不動産業、育児産業にとっても等しく喜ばしい受けとめがなされる。結婚は祝福されるべきものである。この点において、皇族も一般ピープルも関係ない。紀宮その人も、このままでは、「負け犬」の象徴となりかねない存在だっただけに、一気に挽回する逆転満塁弾的婚約である。また、カワセミの専門家である点も、好ましい。なんでも、ある動物百科事典の「カワセミ」の項目を執筆したらしい。さらに、結婚によって、皇族でなくなる点も喜ばしい。ぜひ、税金を納める義務、投票する権利を行使してほしい。以上が前置き。

 相手の黒田慶樹さんは、ふつうの人で、東京都庁職員であると報道されている。しかし、子ども時代に学習院で学び、東京は原宿近くのマンションに住み、亡き父がトヨタ自動車に勤めていて、高級外車を乗り回す人間が、「ふつう」だろうか。しかも、現天皇の次男と友達である。本当に祝福のコメントがほしいのは、秋篠宮であり、紀子さんである。気の毒な点は、黒田さんがマスコミに追いかけまわされ、この「アドルノ的」のような貧弱なブログでも話題にされることである。申し訳ないが、マスコミ報道の問題点が浮き彫りになる機会なので、しばらく我慢してもらうほかない。
 新聞報道およびNHK報道は、1面トップ、あるいは7時台のニュースのトップで報道している(NHKは、14日の7時のニュースで13分を費やして報道。それにひきかえ、イラク・ファルージャ報道は、わずか3分だった。また、なぜか、14日昼のニュースで曽野綾子さんがコメントしている映像が流れていたのに、夜のニュースでは丸ごとカットされていた、などの疑問が多数ある)。15日も、予想された過熱報道がつづいている。細田官房長官までコメントを発表している。しかし、黒田さんを東京都庁まで追いかけまわす映像が流れても、旧華族とのつながりについては秘せられている。

 宮内庁が発表した資料には、黒田さんと「皇室とのご縁」が書かれていたはずなのである。具体的には、こうだ。

 黒田慶樹さんの父、黒田慶次郎さんの一番上の姉徳子さんが、「明治維新」で活躍した薩摩藩藩士で枢密顧問官を出した税所(さいしょ)家に嫁いでいる。また、父、慶次郎さんの兄、慶一郎さんは、高鍋藩藩主で、昌平坂学問所奉行や「明治維新」後に貴族院議員を出した秋月家の治子さんと結婚したという家柄なのである。
 しかも、秋月家は、黒田家と縁が深いらしい。→秋月家
 従来通り、旧華族、あるいは枢密顧問官に縁のある人との婚約だから、宮内庁としては、なんの「抵抗」もない。しかも、宮内庁が発表した資料に書いてあるのだから、なんの遠慮もなく、最初から発表すればいいはずである。なぜ、「新鮮な驚き」を意図的、作為的に演出するのか。協定破りの朝日新聞および一部マスコミには、猛省を促したい。

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2004/11/13

土曜で大安

 本日、13日は、土曜で大安なので、おぞらく結婚式が多いと思われまっす。日曜日よりも、土曜日の方が、好まれるのも、わかるというものでがんしょう。せば、電車っこなどには、おなずみの袋をもぢ、黒い礼服、着物のお歴々が見うけられることで請け合いでがんす。だども、なして、平服は礼服なんですかいのう。わすには、さっぱりわがらね。(以上、あやしい方言でお送りしました)

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2004/11/12

謀略かいな

『レイプ・オブ・南京』の著者、アイリス・チャンさんが亡くなったと聞いて、驚いている。車の中で、銃で撃たれていたというから、他殺の可能性もあるのではないか。ロス市警のコロンボ刑事だったら、執拗な聞き込み捜査を始めるだろうに。
それにつけても、アメリカ大統領選挙でブッシュ大統領が再選される直前に、オサマ・ビンラディンがビデオで登場したことについても、あまりのグッド・タイミングに驚いてしまう。『週刊金曜日』のコラムでも、2年前だかに流されたビデオの映像が、合成だったことが指摘されている。今回のビデオもなぜか、英文のテロップがついていたそうだ。いまの映像技術なら、死んだ人間も映像でよみがえらせることができるから、何も不思議ではない。虚構のテロに始まり、虚構のイラク戦争へと続く、世の中はどうなるのだろう。
中国の原子力潜水艦騒ぎも、前から周辺を航行しているのに、なぜ、いまになって騒ぎ立てるのか。年末の防衛予算を睨んでのことではないのか。有事法制を発動したくてしょうがない人々が、予行演習をしているとしか考えられない。要注意である。

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2004/11/11

求人誌の氾濫

 最近、よく見る無料求人誌の氾濫。ラーメン屋さんの店先であるとか、安い、リーズナブルな定食屋の店内にもラックがあって、置いてある。その中身といえば、コールセンター、新聞販売店、運送会社、飲食店、あと、芸能関係でエキストラの求人などが満載されている。
 あれだけ、無料求人誌が氾濫しているということは、それだけ、安い労働力を求めている会社、企業が増えていて、求人誌の制作会社に掲載料を払う人たちがいるということを示している。最近は、フリーターという言葉も消失ぎみで、ニートと呼ばれる人々、すなわち、企業側、政府側が無理やり「働きなくない人たち」的範疇に振り分けている人々、決め付けられている人々が増えているという。
 ニートとは、あくまで、支配層サイドのモノの見方。いまは、働きたくても、働いてゆける場がないといった方がいいのではないか。不安定雇用の例証といえば、格好がよいが、現実には、人間の使い捨てである。例えば、讀賣新聞販売店の求人なんかで、本当かいなと疑いたくなる好条件のことが、いろいろと書いてあるけれど、おそらくウソ臭い。それに、早朝の新聞配達は、思ったよりもキツイのである。
 また、首都圏の高級ホテルの飲食関係で、11月13日に1日だけのアルバイト募集というのがある。なんだろう? よほど、なんかのパーティーがたくさんとりおこなわれるのだろう。政治家のパーティ-かなあ。要注意である。小泉首相は、よくプリンスホテルを利用するそうだけれど、その利用状況などは、バブル型企業人の堤義明氏に筒抜けだそうだから、ホテルというのは、意外な情報産業でもあるようだ。わからんなあ。
 話がそれたけれども、無料求人誌を読んでいても、少しは、社会のことが見えてくる気がする。

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2004/11/10

見ていないだけなのか

 イラク・ファルージャで「総攻撃」をしている米軍のスポークスマンは、ファルージャで民間人死者を「見ていない」と発言している。これも、米軍用語なんでしょうか。観念論の世界にサマヨイこんだ感じ。現実には、激しい戦闘、埋葬の自由すら許さない暴虐さ、人々を縛り上げている映像などが流れていて、一見「平和」な日本でも、その「総攻撃」の一部を「見ること」すら可能なのに。テレビが映さなければ、「現実でない」世界が、出てきている。映画マトリックスの世界に近づいてきたようだよー。なぜ気づかない。

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2004/11/09

「現在」の「延長」でいいのか

 イラク全土に「非常事態宣言」が出されても、サマワは「戦闘地域」ではないとか、NHKで「不祥事」が相次いでも、会長が辞めないとか、ダイエーや西武が次々と売りに出されるプロ野球パ・リーグとか、イラク「侵略」を続けるアメリカでブッシュ大統領があっけなく再選されるとか、新潟中越地震で、起こる確率は低くなったと気象庁が発表していた「震度5強」が続いているとか、おかしな、おかしな出来事が相次いでいる。おかしいと思わない人たちの方が、いまの世界では、「強い」立場にいるというのも、おかしい。しかも、「強い」立場にいる人たちは、責任をとらない。
 唯一、責任をとったのは、共同通信の編集局長だけれども、これも、ただ編集局長が変わったというだけで、前から決まっていたような通常の「人事」と変わらない。とどのつまり、未来は、現在の延長と捉える人たちが、支配的なのである。地震の予知なんて、全然、成功していない。
 それに加えて、小泉政権の支持率が、NHKの世論調査ではアップしたというから、摩訶不思議。イラク戦争への自衛隊「派兵」延長には6割が反対しているのに、なぜ、小泉支持率は高いのか。質問項目によって、バラバラな答えが返ってくるのも、世論調査自体の「いい加減」さ表しているような気がする。
 仏教哲学的にいえば、世界は、「刹那滅」的に生成流転を繰り返しているはず。何事も固定的ではありえない。未来のとらえ方についても、過去・現在・未来において、今日がそのまま明日へ続くと信じている人と、今日と明日では違うと感じる人と、さまざま。おかしな、おかしな世界を変えるには、未来についてのとらえ方を、考えなおさないといけないようだ。自衛隊も、イラクに居座りつづけると、「現在」ではありえない。「安全でないから、自衛隊だ」という小泉首相の言い分も、「現在」の延長で判断しているだけなのだ。

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2004/11/08

癒しのテレビ番組

 TBS系の番組では、「情熱大陸」と「世界遺産」に☆☆☆ですな。日曜日の夜なんかは、ささくれだった気持ちをほぐしてくれる。オーストリアの宮廷料理人にも、素直に脱帽できるし、アイスランドの風景なんかにも唸ってしまった。
 あとは、テレビ朝日系の「五木寛之の百寺巡礼」にも☆☆☆。土曜日午前に、あの五木さんの語り口を聞くと、本当に寺巡りをしているような気がしてくる。ユーモアがほのかに漂うのもいいですなあ。なんか、おばあちゃん的な番組の好みであるけれども、くたびれた人間には、ちょうどいいのだ。

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2004/11/07

読書の秋

 「○○の秋」なんて、何にでもつけられるコピーだけれど、最初に考え出したのは、一体、誰だろう。食欲の秋とか、読書の秋とか…。確かに、神田の古本まつりも秋にあるし(もう終わってしまった。あーあ)、秋の秋刀魚はうまい。
 それはそうと、ぴあから出ている『百年の誤読』なる本を買ってしまったが、間違いだった。『百年の孤独』をモジッタ題名にだまされてしまった。『週刊新潮』の書評欄にも、面白そうに書いていたが、そんなに面白くない。中途半端なのだ。1900年から2004年にかけてのベストセラーを追ってゆくという視点は面白いのに、評者たちの座標軸が、作品ごとにぶれている。ベストセラーたる由縁の分析が、一貫していないし、まともになされていない。単なる好き嫌いで切って捨てる評が多くて、説得力がまるでない。何万部売れたかという情報が書いてある所と、ない所がある。茶化すような言葉が多すぎて、読者に誤解を与える。

 ないものねだりになるが、どうせなら、ベストセラーのきちんとした情報と、出版社の栄枯盛衰みたいなものも、きちんと位置付けて書いてほしかった。例えば、羽仁五郎の『都市の論理』などが、『百年の誤読』からは、すっぽり抜け落ちている。単なるベストセラーの歴史なら、井上ひさしさんが書いた本の方が、よほど、時代と切り結んでいて、わかりやすい。
 要するに、2人の著者の対談を通して、日本人の読書傾向が1960年代を境に一変してゆき、だんだんダメな読書、いわゆる「だらしな派」になっているといいたいようなのだ。
 全国に書店網が行き渡り、人々が本を購入しやすくなったなどの条件やテレビの影響で本の売れ方が変わってきたこと、ふつうの人間でも本を出しやすくなってきたことなどを棚に上げて、ダメな本ばかりとりあげてダメダメと主張するのだから、救いようがない「誤読」である。1960年以降も、そこそこ売れて、ベストセラーになっている良書はたくさんあるはずだ。
 最初に、徳富蘆花の『不如帰』の紹介で始まるところは意表をついていて、なかなかいいのに、泉鏡花、夏目漱石、芥川龍之介、堀辰雄らを、ふつうに高く評価するところで落ち着いてしまう。何も、この本を読まなくとも、これらの作家については、すでに高い評価は与えられている。「ダ・ヴィンチ」編集部によって、甘やかされた2人の著者は、可哀想だ。再チャレンジして、本を書きなおしてほしい。

 中途半端な分析というのは、共通したところがある。例えば、香田さんの殺害事件で、小泉内閣の支持率が高いから、国民にも責任があるというような分析や、ベストセラーで売れた本は、馬鹿な本ばかりだから、国民は馬鹿だという分析である。いずれも、分母の小さな中での狭い見方でしかない。
 国政選挙においても、有権者の半分以下しか投票にいかず、しかも恣意的な設問に彩られたマスコミの世論調査で誘導され、小泉内閣が高い支持率を得ているかのように錯覚させるマスコミ、新聞社などなど。香田さんの事件と小泉内閣の支持率はまったく関係がないのに、あたかも関係があるかのように論じる空々しさ。 
 また、ベストセラーといっても、せいぜいが何百万部なのである。出版社は、あたかも、それだけの部数だけで、国民だれもが読んでいるかのように宣伝し、錯覚させるのである。1億人の1割、1000万部を売るような本が、1960年代以降もあったといえるのか。何百万部の馬鹿な本を買う人をひきあいにして、日本人は馬鹿になったと分析するような人たちには、毒書の秋がふさわしい。

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2004/11/06

ジュンク堂VS紀伊国屋

 ジュンク堂書店新宿店と、紀伊国屋書店新宿本店・南店とのたたかいが激しい。いわゆる新宿・大型書店戦争の幕開けである。
 三越新宿店7階、8階に陣取るジュンク堂は、開店初日、1000万円を超える売り上げをたたき出した。紀伊国屋からも、多数の偵察隊がジュンク堂に潜入した。同じく、初日の喫茶コーナーも、器械の故障で、大変だったようである。ジュンク堂新宿店の店長さん(背が高い)の緊張ぶりは、すさまじい。たたかう男の表情は、険しいのである。
 電通が、ジュンク堂に開店祝いの供花を贈ってきている。7階に飾られている。『週刊金曜日』編集部のみなさんに、お知らせしたい情報である。電通は、アンチ紀伊国屋なのだろうか。あるいは、書店出店のプロデュースまでしているのだろうか。背景を知りたい気がする。

 迎え撃つ紀伊国屋も、平静を装っているが、このところ品揃えが格段によくなった。歴史書のコーナーなんかにも、これまでとの違いが、少しずつ表れてきている。ほんのわずかだけど。おまけに店員の愛想もよくなってきた。気のせいかもしれないが…。ジュンク堂を気にしていないようなコメントをしているが、やはり、気にしているのだ。

 専門書に特化しているジュンク堂新宿店の方針は、すみわけを目指している点で賢明だといえる。が、いかんせん、専門書の値段が高いだけに、最近はレジに行列ができるほどの勢いはない。雑誌コーナーも立ち読み集団が、かなりを占拠している。なにしろ本棚の背が高いので、店員の目を気にせず読んでいる。
 ジュンク堂は、イスもたくさん用意しているから、腰掛けて、のんびり読んでいる人もいる。この点がジュンク堂のよいところなのだが、果たして購入に結びつくのか。池袋の客層と、新宿の客層では違いがある。本の在庫を一掃する上で、倉庫を持つよりは、新たな店をつくる方が確かに有効だろう。
 心配なのは、ジュンク堂出店にあたって三越新宿店の建物そのものを強化したのかどうかということ。本は、極めて重たい代物なので、ビルの構造そのものに与える影響は大きいと思う。かつて、作家・井上ひさしさんが住んでいた千葉・市川市の家は、本の重さで2階が落ちたという伝説があるから、本の重さを甘くみることは許されない。

 現状でのジュンク堂新宿店の弱点を指摘しておこう。狭いスペースに過剰に本を並べようとしているため、本棚と本棚の間の通路が、極めて狭い。客同士がぶつからずに通ることが難しい。閉所恐怖症の人間には耐えられないだろう。また、見晴らしがきかないため、目的の本棚まで到達できず、行き先を聞いている客も多い。店員も新人さんが多いせいか、レジでのやりとりも慣れていない。これは、今後、解消できると思うが、最初はどうしても仕方がないだろう。
 もし、ジュンク堂新宿店に、雨の日に行く人がいたら、店内に流れる音楽を注意深く聴いてほしい。雨にまつわる音楽(虹の彼方に、とか、雨に唄えばとか)が流れているはずである。店員に雨模様を伝える工夫らしい。

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2004/11/05

まもなく5000人

 この「アドルノ的」も、まもなく5000人目のアクセスを迎える。カウンターをつけていないので、アクセス解析でわかるのみ。まったく、想像を絶することだ。これも、リンクやトラックバックなるもののおかげだと思う。しがない中年男が綴るブログを読んでくださっている方には、ただただ感謝、感謝。
 本店の方のホームページのアクセスは、あまり更新していないためか、閑古鳥が鳴きまくっている。情けなや。
 香田さんの殺害事件については、トラックバックしていただいた「D.D.」さんのブログが詳しい。CBCラジオの人気番組であった「富田和音株式会社」の大株主?の方だけに、トリクルダウン的に「アドルノ的」へのアクセスも増えた。ありがたいことである。なぜか、名古屋方面には、人気ラジオ番組がある。なぜだろう。
 さて、「アドルノ的」というからには、アドルノ先生(1903~1969年)を目標としている。しかし、さすがに恥ずかしく、おこがましく、身の程知らずであり、まったくのギャグのつもりでしかない。亡命関西人にとっては、アドルノ先生が、ドイツからアメリカへ亡命したことに思いを馳せ、アドルノ先生が、私の大好きな大映画人のチャップリンと知りあいになった経緯などもあることから親しみを感じている。とりわけ、先生の書いた文章は、一読でわかるものとはいえず、しかし、その割には、何かしら惹きつけるものがあると感じる。
 アドルノ先生は、なかなか口が悪かったようで、みずからのことを棚に上げて、いろんな人物を辛辣に批判している。それだけに、反発を買うことも多く、「精神的なオナニスト」などと、痛烈に皮肉られていたりもする。どうも、先生の悪い面ばかり学んできたようだ。情けなや。

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2004/11/04

酒屋の川柳

 職場の近くに、酒屋があって、そこの主人が、店先に川柳を掲げている。というか、譜面台みたいな構造をした「掲示板」を作製して、そこに発表しているのである。プラスチック製の透明な板でカバーがしてある。
 新作は、

     「ライブドアー負けて拾った宣伝費」

 ライブドアに「ー」(いわゆるオンビキ)が付いているところが、ご愛嬌なのであるが、なかなかいいところを突いていると思う。川柳の選者でもなんでもないので、なんともいえないが、かのホリエモン社長が涼しい顔をしているのも、この「宣伝費」なるものの厄介さ、測りがたさ、莫大さを知っているからであろう。今回のプロ野球参入問題でのライブドアの露出ぶり、並びに知名度アップ、六本木ヒルズ38階だかなんだかにある本社の宣伝など、お釣りが来るだろう。
 しかし、宣伝費なるものは、お店を営む人や、売りさばきたいものがある人間にとって、売上予想の何割をそこに割けばいいか、なかなかわからないものである。世界最大の広告会社「電通」がのさばるのも、この「宣伝費」なるものの測りがたい隙間を利用しているからである。
 このあたりは、『週刊金曜日』の連続特集「『電通』の正体」をお薦めしたい。例えば、テレビの視聴率などという、調べることの難しいものを利用して、宣伝・広告費を自由自在にツリアゲルことができるのである。視聴率という打ち出の小槌をもっていれば、いくらでも高い「スポット」を売ることができる。雲をつかむような商売といえようか。実態がないかわりに、いくらでも、どんなところにでも商売のきっかけを見つけることができるのである。
 山田洋次監督の映画「隠し剣 鬼の爪」のスポンサーとなっている博報堂さんにも、電通に負けずがんばってもらいたい。ひょっとして、電通への怨みが映画にこもっていたりして…。隠し剣なぞふるったら、あきませんぞ。

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2004/11/03

予定調和的世界を崩せ

 楽天、アメリカ大統領選、香田さんと、あらかじめ予想されたような事態が次々と続いている。

 だめなプロ野球オーナーたちのお気に入りとなり、経団連入りを推薦された楽天は、既定路線をすすむだけの企業でしかない。せいぜい、財界の支援を受けるがいいだろう。
 アメリカ大統領選も、NHKは、30分ごとに、相も変らぬ属国報道である。アメリカ大統領が変われば世界が変わるみたいな報道は、やめてほしい。ああいう報道自体が、アメリカが変わらねば世界が変わらないみたいな思想を、人々に植え付けるのだ。もう一つの世界は、アメリカ大統領で決まるのではない。アメリカ帝国に媚びを売る報道でしかない。どちらが勝利しても、せいぜい、イラク戦争への批判の高まりがある程度の報道で終わるのだろう。
 香田証生さんの死について、家族の言葉を今一度、思い起こしてほしい。息子の死に際しても、イラクの人々の平和を真摯に願っている言葉を発表していた。亡くなった香田さん自身をかたちづくっていたものがあるとすれば、日本の戦後が培ってきた「民主主義」の思想であろう。そういう日本の若者が、イラクの現状を見たい、「なんでもみてやろう」と戦地を見に行く。あのヴェトナム戦争でも、開高健氏や本多勝一氏らが、戦地を見に行ったように。
 開高氏も、本多氏も、やはり、九死に一生を得る体験をしていた。
 
 予定調和的世界を崩すのは、逆説的に、あたりまえの思想、あたりまえの感情だと思う。注釈をつけると、支配的な勢力に影響されない「あたりまえの思想・感情」。

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2004/11/02

敵の敵は味方ではない

 弁証法的想像力という本を書いたマーティン・ジェイさんが、暴力の屈折だったか、そんな著作を出している。アドルノ先生その人についての本も書いているアメリカの哲学研究者である。手元に本がないので、うろ覚えで書くが、テレビで、暴力的な場面ばかり見ていると、どんどん感覚が鈍磨してくるということを指摘している。本当は、もっと手のこんだ言い方をしているのだけれど。
 たとえば、香田証生さんの死について、訳のわからないコメント、論評などが現れて、なんだかわからない方向へ持っていかれる。軍事アナリストだかが、フラットなフリをして、自民党をかばっているを見ると、おうおう、やっとるなと思ってしまうのである。
 そこで、「左翼」が日本政府を批判すると、敵の敵は味方みたいな捉え方をして、テロリスト集団を「左翼」がかばっているかのように、話を意図的に取り違えたりする。
 9・11以来、敵の敵は味方ではない状況がつづいている。ごまかしの皮を一枚一枚はいでいくほかはない。

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2004/11/01

いやな感じ

 武装集団によって、イラクで、日本人の若者が殺された。武装集団の残虐さは、他国民への仕打ちを見ても、明かだった。予想された結末だった。専門家たちは、厳しく指摘していたではないか。フィリピン政府が、軍隊を撤退させたことに学ぶ必要があったのではないか。
 にもかかわらず、小泉「鈍一郎」は、自衛隊は撤退しないなどと、武装集団を挑発する発言を早々としていた。この人には、国民の命を救おうなどという考えは、一つもないといって差し支えない。
 おおもとをたどってゆくと、アメリカのイラク侵略があり、日本の自衛隊派兵がある。日本がイラク戦争を支援した責任は免れない。アメリカも日本も大量破壊兵器が見つかっていないことの責任を、何もとっていない。何か、日本政府の対応を批判できないかのように、賢しらにいう人々がいるが、明かに間違っている。死亡確認の方に、よほど熱心だったではないか。

 日本政府は、今回のイラク人質事件で、どんな救出活動をしたのか。ちゃんと明らかにしてもらいたい。日本の外交官が殺されたときも、日本政府は、テロ撲滅とかなんとかいって、みずからを正当化する「道具」に使ったではないか。いまだに、外交官たちが、だれに殺されたかすら、明かにできていない。今回の事件も、いち早く、「道具」にしている。ふざけるにもほどがある。アメリカによる「イラク侵略」という事実を、覆い隠すのに熱心な人々こそが、テロリストの思う壺を演じており、彼らの活動のおぜん立てをしている。
 テロリストが狙うのは、事態の混乱であり、あいまい化である。だから、なんの関係もない人々の命も狙う。そして、みずからの正当化を図るのである。
 イラクで殺された人々の死を「道具」にするな。こんな悲劇を2度と繰り返さないようにするのが、まともな人間の考えることだ。
 

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