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2004/08/31

振替輸送

 30日は、振替輸送なるものを初体験してみた。JR総武線が、中野駅のポイント故障で、不通となったからだ。お定まりのように、案内のアナウンスがほとんどない。電光掲示板も、来るあてのない電車の過ぎ去った時間を示しつづけている。ポイント故障の表示が、ひとつもない。
 駅改札の係員(人のよさそうな、白髪かつ短髪頭の、落語家の入船亭師匠をくたびれさせたような男)に執拗に食ってかかったが、「○○駅ですか。それは…。このまま、待ってください」とのたまうではないか。いつ復旧するかの情報が、何もない。「振替輸送のルートをきちんと案内せよ」と要求したが、まったく紹介する気もないらしい。誠に不親切である。
 ポイント故障については、はっきりいえば、JRの経営姿勢が現れた産物なのである。人減らしを極端に推し進め、保線を怠っている。そのような怠慢の結果生じたトラブルなのに、乗客にたいする振替輸送の案内は、おざなりもいいところだった。JR北海道のポスターで、以前、草ぼうぼうの線路を走る蒸気機関車の写真があった。見る人が見れば、草ぼうぼうの線路など、保線・点検してませんよと告白しているようなものだ。恐ろしい交通機関に、日々、揺られているのである。ああ。
 実際、私の家へのルートは、JR、私鉄、地下鉄の各線で、少なくとも4通りの経路がある。私鉄利用のコースで帰ることにした。JRから私鉄に乗り換えるところで、振替輸送の紙片を要求し、受け取ることができた。その紙片は、切符と呼ぶには、あまりに貧弱な、あまりに心細い、あまりに情けない、あまりに薄っぺらな、あまりに頼りない、あまりにもなくしてしまいそうな代物であった。しかし、そのおかげで、復旧待ちにならず、無事、帰ることができた。これからも、どんどん活用することにしよう。

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2004/08/30

避けられた死

 29日夜9時から放映されたNHKスペシャル「避けられた死」は、「防災の日」の前倒し企画だったなあ。番組の中で「へえ」と声をあげたのは、ドイツの救急ヘリコプターの紹介で、30年前から取り組んでいるという。あのドイツの列車事故でも、ドイツ国内の各地から、救出にかけつけていたのだ。40機ぐらいが常時、待機しているという。
 番組で、勉強になったのは、以上だけだった。緊急通報システムの不備を指摘していたのも、よかったけれど、病院というところは、人数が少ないし、忙しいところなので、現状のままで、あんなシステムを導入されても対応できるのは、金持ち病院か、警備員の方がいるところだけ。しかし、警備員の方が医者の方に連絡にいく際に、警備室ががら空きになるのは、いいのだろうか。はてな。
 阪神淡路大震災で、震源地から遠い私の実家は、風呂場の壁にひびが入っただけですんだが、多くの人たちが、身内の死に遭遇し、家が崩壊した。職場の先輩たちの親戚に、亡くなった方がいた。その阪神淡路大震災で、救急用にヘリが使われたのは、ただ1度だけ。それも、大阪から物資輸送などに来ていたヘリを活用してのものだった。ヘリを活用して救出した人は、やはり助かったのである。番組では、ヘリを使えば、助かったかもしれない人の例を、実名で紹介していた。協力してくれる人を捜しだすだけでも、大変な苦労であったろう。番組関係者の努力は、報われていたというべきか。
 国からの補助金が出ないので、もうこれ以上、救急ヘリの活用は伸びない可能性があると指摘していたのは、NHKとして、かなり踏み込んだ指摘だったと思う。NHK社会部の中村記者は、前は釧路放送局にいたのではなかったかなあ。いい取材をしていたなあ。JCJの関係者さまも、要チェックですな。
 しかし、番組全体に、少しショボイ感じがしたのも否めない。ドイツの救急ヘリの例でいけば、全世界で救急ヘリがどれだけ活用されているのかがわからなかったし、日本の各自治体のとりくみの紹介でも、きっちりに自治体名を明らかにして、紹介すべきであったのに、日本列島の地図に、小さな○を示すのみ。日本で、なぜ、防災対策が広がらないのか。なぜ、防災予算がつきにくいのかを、もっと、踏み込んで追及するべきであった。あーあ。Nスぺの予算自体が減っているのかもなあ。うーむ。
 

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2004/08/29

富士総合火力演習

 そうか、そうか。そうだったのか。自衛隊のみなさんが、富士へ富士へと草木もなびくように、26日に移動していたのは。28日に富士総合火力演習があったからなのだ。とにかく、ヘリは飛ぶは、ドンパチはしまくるは、というセレモニーで、なかなかのイベントなのだろう。イラク戦争さなかでもあり、有事法制が成立(といっても、緊急事態対処法がまだだが…)した現在、いつになく、力が入っているのではないかとお見受けした。大新聞の一部の政治記者(永田町担当)らも、見に行くイベントらしい。
 一般国民へも、参観を募集していたのだった。富士総合火力演習
 しかし、移動途中の自衛隊員らは、緊張感がなかったなあ。たばこ(ハイライトだった)は買うは、おみやげは買うは、マクドでバーガーは買うは、足柄SAで名水は仕入れるは…。移動用に使うマイクロバスも、町内会の慰労会みたいなのに使うバスであった。観光旅行そのものではないか。まあ、いいけど。外出が、たまにしか許されないなど、市民的権利が剥奪された自衛隊員のみなさんのことであるから、富士総合火力演習への移動途中は、開放的気分を味わえる絶好の機会らしい。いまからでも、遅くないから、豪雨水害のあった地域へ行ってあげたらどうか。
 今回は、富士総合火力演習だけではなく、9月1日に、神奈川県横浜市や静岡県御殿場市で、政府主催の大規模な総合防災訓練も予定されているから、スケジュール的には忙しいのだろう。防災訓練とは名ばかりで、実は、有事、つまり、戦争を想定した訓練なのだが、一般国民には、隠されている。「防災」と看板をつけておけば、警戒心が薄れることを見越したネーミングである。
 単なる防災訓練で、安倍川下流に、LCACで遡上、上陸する訓練など必要だろうか。と、安倍川もちを食べながら考えたのであった。

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2004/08/28

恐竜博

 夏休みも終わりが近づいた。青森山田高校のように、夏休みの宿題を出さない学校が増えることを望みたい。
 とはいえ、おとな的には、まもなく1歳8カ月になる子どもを退屈させないために、幕張メッセでおこなわれている驚異の恐竜博とやらに足を運んでしまった。実は、おとなも退屈しているのであった。体長27メートルある、ナントカサウルスとか、ミクロナンジャモンジャとか、わざわざ入場料おとな2500円、案内ガイドのレシーバー500円を払ったものの、何一つ、恐竜の名前が思い出せない。ほとんど、子どもがフラフラ歩く姿ばかり追っていたためである。
 わが子は、恐竜を指差しては、「ワンワン」というので、しつこく、親ばかを発揮して、「これは恐竜!」「これは、○○サウルス」と返事の「返し技」を繰り出したが、見事に「ワンワン」としかいわない。恐るべし。それでも、興奮して、あちこち指差しまくっているので、連れてきたかいがあったかも。
 会場内には、恐竜喫茶や中華料理コーナーがあり、それも盛況であった。子どもは、蒸し鳥の入ったチャーハンをパクパク食べていた。好き嫌いの激しい子どもを黙らせるだけでも、ありがたい料理の腕前。恐竜のほとんどは、中国出土なので、めしまで、中華なのだ。どうせなら、中華恐竜博とでも、銘打ってくれれば、わかりやすいのに…。
 同じく幕張メッセで開催されているホームセンター大集合みたいな企画もけっこう、おもしろそうで、出てくる人たちが、奇妙な家具を抱えて次々と出てくるので、覗いてみたくなったが、恐竜博でパワーが吸い取られてしまって、もはやこれまでであった。

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2004/08/27

サービス・エリア

 「9月に会いましょう。ほな」などといいながら、パソコンに向かってしまう。病気である。
 関東→関西、関西→関東と、東名高速、東名阪、西名阪を突っ走ったので、体がカチカチ。しかも軽自動車で。
 というと、私が運転していたように見えるけれど、妻が運転していたのである。すまん。わしゃ、免許もってへんさかいのう。カイショなしやで、ほんま。後部座席には、まもなく1歳8カ月になる子どもがチャイルド・シートに縛りつけられており、およそ50キロごとに、「マンマ」とか「ぎゃー」とか、「茶!」と叫び声をあげる。都合のよいことに、サービス・エリアも、およそ50キロごとに設置されているので、するすると滑り込むかたちになる。同じような年頃の子を持つファミリーと、これまた、ごきげんさん状態なのである。
 10年ぶりぐらいで、高速道路を通ったので、サービス・エリアのトイレの改善具合が、天地の差であるのに、驚いた。電車がチンチンなるのに驚いたような夏目漱石「三四郎」状態である。しかも、そのトイレは、ひんぱんに掃除の手が入る。さらに、レストランも、S&B食品やら、森永製菓やらの直営で、ちょうど、ディズニーランドみたいな感じになっている。海老名SAは、フジテレビのアミューズメント施設があったし、日本道路公団も、TDLに経営を学んだようだ。
 もうひとつ。行く先々でさくらのマークを胸につけた自衛隊のみなさんに遭遇した。移動訓練の最中なのであろうか。マクドナルドで飲食物を購入し、みやげものコーナーで、しこたま買いこむ方々がいた。テラスでは、3人集まり、たばこをふかしている。リラックスしていたから、訓練ではないだろうなあ。東富士の演習場へ行くのだろうか。足柄SAでは、当地の名水を、持参したボトルに、どんどん入れている。飲んでみたが、うまいような、そうでないような。とにかく、冷たいからうまい。水のうまさは、冷たさが決めるようだから、冷やして飲めば、どんな水もうまいようだ。わが子も、みずから率先して水を手にあてて、冷たさの感触をあじわっていた。
 浜松では、うなぎパイを買い、実家へのみやげにしたら、高評だった。浅尾大輔さんの小説「胸いっぱいの、」で読んだから買ったのだ。小説は役に立つ。
 あと、東名阪の大山田では、「はまぐりラーメン」を食べた。「その手は桑名の焼きハマグリ」の近くだから、蛤なのだ。とんこつスープに簡単には迎合しない蛤のしぶとい味わいに好感をもった。アメリカに迎合する小泉純一郎首相も、はまぐりラーメンを食べて、反省するべきだ。また、しょうもないことを書いてしまった。つまらぬものを切る第十三代石川五右衛門状態である。はあ。

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2004/08/25

ウスバカゲロウ

 田舎にやってくると、いやおうなく虫に遭遇する。帰省先の田んぼでとれるのはオンブバッタ、ショウリョウバッタが多い。まもなく、1歳8カ月になる子どもも、バッタがはねると、「おおっ」と感動している。
 虫を分類した本を読むと、地球上にいる生き物で最大の種類をほこっているのは、やはり、虫だそうである。そのわりには、小説のテーマになることは少ない感じがする。。「虫のいろいろ」なんて作品なんて、あったけど、あれは、虫の小説だったろうか。どうなんだろうか。蝉は、よく小説の小道具に使われているようだ。芥川龍之介の「羅生門」にも、確か、キリギリスみたいな虫がでていて、時間の経過を表す役割を担わされていた。炉辺のコオロギなんて、外国の作品もあったかしらん。
 ウスバカゲロウは、命が短いというが、本当はそうでもないらしい。新聞の社会面を見ていると、人間の乳児や幼児の方が命が短く感じられる。
 ウスバカゲロウは、アリジゴク時代をいれると、かなり長命だそうだ。セミも地底時代を含めると、長命で、4年ごとのオリンピックよりは、長い周期で、世代交代している。
 虫にも、いろいろ、ひそやかな生活を好むものがいて、羽がないものは、暗いところとか、葉の陰、物陰に隠れて生きている。好むのか、どうか知らないが、生まれつきそうだとすれば、選択の余地がない。羽があるか、ないかは、虫を二分するらしい。
 虫を捕まえたら、できるだけ逃がすようにしたい。
 

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2004/08/24

思い出はいつの日も雨

 まもなく1歳8カ月になる子どもは、帰省先で急速に、言葉を覚えはじめた。それまでも、「バイバイ」「ワンワン」であるとか、「ジュース」であるとか、「チャーチャン」といってはいたが、「ココ」と指示代名詞を使うことを覚え、「クツ」といって、靴を履かせろと要求し、いろいろと自らの欲求を実現しようと行動を開始した。親たち、じいちゃん、ばあちゃんたちの言葉もしきりにマネしようとする。三輪車もこげないものの、前進したり、バックしたりと忙しい。ピアノも気に入ったようで、両手で力いっぱい鍵盤をたたいている。
 言葉を覚えていく過程は、子どもによってさまざまで、保育園でも、女の子は、話し始めるのが早いようだ。言葉と物が一致すると、大きな目を見開いて、驚きを表現する。ヘレン・ケラーの「水」体験は、きわめてわかりやすく、忘れ去っていた感動を思い出させてくれるものだったのだと思う。
 人間には、刺激が大切なのだなあ。それにしても、関西地方の天気予報は、雨と曇りばかり。8月の終わりごろは、いつも台風がきて、天気が悪いことは覚悟していたが。雨男扱いされて、ひどい。今年は、秋が来るのが早いようだ。柿の実に、見慣れない鳥が来て、食い散らかしている。
 以上、休日、番外編でした。
 

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2004/08/21

8月の果て

 「アドルノ的」夏休みをとりますので、しばらくお休みします。

 おすすめ本を紹介します。

 柳美里『8月の果て』(新潮社)
 ピーター・フランクル『数学の愛しかた』(日本放送出版会)
 北健一『その印鑑、押してはいけない』(朝日新聞社)
 山口二郎『戦後政治の崩壊』(岩波新書) 
 蒲島郁夫『戦後政治の軌跡』(岩波書店)
 斎藤貴男『安心のファシズム』(同)
 斎藤貴男『機会不平等』(文春文庫、なお、文庫版で増補されているので、要注意)
 田中京『絆 父・田中角栄の熱い手』(扶桑社)
 不破哲三『マルクス未来社会論』(新日本出版社)
 廣瀬順子『アメリカ連邦議会』(公人社)
 小森陽一『表現する人びと』(新日本出版社)
 ウェッジウッド、瀬原義生訳『ドイツ三十年戦争』(刀水書房)

 あと、新刊本ではないけれど、アドルノ先生(1903~1969)の『プリズメン』(ちくま学芸文庫)
 では、9月にお目にかかりましょう。ほな。
 

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ニセ温泉旅館ツアーへ行こう

 いろんなブログで、もう話題にし尽くされた感がある。そう、温泉の偽装表示問題である。できたてほやほやの「温泉学会」は、抗議決議まで上げている。うーん。しかし、抗議する前に、きちんと調査・研究してほしいなあ。
 薀蓄を披露している、ある記者さんによると、純粋に「温泉」を追求すると、日本では5%もないという。
 火山がたくさんある国とはいえ、硫黄の匂いがしない温泉はたくさんあるし、夜になると、湯が出てこなくなるところもたくさんあったし、まあ、前から変だ、変だとは、うすうす思っていたのが、やっぱりそうだったのか状態に陥った。
 多数の方が指摘しているように、今回の事件は、ウソをついて入湯税をとる税金詐欺事件である。「温泉」の看板を掲げて水を沸かすのなら、我が家のお風呂も、「温泉」を名乗ることができてしまう。「いい湯だな」あ~こりゃこりゃである。スーパー銭湯は、今回の事件で喜んでいるだろうなあ。例えば、お台場にある施設とか。なんの影響もないし、客が増える可能性があるもんね。正直というのは、商売になるのですね。
 ニュースで、名前が上がって、客が減るなどの影響が出ている、なんの罪もない温泉旅館の方々にとっては、夏休みシーズンだけに大打撃だなあ。でも、けっこう、仲居さんとかと「偽装表示」の話題で盛りあがっているかも。
 こうなったら、ニセ温泉ツアー、もとい! ニセ温泉旅館ツアーに行くしかない。とはいえ、カネはありません。地図を広げ、観光ガイドを手元におき、頭の中で、想像してみよう。
 やはり、白骨から出発したい。伊香保、水上と行って、赤城、草津を回る。藪塚、四万、おっと、石和を忘れてはいけない。箱根・湯河原へ抜けて、館山寺、弁天島と行く。飛んで、芦原、笠置、有馬、三朝、最後は、福岡は二丈町、那珂川町で終点である。まだ、増えるかもしれないが、想像する気力が枯渇してしまう。
 なんでも25度以上ある水を使用すれば、温泉を名乗れるらしい。宮城・作並温泉の旅館は、最初は偽装とあやまったが、その後、やっぱり温泉だったと表明した。遅ればせながらの「温泉宣言」である。さだまさしさんに歌をつくってもらうとよいね。
 くれぐれも注意したいのは、ニセ温泉旅館問題なのです。その他、涙ぐましい経営努力で、「温泉」表示死守に努めておられる温泉旅館の方々におかれましては、今回の事件で、ひねくれ者の旅行客が、当地に足を運ぶことを願うばかりです。
 
 

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2004/08/20

否定も肯定もしない

 残暑厳しい折、仕事に向かう途中、後ろで歩いている人の会話が聞こえてきた。2人の女性である。
 「そんなこといわれても…。私は、否定も肯定もしないよ。がははは」

 「否定も肯定もしない」とは、一体、だれが言い始めた言葉だろうか。おそらく自民党あたりの政治家ではないか。「10年たったら竹下さん」の故・竹下首相かなあ。違うかもなあ。記者に迫られて、慌てて、悪代官ぽい政治家がいいそうな気がする。
 でも、よく考えてみれば、「否定も肯定もしない」というとき、ほとんど、否定はしていないんですよね。暗に認めていることになる。都合の悪い質問だと、相手は認識しているわけだから、「答えたくないけど、そうなのよ。うふふ」といっているのと、ほとんど同じ。話した本人は、煙に巻いたとほくそえんでいるのかもしれない。政治家が、このコメントをしたら、疑っていいですよー。
 「普通」の方は、冗談話で、活用する分には、「がははは」ですみます。

  「そうだともいえるし、そうだともいえない」と相手にいわれたら、「どっちやねん。はっきりせんかい」といいたくなるのではないか。しかし、また、「ああ、言いにくいのね、まあ勘弁したるわ」なんていう人もいるのではないか。
 ところが、学者には、AだともいえるしBだともいえるみたいなことをまじめに言った人がいる。言語学者の時枝誠記という人。
 ことばというのは、伝わるともいえるし、伝わらないともいえる、と摩訶不思議なことを、言ったのですね。まあ、ずるい答え方だってことですよ。「否定も肯定もしない」というのは。

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2004/08/19

牛丼の怪・補注

 本当に恐ろしくなる話を付け加えるのを忘れてしもうたわい。
田中宇さんのホームページに出ていた話
 これを読むと、怪談話でも、笑い話でもなくなるのです。お~こわッ。

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牛丼の怪

 涼しくなってきたけれど、ヘンテコ怪談シリーズをつづけてみる。牛丼である。
 牛丼を食わなくなって久しい。とくに、吉野家のそれ。アメリカの牛肉に、どれだけ依存していたか。われわれは、吉野家の牛肉を通じて、アメリカと通じ、さらに、そのまたアメリカの肉牛農家とつながっていたのである。BSEの一件で、食べられなくなるということは、それ以前は、どうだったのか。白ワインも使用していたという牛丼を、以前はすくなくとも週に一度、学生時代は、ほぼ二日に一度、愛していたわれわれは、エイズ訴訟の原告と同じく、BSE訴訟の原告団となる資格を十分に備えている。すでに狂っているかもしれないし、もう発病しているかもしれない。
 はて、しかし。どうやって、吉野家の牛丼を食べていたことを証明できるだろうか。吉野家で、牛丼を食べて、領収書のようなものをもらった覚えがない。弁当でも注文すれば、その際、領収書を発行してもらうこともできよう。一時期、吉野家が自動販売機を使用し、食券制だったことがあるのも知っている。しかし、しかし、いまや、ピッと吉野家本部と回線がつがなるレジスターを打たれて、「はい、おつり」で、おしまいだ。ここが、領収書つき食券の「松屋」と違うところだ。
 それにひきかえ不思議なのが、「牛丼太郎」なる店だ。地味なチェーン店のようだが、BSE騒動にびくともせず、牛丼を販売しつづけている。マスコミからの取材もない。話題にものぼらない。アメリカの肉ではなかったのか。どうでもいいですよ的存在だ。
 話をもとに戻せば、吉野家は、なぜ、アメリカの肉に固執するのか。牛丼に適しているからとかなんとかいっているが、安い肉だからではないのか。うーむ。なぜ、オーストラリアの肉ではいけないのか。アテネ五輪の野球日本代表は、オーストラリアに敗れたが、オーストラリアの牛肉を食って、憂さ晴らしをしたいではないか。
 おー寒っ(というわけには、いかないなあ)。誠に失礼しました。

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2004/08/18

鳩の体当たり

 40年近く生きてきて、鳩に体当たりされたのは、初めてだった。あまり、このような経験をされる方は少ないだろうから、以下、みじめな行状を記す。
 JR新宿駅から西武新宿駅へ向かおうとしていた矢先の出来事だった。地下道をゆけば、こんなことはなかったかもしれない。
 友人と会う約束をしていて、急いでいたのだ。
 JR新宿駅には、待ち合わせの人々が、微妙な間隔をあけて柵に背にして立ち、出口付近を鋭く見つめていた。たくさんいるなあなどと、横目で見つつ、ホームレスのおじさんが鳩にパンくずを与えているのが見えた。心の余裕のある方であるなあと感心しつつ、鳩が、次々と舞い降りてきていた。その瞬間だった。顔の右側に、ババババと風がはためき、やわらかい鳩の胸がムギュ、グニャとかなりの衝撃でたたきつけてきた。鋭い爪の感触がほっぺたにピッと残った。視界の半分を覆われた。反射的に手で振り払おうとする。しかし、時すでに遅く、鳩は、斜め上に飛びあがり、何事もなかったように、パンくずへ降り立った。手は、完全に空を切っていたのである。まさに、「小次郎敗れたり」だった。
 周囲の人から何も笑い声は起こらなかった。同情もなかった。選ばれたヒーローのように、その場を立ち去ったが、「なぜ、おれが、鳩に、ぶち当たられなければならないのか」との思いを反芻していた。
 鳩も盲目になるときがある。飯に目が眩んだに違いない。鳩がパンくずめがけて、必死で降り立つところへ、急ぎ歩きで通りかかったための惨事である。数学的な確率でゆくと、ものすごく難しい計算が必要になる。鳩が舞い降りる速度、歩き去る速度、ホームレスのおじさんがパンくずを撒くタイミング…。
 ともあれ、初めて鳩の肉体を感じた。生温かい記憶、ほこり臭い匂い。鳩も驚いたに違いない。鳩には申し訳ないが、ぶち当たられた顔の部分は、風呂で念入りに洗いきよめた。鳩を使った間接殺人もありえないことではないなどと想像した。なにせ、先日、ねぼけて、頭をぶつけた個所に、ご丁寧に鳩が体当たりを食らわすのだから。ええい、悪霊退散じゃ! 

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2004/08/17

体操でも金

 ニッポン、ニッポンと、うるさいわい。何が体操ニッポン復活だ。NHKのアナウンサーにいいたい。素直に、選手たちの名前を呼んで、ほめたたえよ! 競技しているのは国ではない。人間である。28年ぶりの体操団体金かあ。とはいえ、金メダルラッシュやなあ。
 イラク戦争などというものがなければ、アフリカにおける虐殺がなければ、アフガニスタンの現実がなければ、核兵器の存在がなければ、素直に喜べるし、楽しめるのに…。え、なに? ごちゃごちゃいわんと、アテネ五輪を楽しめ? えらい、すんまへん。オリンピック・テレビ観戦の自分史をたどれば、家族の人たちが寝ているのに、子どもながらに朝から一人で、テレビをつけて、モントリオール五輪を見ていた記憶がある。ただ、恐るべきテレビっ子だったというだけだけど。寝不足でござるなあ。昔から、オリンピックというだけで興奮していた。ただ、踊らされているだけなのだろうか。ああ、寝よ。

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2004/08/16

フェイント

 ドキュメント`04(日本テレビ系)の「放火から1年…折り鶴180万羽の思い」を見たけれど、いまいちだったなあ。別にあら捜ししたわけでもないのに、番組にひきこまれていかなかった。なぜだろう。

 野球の関係で、放送が繰り下がっていて、ずれ込んだために、眠くなってしまったからかも。広島平和記念公園の折り鶴放火事件の、その後を描いていたのですが、テーマは、感動的なのに、なぜか、深まっていかない。根本に、広島への原爆投下と、その被害をきちんと踏まえていないから、迫力が足りなかったのだと思う。あと世界情勢とかも踏まえてほしかった。そこまで、やると難しいよねえ。

 ナレーションも明るめで、映像に合っていなかった。学生たちが折り鶴を、黙々と折るシーンは、見ていて退屈ではあるけれど、そのシーンが生きてくるかどうかは、今回の事件の掘り下げ方にかかっていたと思う。来年も、ぜひ、「さらなる、その後」というテーマでいいから、再チャレンジしてほしいです(まあ、高校野球の閉会式の講評みたいに陳腐な感想で申し訳ないです)。でも、完全にフェイントかまされたなあ。

 それよりも感動したのは、福原愛選手の卓球の試合でした。2回戦からの登場で、4×3で福原愛選手が勝ったわけですが、ものすごく緊迫した、白熱した、手に汗握る、追いつ追われつの、きわどい、見ちゃいられないけど、やっぱり見ていたいみたいな試合だった。相手のオーストラリア代表選手の名前が、ミャウ・ミャウでしたか、ミュー・ミューでしたか、そんな名前でした。

 それで、福原愛選手の足のバランスが、実にいいのですね。強烈なスマッシュをするとき、バーンと足が床をたたく、ものすごい音がするわけですが、崩れない。すぐに、体勢を立て直しているのです。足の筋肉の付き方もいいね。別に変な意味でなくて。フェイントの掛け方も、リズムよく相手のスキをついていた。その、ミャウ・ミャウだか、ミュー・ミューだかいう選手が、ミスをして、ふて腐れて足をポーンと上げるのを見たときに、「ああ、勝負あった」と思ったのですが、さにあらず。結構、接戦でした。卓球は、足も重要なポイントだと思いましたね。

 さらに、よかったのは、福原愛選手のコメント。「緊張して、手が震えて、(ペットボトルの)水が震えていました」と、思いがけない文学的コメントで、楽しませてくれた。15歳、福原愛選手のコメントは、今回のアテネ五輪でもっとも注目すべきものと思います。例えば、開会式のアトラクションを見ての感想でも、「人間のロボットだと思っていたら、人間だったので、びっくりした」といっていたし…。私が、勝手に思い描いているスポーツ選手のコメントは、「やりました」「がんばりました」「うれしいです」系の言葉なのですが、これまた、見事にフェイントをかまされました。あらあら。

 
 
 

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2004/08/15

映像ジャーナリスト

 しかし、ナベツネ辞任の話題で、盛りあがってますなあ。職場でも、だれかれとなく口にしていたから…。一種の「革命」がなされたことによる、祝祭的雰囲気が醸し出されています。ブラボー。
 世間(阿部謹也さんいうところの「世間」)は、アテネ五輪一色。15日付各紙は、谷選手や野村選手の金メダルの記事と写真がデカデカと出るでしょうね。ライブ中継を見てましたが、めちゃくちゃ強いですね。
 
 さて、祝祭的雰囲気とは裏腹に、久しぶりに息を殺して見た番組がありました。NHK教育テレビの「戦場から伝えるもの」(14日午後10時~11時半)という番組です。映像ジャーナリストたちの、戦場報道にかける執念みたいなものが、数々の写真、映像を通じて描かれていました。森田美由紀さんの落ち着いたナレーションが、映像を引きたてていました。登場したジャーナリストは、豊田直巳、広河隆一、亀山亮、森住卓、古居みずえ、故・小川功太郎の各氏。西谷修さん(東京外国語大学教授)が聞き役として、また、ナレーターとしても、番組を引き締めていました。
 一番、胸にこたえたのは、小川さんのことば。イラク・ファルージャを取材して、「戦争というより虐殺」と、命がけで指摘していたことです。日本の平和な桜吹雪の映像と対比して紹介されていました。小川さんが実感していた「平和」の重さが、平和感覚の鈍磨した私にも響きました。さらに、映像ジャーナリストの講演会につめかける人たちの存在について、西谷さんは、「テレビやニュース報道に満足できない」人たちがいることを指摘していました。
 奇しくも、14日は、JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞の授賞式があったのです。この次に表彰される映像部門の賞に、この番組を推薦したいですね。NHKにも、がんばっている人たちは、いるなあ。
 「しんぶん赤旗」のテレビ欄(14面)は、しっかりと、この番組を紹介していました。さすが。

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2004/08/14

ナベツネ

 意外に、あっさりと引き下がった感がある。
 ナベツネこと渡辺恒雄氏が、読売ジャイアンツのオーナーを辞任するきっかけは、ニュースで伝えられていることとは違うと思う。裏金を使って、選手をかき集めていることなど、プロ野球ファンなら、公然の秘密というものだろう。実際、一部新聞・週刊誌も、裏金の話は、折に触れてうわさしてきた。本当に、ナベツネが辞任に追い込まるキッカケをつくったのは、テレビでの巨人戦視聴率の低下である。もしくは、読売新聞販売店からのブーイングといってもよいだろう。
 1リーグ制への移行で、パ・リーグが、よだれを垂らしているのが、巨人戦のテレビ中継なのである。ところが、その巨人戦が視聴率低下では、テレビ放映料収入が期待できないばかりか、合併プラス1リーグ移行計画が破たんしてしまうのである。つまり、パ・リーグオーナーたち(すなわち、人格化された資本たち)の目指す利潤追求の夢が、あやうくなってきたと同時に、読売グループの屋台骨すら揺らいできたというのが、今回の辞任劇の背景にあるだろう。
 合併問題と1リーグ問題は、別問題などとのたまう人がいるが、笑止千万である。ことの本質は、プロ野球オーナーの暴走にあるのであって、合併によるチーム数減で1リーグにもっていく算段は、かなり前からすすめられていたと考えて間違いない。でなければ、ライブドアの買収に近鉄が応じない理由すら、わからなくなる。あの近鉄とオリックスのオーナーたちのニコニコ顔を見ればわかるではないか。何も、彼らは、球団を手放すとはいっていない。合併して、さらなる高い配当を得ようとしているニコニコ顔なのだ。古田選手会長が、憤るのも当然なのである。
 今回のプロ野球合併問題は、日本資本主義の文脈においてとらえないと、話の筋が見えてこないはずだ。プロ野球に失望しただの、プロ野球選手はストをしたらダメだの、勘違いもはなはだしい。前にも、書いたように、これは、日本プロ野球革命がかかった大問題なのである。他人行儀な、したり顔の議論ではすまない文化的な問題といいかえてもよい。
 プロ野球選手たちが、署名活動に乗り出した革命の第一段階から、ナベツネ辞任という第二段階に踏み出した。読売新聞社の会長・主筆は退いていないことにも、もちろん注意しなければならない。ナベツネは必ず復讐してくるだろう。
 ナベツネについては、魚住昭氏の『渡邊恒雄 メディアと権力』という執拗な取材を敢行した立派な本があるので、そちらを読まれたい。読売新聞1000万部死守とかなんとかいって、「押し紙」(購読者数以上の部数を販売店に押し付けて、みずからは利益を得る新聞社の手法)を文字通り新聞販売店主に押し付けてきたナベツネが、みずから、テレビ視聴率減、部数減の墓穴を掘ったのだから、新聞販売店主の怒りは収まらない。「たかが選手が」発言で読売新聞が10万部減ったと伝えたのは、恥ずかしくもかしこくも『週刊プレイボーイ』だったことを記録しておこう。
 

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2004/08/13

飲食店についての考察

 職場の近くにイタリア風レストランが開店した。その前は、居酒屋だった。その前は、アパレル関係の事務所だった。その前は、知らない。

 悲しいほど、客が入っていない。突貫工事で、ブリキ製の換気口を作っているところから、こちらは見ているから、哀れでしょうがない。猛暑つづきなのに、オレンジ色の看板を出している。暑苦しい。外から見る限り、それなりにスタイリッシュな店内ではあるが、スパゲティーを食べろとばかりに、黒板にメニューをチョークで書いたウエルカム・ボードを出している。どういう客層を狙っているのか。まったく、わからない。このあたり、選挙の難しさとよく似ている。

 この界隈(まあ、知っている人は思い浮かべてくださいまし。知らない人は、想像してください。とりたてて、大した場所ではありませんから)は、専門学校生が多くて、あと、パソコンのソフト関係とか、出版社や外国の薬品会社や三菱の化学関係の会社があったりするところ。夜間人口は、多くない。夕食時など、ほとんど立ち止まらない。近くの庶民的スーパーもつぶれかけている。

 なぜ、開店する前に、夜間人口をリサーチしないのかと腹立たしくなる。昼間は、それほどでもないが、みんな安いお弁当を買って食べたりしている人が多い。飲食店を出すには、ふさわしい場所ではない。一度、店に入って、なぜこんな当てのないところに店を出すのかと説教したいくらい。でも、お金がもったいないので、入りたくない。スパゲティーなど、わざわざ、おじさんがカネを出して食うと思うのか。期待してそうな女性客など、ほとんど通らないではないか。私が腹をたてても、しょうがないが、高村光太郎が、ボロボロなダチョウを見て、腹をたてた気持ちが、よくわかる気がする(意味不明)。

 やっかいなのは、店長らしき人物が外に出て、客引きを始めたこと。最後の手段のようだ。門前の仁王さんのように、客を見ている。眼を合わせないように、通りすぎるのに神経を使う。考え事をしているフリをしたりして(実際、考え事をしているときもあるが…)通る。意地悪な人間になる気がして(もう、すでになっている)、悲しいが、道端で客を見つめる方も、よくない。

 飲食店は、ものすごく経営が難しいと思う。あまり流行を追いすぎてもいけないし、流行に後れてもいけない。その結果、みなラーメン屋さんという当たり障りのないところに手を出す。そのラーメン屋さんも、これまた、すごく難しい。最近、流行の煮干をベースにしたラーメンに、私はどうもついていけない。趣味・嗜好というのは、店に合わせるものではないからね。客が店を選ぶのだ。客を育てるぐらいの気持ちがないと、飲食店はやっていけませんぞ。
 と、まあ、以上、自戒をこめて考察しました。

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2004/08/12

村上春樹のファンに聴け

 村上春樹さんの書き下ろし新作『アフターダーク』が、9月7日に発売予定だそうだ。アマゾンの売上ランキングでも、すでに9位に位置しているぞなもし。恐るべし! 村上朝日堂。兵庫県芦屋市生まれ55歳男の勢いは、とどまるところを知らない。
 世界的に読まれている日本の作家の代表は、いまや村上春樹さんというのが衆目の一致するところ。ロシアでも中国でも読まれているし、平和をめざす東アジア共同体の基盤となりつつあるではないか。ああ。おお。魯迅が東アジアの代表作家と思っていたのに…。
 大江健三郎ファンの私としては、なんとも、理解に苦しんできたのだが、少し理解できそうな気もしてきた。なぜか。『村上春樹の聴き方』(飯塚恒雄著、角川文庫)を読んだからだ(本当は、飯塚さんの「恒」の字は、難しい字なのですが、簡体字で失礼します)。
 ごぞんじのように、村上春樹さんの本には、音楽が、クラシック、ポップミュージックなどジャンルを問わず多数登場する。なにしろ、『風の歌を聴け』がデビュー作ですから、歌、歌、歌、歌なのです。私が苦手としていたのは、作品に登場する音楽の意味にあったのです。村上作品のファンたちは、おそらく、音楽を聴くように、村上作品に親しんでいるに違いない。もちろん、単なる音楽ではない。村上春樹のリズムに乗っているのだ。文章のリズム。構成、思考のリズム。
 翻訳で、このリズムが、どう変わるか判然としないが、翻訳家でもある村上春樹さんのリズムは、作品が翻訳されることも想定しているのかも。村上春樹さんに詳しいファンの方に聞いてみたいところです。

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2004/08/11

その印鑑、押してはいけない

 ジャーナリスト、JCJ会員の北健一さんが本を出した。
 えひめ丸事故を追ったルポルタージュで、週刊金曜日のルポ大賞を受賞した敏腕の人である。

 題して、『その印鑑、押してはいけない』(朝日新聞社、税込み1365円)。

 初めての著書だという。
 本人によると、「金融被害の根源にハンコ偏重があることを、被害実態、裁判の実態、国会論議と法
制史から考えた類書のない本です」。朝日新聞社新刊案内

 購入希望の方は、アマゾン

 カバー袖の紹介文を引用させていただこう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 知らないうちに預金が引き出され、巨額の借金の保証人にされる。書面に印
鑑さえあれば、押したのが本人であろうと別人であろうと、銀行も裁判所も、
被害者の声に耳を傾けることはなく、被害者は失意のうちに自己破産、自殺、
家族離散へと追い込まれる被害が全国で急増している。
 100円ショップで買え、5分もあれば印影も偽造できる時代に、「人間」
よりも「印鑑」を信用する日本の金融・司法界の古い体質が、諸悪の根源であ
る――本書は「印鑑偏重」が生み出す、深刻な金融被害の実態を追った初めて
のノンフィクションである。


(目次)
はじめに
第1章 詐欺師に使われた白紙書類――甲府信金迂回融資事件
第2章 署名は偽造でも契約は「有効」――UFJ28億円融資事件
第3章 乱脈融資も押印で免罪――「盆栽美術館」事件と不動産投資
第4章 金融業者の「飛び道具」――公正証書と手形裁判
第5章 たった一度の押印のために――連帯保証、変額保険、フリーローン
第6章 大切な預貯金が知らないうちに――盗難通帳の恐ろしさ
第7章 「ハンコ社会」はなぜできたか――民事訴訟法第228条4項
第8章 ハンコが凶器になる――民訴法改正めざすシンポジウム
終章 改革の足音――そしてこれから
おわりに

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

本当に、日本社会は、印鑑社会で、私もマンションを買ったときは、ハンコをつくは、つくは、ほいほいと
まあ気軽に押したものの、北さんのルポなどを読んで震え上がった次第。
ジャーナリストでは、いま一番、脂がのっている斎藤貴男氏も、まだ手をつけていない
問題であり、興味津々。私も早速、この本を買って読もうと思います。では、では。

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2004/08/10

ビバ! プロ野球シンポジウム

 プロ野球選手会が主催する合併問題を考えるシンポジウムのニュースを見た。参加者の顔ぶれが、ちと不思議だった。伊集院光さんがいるではないか。どういうつながりなのだろう。長嶋茂雄さんに関する本を著している玉木宏之さんであるとか、プロ野球問題で一番理論的な話ができる二宮清純さんが参加しているのは、わかるにしても。
 フジテレビのワイドショー・キャスターの小倉さんが出席していたのは、日ごろから番組内で、パ・リーグ選手を応援していたから、わかるのだが。これは、もう伊集院さんのラジオ番組を聞くしかない。

 ストをやる可能性は、高いようだ。古田会長がコメントしている場面を、各テレビ局は、ピックアップして映していた。 近鉄とオリックスは、10日にも、合併調印をするという。あまりも性急すぎないか。このままゆくと、ストになる。
 エイベックスお家騒動の「浜崎あゆみ」の例にならい、読売ジャイアンツの選手たちが、ジャイアンツを辞めるといいだせば、読売新聞が減り、ナベツネが退任し、風向きが変わるかも。簡単には、いかんでしょうが。読売新聞は、このシンポを、どのように報道するだろうか。
 しかし、問題の発端は、火をつけたオリックスと近鉄にある。この球団のオーナーたちは、とりわけ罪が重い。遠山の金さんにならって、「遠島申し付ける」といいたいところ。

 シンポジウムをする限りは、オーナーにも参加してほしかった感じがする。まあ、向こう側で断るだろうけれど。ファンとオーナーが、冷静に語り合える場は、もはやないのか。プロ野球という「文化」を、幅広い文脈で位置付けなおし、ファン重視、地域重視で、再生することはできないのか。子どもにわかる仕方で、捉えなおすことは、できないのか。プロ野球ファンの子どもたちを大事にする考えにたつことはできないのか。いまのままでは、ファンが増えることはないだろう。

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2004/08/09

九条の会ビデオ

 注文していた「九条の会」ビデオが、送られてきた。何度もいうけど、よく、これだけのメンバーが集まったものだ。
 私は、井上ひさしさんから、鶴見俊輔さんに至る8人の話を、生で聞いたけれど、ビデオで改めて見てみると、大江健三郎さんや小田実さん、奥平康弘さんたちは、かなりの準備をして講演に臨んでいることがわかる。
 大江さんが、原稿用紙をめくりながら、話をしめくくる最後の言葉へ向けて盛り上げてゆく姿、加藤周一さんがメモに目を落としつつ、限られた時間内で、必要最小限訴えたいことを、聴衆の反応を探りながら、語る姿も興味ぶかい。加藤さんや鶴見さんは、聴衆に考える時間を与える対話的思考を、生き生きと見せてくれる。あそこまでくると、これは話芸ですな。

 しかし、あの会場にいたものでないとわからない聴衆の雰囲気というものは、映っていない(当たり前か)。なんなんだろう。一種、独特の緊張感とでもいおうか。みんな熱い思いで、集まっていたのだ。

 とはいえ、おすすめのビデオ。「九条の会」事務局に頼めば、送料・実費1810円で手に入る。連絡先は、03(3221)5075、ファクス03(3221)5076。
 ホームページから、メールを送ることもできる。九条の会

 ※鶴見俊輔さんの語りは、もはや名人の域に達しています。法律とか国会とか、狭い枠で考えない思考というものが大事なんですね。さすが「落とし穴」を見ぬく哲学者です。

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2004/08/08

作家たるもの

 『新潮』9月号に、作家の浅尾大輔さんが、「胸いっぱいの、」を発表している。おそらく、この「、」をタイトルに使いたかったのではないか。前から狙っていたのでは…。「モーニング娘。」みたいなものか(それはそうと、昔、札幌の地下鉄で、「モーニング娘。」に似た「娘」を見てびっくりしたことがある。その娘は、ニッコリとタレントのように微笑んだのである。気のせいかもしれないが。時間帯は、モーニングではなくて、アフタヌーンだったが、本物だったかも)。

 新潮新人賞受賞作「家畜の朝」につづく、「家畜」もの第二弾とみた。家畜といっても、ほんものの家畜ではなく、家畜のような人間である。どうしようもなさの中に「希望」を探る作風と見ていたが、今度は、「絶望」も描きこまれている。ドストエフスキーの「罪と罰」が、物語の背景に隠し味でとりまぜられている。浅尾さんは、ドストエフスキーという作家が大好きのようだ。「浅尾大輔」でなくて、「ドストエフスキー大輔」と解明したらどうか(モブ・ノリオみたいに)。でも、もう改名できないね。家畜の浅尾路線を、このままつづけるのであろうか。注目されるところである。

 それはさておき、作家というのは、やはり、特別な人間だ。ココロを裸にした人たちなのだ。ココロを裸にしつつ、物語という宇宙を創生する。私が読みたいのは、あたかも、他の惑星からやってきたような眼で、ありきたりな日常生活を、まるで違ったものに見せてくれる作品だ。それは、あたりまえのものをあたりまえでなくする「異化」だ。
 浅尾さんの今回の作品で、うまいなあと思ったのは、墓場の場面。墓標を見ると、先のアジア・太平洋戦争で、「戦死」した人たちの名前が刻み込まれているのを、主人公が見るくだり。それと、架空の新聞記事。ぜひ、関心のある方は、お読みください。すらすらとは読めないかもしれないけれど、作者の狙いを探りながら読むと面白いかも。
 
 墓場で思い出すのは、大阪・岸和田の墓場。昔、岸和田紡績で働いていた朝鮮人女工たちの墓があるはず。犬の散歩で、深夜によく墓場へ連れていかれた。犬が、なぜか、そちらの方向にいくので仕方がない。墓場は、静かで、安全な場所なのだ。夜は、高層ビル群のミニチュアのようでもある。夏の夜は涼しくてよい。

 訂正 以前の日記で、「○ハウルの動く城」を「×ハウルの歩く城」と間違えた。また、「○養老孟司」を「×養老猛」と間違えた。推敲せずに、どんどん公開する浅はかさ。情けなや。ご容赦ねがいたい。

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2004/08/07

『ブラックジャックによろしく』

 手塚治虫の『ブラックジャック』が大好きだった。間黒男が、ブラックジャックとなる屈折した人生、本間丈太郎という医師に救われた経緯、ピノコという摩訶不思議な女の子(愛読者は、ご存知のとおり、人間になりそこなった細胞を活用しての人造人間)、安楽死を施すドクターキリコ、そして、ブラックジャックが住む、あの崖に建つ家などなど、医師・手塚治虫の知識と哲学が全力で投入された作品だった。
 実際、あの崖の家は、ちょっと考えれば不便このうえない環境で、しかも、あんなところ(つまり、国立公園にでも指定されていそうなところ)に家が建っている。あの崖の家をつくった大工の物語も描き込まれていて、私の空想上では、住んでみたい家ナンバーワンなのである。

 これにたいして、佐藤秀峰さんの『ブラックジャックによろしく』(講談社)は、斉藤英二郎なる研修医の物語である。テレビドラマにもなったからご存知の方も多いでしょう。単行本は、現在9巻まで刊行されている。永禄大学という超一流大学医学部出身ながら、家賃の安そうなアパートに一人住む。看護師の皆川さんという恋人もいて、関係は一進一退を繰り返している。この斉藤(「斎藤」でないところも、作者のこだわりがあるとみた)は、外科、小児科、がん病棟、精神科など、ゆくさきざきで、みずからの思うところを通し、波紋を広げる。ただし、作品の中で、医局の支配の前に一歩引き下がるような場面も描かれていて、漫画にとどまらないリアルな側面もみせる。
 登場人物たちも、あるモデル(例えば、宇宙飛行士の向井千秋さんの夫、向井万起男さんとか、坂本龍一さんであるとか)を想定していることを思わせる似顔が登場する。口をとがらしてぷうーっと膨れる顔が、斉藤の性格の一端を表している。
 ともあれ、スーパー外科医でないところの研修医・斉藤は、素直に感情をぶつけ、悩むことにおいて、いろんな医師たちから愛される。斉藤の立ち居振る舞いは、現在の医師たちが忘れているものを呼び覚ますことを想定して描かれているように思う。それが何かは、まだ、作品として完結していないので、いずれ機会を改めて、「つぶやき」をしてみたい。

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2004/08/06

代々木アニメーション学院

 日本のアニメは、世界から注目されているだけでなく、いまやアニメを支える専門学校までもが聖地と化した雰囲気がある。というのも、代々木アニメーション学院のアニメショップに、「外人」さんたちが、「おみやげ」を買いにきていたからである。とうとう、ここまできたかと感慨にふけることしきりであった。
 若くもなく、年寄りでもない「外人」さんたちは、恥も外聞もなく、棚をあさり、しばしば、大きな尻を振り、腰をかがめて、狭い店内を動き回る。日本人向けの店構えでは、窮屈このうえない。代々木アニメーション学院に告ぐ、早く改装されたら良かろう。旅仲間らしい「外人」さんたちは、店の外で、興味深げに眺めている。英語の構文風にいえば、非常にアニメに関心が高いので、いくら時間を費やしてもしすぎることはない、といった感じだ。

 代々木アニメーション学院の急成長ぶりは、すさまじい。建物数では、代々木ゼミナールを圧倒し、代々木近辺にある建物をつぎつぎと買収していった。ほんの十数年のことである。代々木近辺ナンバーワン・ビルオーナーの山野愛子美容学園に追いつく勢いである(とはいえ、山野帝国には、まだ負けている)。

 スチーム・ボーイとか、ハウルの動く城とか、次々とおもしろそうなアニメーションが公開されるか、あるいは、されようとしている。アメリカのディズニーに与える影響も大きい。ウオルト・ディズニーが生きていたら、なんというだろうか、いやなにもいわない(こんな英語の構文もあったような…。いや漢文か)。
 東中野さんという、札幌在住のアニメ作家にお話を聞いたことがある。何度も倒産した話を、聞かされた。東中野さんには、「土を食らう」という作品などがある。マンションの一室を借りて、アシスタント5人が、熱心に絵をトレースし、描き、色を塗っていた。現場は、根気とか、忍耐という言葉が浮遊しているようだった。みな真剣で、私語をする者などいなかった。
 うまく、いっているアニメスタジオは、ほんの一握り。世界に誇るアニメ文化の周辺は、きわめて厳しい。とはいえ、ルパン3世の劇場映画版がテレビで放映されれば、「渡る世間は鬼ばかり」(英語に訳すとどうなんでしょう)も遥かに及ばぬ視聴率をたたき出す。先週、なんと視聴率1位だったのだ。
 いまや、巨人戦よりもルパ~ン3世なのである。モンキー・パンチ(この人の名前は、「外人」さんにも通じるのだろうか)は偉大である。

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2004/08/05

替え歌の面白さ

 NHKも午前零時を回ると、変な番組をやる。思わず目が覚めてしまった。なんでも、替え歌礼賛の番組(5日未明?)である。
 嘉門達夫さんが出ていた。もう一人は、斎藤陽子さんか。いい味出しているではないか。
 「大阪で生まれた女」の替え歌がおかしかった。笑い声で、寝ている妻を起こしてしまった。申し訳ない。大型で邪魔な車のてんまつを、「大阪で生まれた女」のペーソスを盛り込んで、みごとに歌いあげていた(歌は、嘉門さんではなかった)。うーん、ビデオにとっておくのだった。しまった。しかし、天下のNHK、半国営放送が、こんな番組をやるとは、どうしたことだろう。
 おそらく、パイロット番組(つまり、試行錯誤的につくる番組)で、番組に穴の開いたときにでも流そうというつもりでつくったものだろう。嘉門達夫さんも、NHKには、あまり登場しないタレントさんである。ツボイノリオさんがプリンセス・プリンプリンの「謎のアナウンサー」で登場していた(昔の話ですみません)のにも驚いたが、久しぶりのNHKらしくないタレントの登場である。
 嘉門達夫さんのコンサートには、一度だけ行ったことがある。中野サンプラザホールで、全国ツアーの途中だったと思う。♪鼻から牛乳がブレイクしていたころ。つまり、嘉門さんの絶頂期である。嘉門さんは、宙吊りまで見せていた。マネジャーが入り口付近で、紅潮した顔で立っていたのを見た。
 いうまでもなく、替え歌は、元歌が知られていないと成立しない。さらに、元歌を換骨奪胎する技が必要である。言葉の「音」も似せる必要がある。似ているけれど、まったく別物、意外な風景が広がるところに替え歌の真骨頂があるだろう。
 また、替え歌に転用可能な枠組みが、元歌にはある。それを、歌の構造と呼ぶことができるかもしれない(なんだか、大げさですが)。つまり、結論的にいえば、歌には、替え歌を誘う「物語としての完結性」があるのかもしれない。
 もちろん、替え歌には、批判精神も必要だ。元歌にたいする、辛辣な、かつ、いじわるな、それでいて、愛情を注ぐ風情がいる。短歌や俳句の世界では、どうなのだろう。
 視点を変えて見る、もともとのものを疑ってみる技法として替え歌は有効ではないか(何が有効かしらんが)。あたりまえと思っているものを、「替え歌」精神で、捉えなおすことも面白い。
 とはいえ、なんで、NHKは、このような番組を制作したのであるか。謎は深い。

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2004/08/04

古田は偉い

 人をほめたい。まず、ヤクルトの古田敦也捕手。7月31日未明、朝まで生テレビに出演した後、公式戦に出場し、勝利に貢献したのだわいなあ。番組中も、きわめて冷静な態度を貫き、さすがプロ野球選手会長やなあと感嘆することしきりでやんした。よく出演をOKしたものですね。
 次に、古舘伊知郎さん。「報道ステーション」、いよいよ脂がのってきたようです。民主党の岡田克也代表に鋭く、トーキング・ブルースをぶちかましていました。まあ、それでも、番組提供で、ときたま、イオンなんてテロップが出るのは、ブラック・ジョークでもなんでもなくて、「悲しいとき~」(いつもここから)ですな。
 さらに、札幌の今井さん。あの、日本人人質事件の方です。本を出されるのですね。あれほどのバッシングのなかから、よくぞ、立ち直りの元気をみせてくれていますぞよ。まあ、また、いろいろいわれるでしょうが、なんとしても、ぜひ、がんばってほしい。心無い人たちの悪罵なぞ、気にかける必要はないのだから。
 さてさて、プロ野球12球団の選手たちのみなさんもえらい。署名活動に乗り出したのだから。日本ハムの新庄選手は、なぜかユニフォーム姿ではなくて、ラフな姿での署名活動参加でしたが、それは、それで、球場外の姿と球場内の姿を分けているのかもしれませんなあ。 
 最後に、長嶋さん。よくぞ、アテネ五輪参加を断念なされた。つらいでしょう。しかし、長嶋さんは、もう日本プロ野球の宝、石原裕次郎、美空ひばり亡き後、吉永小百合、高倉健、小澤征爾、王貞治、野村克也と並ぶ大スターなのですから、じっくりとリハビリされて、まだまだ末永く活躍していただきたいのです。

 忘れてならないのは、新潟、福井、および四国の人たち。豪雨水害やら、台風水害やらで大変な目にあっておられる。家がつぶされたら、つらいなあ。私なんか住宅ローン残っているし…。
 さらに、原水爆禁止世界大会に集まっておられるみなさん。この暑い中、ごくろうさま。平和が一番でありまする。
 

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2004/08/03

■←こういうのつけるのって

 ブログなるものを日本に住まう一億何千万何千何百何十何人(人間は生まれたり、死んだりしているから、本当は、何月何日何時何分何秒現在なんて書かなければならないのだ)が全員始めたらどうなるのか。ありえないが、まったくありえない話ではない。赤ちゃんとお年寄りを除けば、子どもにも可能だからねえ。そして、毎日、毎日、一億…人が、日記を蓄積していくと1年でどうなるか。一億…人×365日である。
 そして、その日記をよんで、コメントをつけたり、トラックバックなるものをしていくと、さらに、増える増える。ニフティの人が喜ぶ喜ぶ。困る困る。メンテナンスが大変大変ということになるのではないか。
 さらに、知り合いがどんどんどんどん増えていくと、日本全体が村のようになる(わけはない)。タレントなんて特別な存在の人はいなくなって、単なるお隣さんになって、ええ、あの人知ってますよなんてことになる(わけはない)。
 ともかく、友達の友達は、友達で、その友達の友達は、友達なのか。日本に住まう人間は、どこまで親戚をたどっていけるのか。意外といつも国会でけんかしている間柄でも、親戚なんてことになっていないか。
 天皇が万世一系だなんて、威張っていた時代は、とうの昔に過ぎ去っているのに、いまだに雅子さま、雅子さまといっていていいのだろうか。適応障害なんて、とってつけたみたいな病名を公表しても、そんなもん誰が信じるかい。私からすれば、異常な「皇族」(いわゆる一つの税金生活者)の生活環境に適応障害を起こす人間の方が正しいではないか。適応する方がどうかしている。
 とまあ、「みみずくの夜メール」なるエッセイで、五木寛之さん(本名のようですね)が書いていたストレス話(8月2日付朝日新聞)に触発されて、考えたのであります。ストレスをもたない人間の方がおかしいという話でした。
 五木寛之さんが集英社新書から出している本で、自分の体を使って遊ぶ話が書いてあって、へえと思いました。赤ちゃんをみていると、自分の体を使って遊んでいるもの。忘れていたものを思い出させてくれる文章は、ありがたい。
 それはそうと、■←こんなものをつけて、目立たせることを最初に考えた人は、だれでしょう。うまい小技ですねえ。

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2004/08/02

イ・スンヨプがんばれ

 イ・スンヨプ選手を見に千葉マリンスタジアムへ行きました。昨年、56号ホームランを記録し、王貞治氏のもつアジア記録を塗り替えた選手です。
 私が先月見に行った試合でイ選手は、7回以後に代打で登場したので、見る機会を逸したのです。

 体は、大きいと感じないです。やや、うつむきがち。まだ日本のプロ野球に慣れていないのでしょうか。相手投手からは、内角を執拗に攻められています。それはもう徹底した内角攻め。何度もデッドボールぎりぎりのところに投げ込まれています。あれをやられると、打者は、腰が引けてしまうのですよね。明らかな弱点があると、敵側から見られていると、さすがに厳しいものがあります。 
 8月1日の対西武戦では、3対3の同点で迎えた7回ツーアウト満塁の場面で、イ選手に打順がまわってきました。一塁側外野席のロッテ応援団は、韓国の国旗を打ち振り、イ選手の名前を書いたハングル文字のボードを掲げ、大声援です。ファウルで粘ったものの、最後は真上に高くフライを打ち上げました。大声援は、ため息にかわりました。帰りのバスを待つ間、私の前にいたロッテファン(子連れ)も、このシーンのことをあげて、残念がっていました。それだけ、イ選手にたいする期待は大きいのです。

 しかし、試合はロッテが前日に続く連夜のサヨナラ勝ち。ロッテファンにはこたえらえれない試合展開でした。
 7月31日には、ロッテ選手たちが、署名活動を展開しただけに、観客席と選手との一体感は、増している感じです。サブロー選手も、ヒットを放ったあと、応援団にむかって、手をあげてアピールしていました。
 ファン、応援団の合併反対のエネルギーは増しています。「俺達の生きがいを奪うな」「パ・リーグ合併反対。ファンの声を無視するな」、さらに、「合併すれば、俺達は球場を去る」という激烈な感情のほとばしり(?)を感じさせる横断幕もあり、たたかいは進行しています。
 プロ野球オーナー暴走問題のなかで、イ・スンヨプ選手の処遇は、どうなるのでしょうか。外国人選手はプロ野球選手会に入ることができるのでしょうか。ぜひ、外国人選手も交えてのたたかいにしていただきたいものです。
 以上、変な夏休み日記風でお届しました。イ選手、がんばれ!

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2004/08/01

海へ

 子どもの反応がみたくて、海へ行った。海水に足をつけるの初めて。海の遠くの方をみつめて、びっくりしている。おそるおそる歩き出した。こんどは、足下に押し寄せる波ばかりみつめている。2、3分して、くるりと向きを変え、母親の方へ行こうとする。 
 砂浜には、カニやらスズキやらの死骸があって、超現実的風景が横たわっている。それらに気をとめることもなく、海を見つめている子どもの姿は、初めて海を見た人間の姿を示している。よく目に刻んでおきたい。
 まだまだ、自然に興味を抱くというよりは、恐れの感情が沸き起こるようだ。人間の方にばかり目がいっている。

 恐れの感情で思い出した。マクロコスモスとミクロコスモスの話。大宇宙と小宇宙。
 日本の歴史家で、このことに触れたのは、西洋中世史の研究者、阿部謹也さん。いわば、日本中世史の網野善彦さん的存在ですね。阿部さんの論文「中世賤民の宇宙」(?)には、人間の恐れ・怖れ・畏れの感情が、マクロコスモスの世界観につながっており、人々が異能力者たちを畏れ、賤民視する原因にもなったと論じていた気がする。

 子ども時代は、ちょっとした木の模様だとか、テーブルクロスの模様だとか、人間の顔や目に見えたりして、勝手に畏れの感情を抱いていたりする。おとなになるにつれて、なぜ、あんなに怖がっていたのか不思議でさえある。しかし、海は気をつけないと怖いよ。水の事故は多いからね。畏れを抱きすぎるのもおかしいし、畏れをまったく抱かないのも問題です。
 あと、キリスト教的には、許しの象徴なんですね、海は。フェデリコ・フェリーニの映画「道」でも、主人公ザンパノは、最後に海で潮に洗われながら、みずからの行為を悔やむシーンがありました。日ごろ、子どものお世話が出来ていない私としては、海は、悔い改める絶好の舞台なのですね(うーむ。ほんまかいな)

 ともあれ、子どもにとっては、海はマクロコスモスなのだなあ。すごいものを見たような顔をしていた。後々、宇宙というものを知ったときに、こんどは、子どもがどんな反応を示すのか興味津々です。
 それはそうと、宇宙の軍事利用なんて、財界の人たちがいいだしているけれど、それは、別の意味で、畏れを知らないものだと思う。おとなだって、びっくりする。スパイ衛星でよその国を覗いて何がうれしいのか。宇宙経由で軍事ミサイルを飛ばして何がおもしろいのか。日本経団連なんて、ろくでもないことを考えている。
 海へいくと、人類は、これからどうなるのであろうかと、ふっと頭をよぎるのでありました。

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