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2004/07/31

蝉の鳴き声

 蝉の鳴き声を文章にすると、どうなるか? 難問である(しょうもないという声も聞こえるが…)。
 『図書』8月号(岩波書店)に掲載されている作家・佐藤正午さんが、この難問に挑んでいる。

 佐藤さんは、かりにも作家なんだから、ミンミンミン、シュワシュワシュワ、ギリギリギリ、ジジジジと表現するような芸のないことはやめないか? と自分にたいして思ったそうである。

 そこで、登場するのが、佐藤さんが、ある新聞時評で読んだという三島由紀夫『豊饒の海』四部作。
 三島由紀夫は、「数珠を繰るような蝉の声」と表現したという。この比喩がどこに出てくるかを捜し求めて、とうとう佐藤さんは、四部作を最後まで読みとおすはめになったそうだ。そして、なんと四部作一番最後のひとつ手前の文章に、この表現が出てくることをつきとめた。
 三島由紀夫の「豊饒の海」には、直喩がたくさん出てくる。その直喩を読み進めるだけでも楽しめるらしい。佐藤さん自身も、蝉の鳴き声を「数珠」に喩える一歩手前まで到達していたらしい。しかし、「数珠を繰るような蝉の声」とは表現できなかった。

 佐藤さんは、書く。「だが三島由紀夫はどんな音も聞き逃さない。小説家の仕事はまず耳をそばだてること、そして聞いた音を記憶し、必要なときに思い出すこと…」

 さらに、佐藤さんは、この「豊饒の海」ラストに登場する蝉の種類を特定しようと推理を進めるのであった…。うーむ。
 ただし、三島由紀夫事件について佐藤さんは、まったく触れていないのが不満である。あの事件に触れ出すと、予定された原稿枚数の範囲内で収まらないからだろうか? とはいえ、読まされてしまった。小説家は、うまいなあ。

 『図書』8月号、なかなか面白い。巻頭の夏目漱石に関する文章もよい。丸谷才一さんもよい。文章に時代を反映する仕方を学ぶことができる。よいよい。
 
 

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2004/07/30

1歳6カ月の恐怖

 1歳6カ月の子どもにいいように振り回されている。「振り回されている」と考えるのがおかしいといわれれば、それまで。赤ちゃん時代は、終わり、全然いうことをきいてくれない。自己主張が激しすぎる。他人のことはいえるかといわれれば、それまで。1歳6カ月の子どもは、まともに話せない人間だから余計に手ごわい。少しは、話せるようになれば理解できるのだが、何に腹をたてているのかがわからない。いつまでも、ぐじゅぐじゅ泣いたりわめいたりしている。ご本人は、ストレスがどんどんたまり母親に文字通り噛みつく。言葉が通じないから、親子でいらいらする。
 小児科医・松田道雄の本を読んだりする。確かに参考になる。しかし、その本の解釈をめぐって夫婦で対立する。ちなみに、松田道雄の息子は奇術師、マジック研究家になった。子育てはわからない。
 子育てなどというが、子どもを育てられるほどの人間でもなんでもない。そのことだけはわかる。生まれてきた子どもがかわいそうだといわれれば、それまで。どんどん体は大きくなってきている。少し前まで、床に転がって、きゃあきゃあいっていたのが信じられないくらいだ。こんなに短期間に人間の変貌をみせられると、こちらも、もう少し人間が変わらないといけないかと思ったりする。もう無理ですよ。いやそんなことはないと、葛藤が生じる。
 1歳6カ月の人間は、恐るべき存在である。情けないといわれれば…。
 

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2004/07/29

巨悪は裁かれるか?

 「悪」は、往々にして周囲に鈍感であるから、悪を口から吐き出し、実行しても反省するには至らない。いわんや、ナナベツネをや。しかし、「悪」を「悪」として存立させている構造もまた、「悪」であることに変わりない。「悪」をのさばらせる構造がなくならないかぎり、「悪」は消えない。いわんや、橋龍をや。
 スターウォーズにおけるダース・ベイダーのダークサイドストーリーは、哲学的には、「悪の哲学」に属する。ナベツネがいかにして、「悪」として成長してきたかも、戦後日本の歴史と重なる興味深い問題をはらんでいる。
 「悪の哲学」は、単純にいえば、西田幾多郎いうところの善の哲学の逆である。絶対矛盾的自己同一に比すれば、絶対矛盾的自己分裂が悪の本質である。ナベツネの言動、ふるまいは、「たかが選手が。なかにはいい選手もいるが…」の自己分裂的発言に集約された感がある。後半部分のコメントは、バッサリと新聞・テレビなどからは省かれた。もちろん、新聞で、その部分を掲載した社もある。「たかが選手が」発言が注目されているのは、今回のプロ野球オーナー暴走問題の本質を表現しているからである。

 読売ジャイアンツの選手たちが、29日午後1時、東京ドームで署名活動を展開した。テレビニュースを見た限りでは、上原投手のコメントが光っていた。いわく、「ファンの声を無視していいのか」と。オーナーたちは、「たかが」「たかが」の思想的立場なのだから、いまのままでプロ野球のオーナーとして続けていくのは、ファンに失礼である。ここは、一つ、いまのオーナーたちに退場してもらわなければならない。オーナーが変われば、いまのプロ野球は捨てたものでない。プロ野球選手会の人たちも、そのことに気づきはじめているのかもしれない。

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羅門光三郎の四段活用

 中島らもファンの間では、彼の名前の由来が、俳優・羅門光三郎に由来していることは、有名のようだ。新聞各紙を読み比べてみたが、羅門光三郎に触れている記事が見あたらなかった。
 しかし、ネットの世界では、毎日新聞(電子版?)が27日に流していた記事に、そのことが書かれてあった。「中島らもん」と最初は名乗っていたと書いてある(打ってある?)

 「27歳の時、無声映画の剣劇スター・羅門光三郎から取った『らもん』のペンネームで散文と詩による『全ての聖夜の鎖』を自費出版」(毎日新聞電子版7月27日)

 らもさんが、自費出版した『全ての聖夜の鎖』とは、直木賞を逃した『今夜すべてのバーで』を思わせる題名だと、つくづく思う。こういうロマンチックなタイトルが好きだったのかも。

 通常の毎日新聞(紙版?)では、「羅門光三郎」の部分が、そっくり「預かり」になっていた。紙面の都合だろう。「毎日」記者には、かなりウルサイ中島らもファンがいるようだ。また、産経新聞は、中島らもさんが、ラジオのパーソナリティーをしていたことが書かれている。やはり、FM大阪の「中島らもの月光通信」を聞いていた記者が産経にもいたのだ(昨日、コメントをいただき、番組名を思い出させてもらえました。感謝!)。

 その剣劇スター、羅門光三郎は、有名なところでは、溝口健二監督の「雨月物語」に、「丹羽方の武将」役で出演しているという。また、別の映画では、森の石松を演じ、さらに、座頭市シリーズにも出たことがあるそうだ。
 この羅門光三郎も、米映画俳優、ラモン・ナヴァルから芸名をとったというからややこしい。
 つまり、ラモン・ナヴァル→羅門光三郎→中島らもん→中島らも、という具合に四段活用するわけなのだ。
 ラモン・ナヴァルは、1926年作の「ベン・ハー」の主役を務めたそうだ。チャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」の元になった映画。「さるさる日記」で勝谷誠彦さんが、兵庫県尼崎市出身の中島らもさんのことを書いている。歯医者さんの息子さんだったのだ。つくづく、惜しい人を亡くしてしまったと思う。

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2004/07/28

らもさん死す

 あれは、もう何年前になるだろうか。たしか、1980年代半ばではなかったか。FM大阪で、中島らもさんが、いい味出している番組があった。水曜日の深夜だったような気がする。らもさんの番組の前後には、ゴンチチとか、「でーやんの音楽横丁」とか、面白いプログラムもあって、黄金時代を築いていた。
 とくに、中島らもの「こわーい話、おもろい話」みたいなコーナーがあって、後に、「明るい悩み相談室」(朝日新聞)で発揮されたような、特異な才能を、そのころから発揮していた。
 私は、ラジオの前で、畳の上を、笑いながら転げまわった記憶がある。

 それと、らもさんは、関西では、カネテツデリカフーズのサングラスをかけた「かねてっちゃん」の広告で知られていた。コピーライターとしても有名だったはずだ。いわゆる、かまぼこ屋さんなのであるが、関東では、あまりなじみがないと思う。中島らもさんの、この広告のおかげで、カネテツデリカフーズには、ヤンキーのにいちゃんみたいなのが就職試験にきたそうだ。
 私も大阪・岸和田出身で、亡命関西人であるのだが、関西弁のおもしろさ、大阪の面白さみたいなのも、らもさんから学んだ。ヤンキーのにいちゃんが、つばを吐きながらいう「ちゃーっそー」みたいな関西弁のニュアンスを、実に豊かにつかんでいるのだった。

 とはいえ、らもさんは、秀才中の秀才なのであって、灘高の出身。エスペラント語を勉強しているのやら、数学がめちゃくちゃできるのやら、変わり者たちの中で、ひときわ変わり者として輝いていたのであるから、別の道を歩んでいたら、どうなっていたか。何が、彼を酒に溺れさせ、ヤクチュウにさせたかは、残されたままの宿題となってしまった。泪、涙、ナミダ。

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2004/07/27

オーナーという反革命勢力

 「日本プロ野球革命」の展望は、いよいよ、混沌をきわめてきた。オーナー会合は26日、7時間も費やして、結局、1リーグ論と2リーグ論の継続審議を決めただけで終わった。
 革命勢力にたちつつあるかと思われた阪神タイガースだが、どうやら、熱烈なファンの声にこたえた動きではないようだ。あくまで2リーグによる従来型の利益維持をめざす方向であるらしい。がめついですなあ。ナベツネ巨人を説得できずして、ニュー・リーダーになることはできない。オーナーたちに、改革を委ねること自体が無駄な話だということが、いよいよ、はっきりしてきた。本気ならば、9月を待たずして、圧倒的多数になっている2リーグ制維持へ大きく舵を切れたはずだ。表面上、巨人は、いまや少数派なのだから…。そうならなかったところに、臭みをかんじる。あやしい。
 ここは、きっちり12球団維持、2リーグ堅持で、新しい企業のプロ野球への新規参入を認めるべきだろう。それならば、ファンも納得がゆく。私も文句はいわない(まあ、だれも相手にしてくれないけれど)。
 球団数が減って、1リーグ制のプロ野球など、たとえ、いい試合をしたとしても、年間を通してのスリルが全然ない。オーナーたちには、アジアの視点もない。韓国、台湾、中国などのチームと試合をすればいいではないか。なにかといえば、日米野球。日米軍事同盟の枠組みから、プロ野球も抜け出せない現状がはがゆい。
 
 「継続審議」とは、国会を見なれている者にとっては、ゴマカシ以外のなにものでもない。選手会労組やファンの怒りがおさまるまでまとうという意図が感じられる。時間ひきのばし作戦である。シーズンオフにまで持ち込めば、オーナー側が有利になることは間違いない。選手側は、ストライキがうてなくなるからだ。契約更改もある。オーナーたちの狙いは、明々白々である。
 このままゆけば、なし崩し的に、1リーグ制にもってゆかれるであろう。オーナーたちの姿勢に、すでにそのことが表れている。多くのプロ野球ファンが、このことに気づき、プロ野球を公正かつ民主的な方向へもっていく動きをつくれるかどうかがカギである。

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2004/07/26

海老さま

 ベッカムさま、ヨンさま、海老さま、と、「さま」ばやりである。
 25日夜、NHK教育テレビで市川新之助改め市川海老蔵襲名公演を放送していた。「暫」の装束一式は、60キロもの重さがあると聞いて驚いた。体力がいるのだねえ。「見得をきってごらんにいれまする」の名台詞は、市川団十郎襲名のとき以来。私も、大学時代、団十郎のモノマネを友人と競い合って、おかしかった思い出がある。しかし、歌舞伎役者たちは、大変な大仕事をこなしていたのである。申し訳ないことで、私自身の想像力の欠如でしょうか。
 伝統と革新というテーマで、歌舞伎は語りつくされてきた感がある。ただし、それは、歌舞伎役者の家に男の子が生まれることが前提なのである。いわば、市川団十郎家には、天皇家と共通のモチーフがある。その意味で、一代かぎりのベッカムさま、ヨンさまとは違う。
 さらに、男の子が生まれたからといって、健康体でなければならぬ。ここが、天皇家と違う。緊張感のなかで、生活しているから、顔も引き締まるのかしらん。とはいえ、時折みせる海老さまのポカンとした表情も、興味ぶかい。

 テレビで面白かったのは、海老蔵の日常生活である。ヤマキのめんつゆのCMで見せる表情とは、一味も二味も違う。ふだんの姿が一番面白い。自宅近くを散歩している姿が印象に残る。柵に足をかけて、筋をのばしてみたり、ちょっとバレリーナの準備体操のようだった。そばを食べている姿も、美しい。絵になる。
 江戸時代に確立された歌舞伎の様式美は、完結しており、スマートである。現代日本に、あのような様式美が生み出されたことがあっただろうか。醜いものばかりが生み出されている。三島由紀夫の美学にはついてゆけないが、彼は彼で、彼の美学を追求しようとしたのであろう。生首を模したものが舞台にコロンと並べられる「暫」の舞台は、三島×10のような感じで、グロテスクリアリズムの表現がとられているのだった。
 美の追求とは、無縁な生活を日々送っている人間にとっては、美的に制御された生活にあこがれがある。たとえば、永平寺の雲水ような。
 美しいか、美しくないか。これが「さま」ブームの背景にある気がする。美を追求することは、苦しいし、しんどいことなのである。「さま」たちも、それぞれ努力しているのだなあ。

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2004/07/25

再び九条の会

 九条の会発足記念講演会(24日、ホテルオークラ)に行ってきた。
 敬称略で失礼すると、井上ひさし、三木睦子、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔という顔ぶれ。千円の参加費は安すぎる。聴衆千人は幸福な人たちである。
 「周ちゃーん」と加藤周一にたいして掛け声がとんだのには、少し驚いた。
 壇上の各氏の話は、含蓄があり、文学的であり、未来への希望を語っていた。鶴見氏などは、自分で自分に「悲観的だね」とつっこんで一人で笑っていた。不思議な人である。うつ病をつきぬけた人間には、理解を超える迫力があるなあ。もし自分ならどうするかを考えるのが哲学だという。いいこというね。

 政治家でいうと、志位和夫、福島瑞穂、矢田部理の各氏も来ていた。
 落選した辻元清美氏も来ていた。白い服を着ていた。テレビで見るより、ほっそりしていた。へのへのもへじのような顔が、なるほど、遠くからもアピールするのかとも考えた。大阪・岸和田出身の人間としては、ああいう「関西の女です」みたいなちゃらちゃらしたのは、嫌いである。しかし、そうでもなく、人気がある理由もわかった。おとなしいときは、おとなしく、しおらしいのである。彼女なりの戦略があるようだ。弱さも垣間見せることで、人々の同情を引き、パワーをつけるタイプなのである(なんじゃこりゃ)。

 願わくば、九条の会の論客たちと、反動側の論客たちが対決してほしいなあ。九条を守る決意にあふれた人たちの前で語るのも、勇気と元気をつける上で大事だけれども、邪悪な人々と、正面対決してほしいのですよね。
 ともあれ、すごい顔ぶれの講演会だったので、終わってから、「ふーっ」という感じでした。それくらい面白く、集中して話を聞いたのですけれども。まあ、講演の中身の紹介は、ビデオやパンフレットが販売されるというし、営業妨害にもなるので、やめておきます。

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2004/07/24

NHK午前零時のニュース

 NHKのプロデューサーが、番組制作費の一部をちょろまかしていたニュースが、23日午後7時の段階では流れていた。24日午前零時になると、もうこのニュースは放送されなかった。日付が変わったからいいというのか。当方は、受信料を払いたくないほど怒っているのに、
 一部の「通」の間では、NHK午前零時のニュースは、一味違うといわれている。なぜか。前の日に無視されたニュースが、奇跡的にとり扱われるケースが多いからだ。そういう良い面があることを認めつつも、前の日に放送したニュースだって、繰り返し伝える必要があるのではないか。NHK番組制作費着服事件は、そういうケースにあたるのではないか。
 しかし、 多くのマスコミに無視されたケースの中で、たとえば、「九条の会」結成のニュースは、「奇跡的」に放送できたということなのだろうか。評論家の加藤周一氏や作家の大江健三郎、小田実両氏らの記者会見映像が流れたのは、唯一このNHK午前零時のニュースだった。各政党の講演会、記者会見なども、ときどき伝えられたりする。まあ、午前零時で、だれも見ちゃいないよ的考えから、ニュースを流しているのかもしれない。一度、担当デスクに聴いてみたいものだ。ガス抜き的にやっているのだとしたら、怒るよ、ほんとうに。

 24日午前零時のニュースでは、日本経団連の奥田碩会長の発言が、「おや?」というニュースだった。奥田会長は、日本経団連のセミナーで、「私を改憲論者と思ってもらっていい」と、まゆ一つ動かさず、すました顔をしてのべていた。とりわけ「憲法9条は抽象的であり、具体的に掘り下げたものにすべきだ」とまでいった。ナベツネといい、奥田といい、何様なのだ。国民からなんの負託も受けていないのに、財界やプロ野球界で偉いからといって勘違いしているのではないか。彼らは、なにも偉くない。だまされてはいけない。
 

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2004/07/23

加藤周一さんとウナギ

 『高原好日』という本が信濃毎日新聞社から出ている。著者は、加藤周一さん。医師で、評論家、「朝日新聞」に、長いこと、エッセイを連載している。
 この本には、豪華な登場人物が次から次へと出てくる。軽井沢、信濃追分、千ヶ滝、北軽井沢を中心に、堀辰雄、福永武彦、中村真一郎、中野重治、野上弥生子、辻邦生、磯崎新、岩井克人、内田芳明、丸山真男、樋口陽一(敬称略)と、文学、経済学、建築学、憲法学、政治学と狭いジャンルを飛び越えた知的交流の一端が紹介されている。温かい筆致。加藤さんの知的好奇心は、とどまるところを知らない。
 加藤さんの別荘生活も面白い。どうも、小諸へウナギを食べにゆくのが趣味らしい。お客さんが来ると、小諸へウナギを食べにゆく習慣がある。
 都留重人さんの別荘を一度もたずねたことがないというのも、面白い。先輩知識人への配慮か。また、谷川俊太郎さんや大江健三郎さんへの言及もない。加藤さんの避暑地の交流は、節度をわきまえた落ち着きを感じさせる。

 私も、信濃追分でテニスをしたことがある。堀辰雄記念館も訪ねた。管理人のおじさんが気持ちのよい人で、「こんにちは」というと、大きな声で「こんにちは」と返してくれた。体育会系のノリだったので、文学系の私は、おいしい空気とともに、すがすがしい気持ちになったのを覚えている。千ヶ滝のグリーンホテルもよかった。なぜかというと、フランク・ロイド・ライトが設計した木造3階建てのホテルだったから。私の父母と3人で泊まった。米軍に接収されたこともある歴史的ホテルで、静かな環境のなかにある。ほんとうに静か。沈黙していると、呼吸する音が聞こえるだけのような所だった。さらに、足をのばして、北軽井沢も見に行った。まだ、野上弥生子の旧別荘が移築されずに残っていた
(今は、軽井沢高原文庫に移築されているはず)。息子の野上素一さん(イタリア文学研究者)が、そのときはご存命で、ウロウロしていると、「だれかいらっしゃったようですよ」という声が聞こえた。谷川俊太郎さんの別荘も見た。
 大江健三郎さんの別荘も捜したが、見つからなかった。
 
 野上弥生子さんの「巣箱」というエッセイがある。私は、このエッセイが、大好きだ。宇宙を感じさせる文章。志ある人は、岩波文庫にも入っているから、読んでみては。グリーンホテルに泊まって読むと、なおいいよ。

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2004/07/22

読売新聞

 一部週刊誌に、読売新聞の減紙が激しくなっているとの報道がある。ナベツネの暴言および現在の沈黙とどうやら関係があるようだ。一部販売店が悲鳴を上げたという。ただ、プロ野球合併問題は、国民による読売新聞購読拒否の運動にまで、広がっている。読売グループ親分のナベツネの、みずからの首をしめる悪行には、当然の帰結といえよう。ほんとうでないといなら、その週刊誌に「訂正」を求められたらよかろう。

 一部の人(申し訳ないです。「一部」を連発して…)には、よく知られたことだが、商業新聞業界には、「押し紙」といって、新聞社が販売店に読者数以上の新聞を押し付けてお金をもうける、いわゆるひとつの、弱い者の泣き寝入りにつけこむ資金稼ぎがある。あるフリージャーナリストが、執念深くこの問題を追いかけており、本もでている。
 新聞の発行部数と購読部数には、かなりの開きがあるといわれ、読売新聞の発行部数1000万は、下駄をはかせた数字だと、長い間いわれつづけている。田舎の気前のよい新聞販売店だと、古新聞などはタダでもっていってよいといってくれる。確かに、新聞は一日たつと、商品価値がまったくといってよいほどなくなってしまうのである。だからこそ、毎日の定期購読者を増やすことが必要なのだ。

 ナベツネには、プロ野球ファンも見えていないし、野球選手も見えていなかった。そして、販売店の人たちも見えていなかったようだ。しかし、最近、9月のオーナー会議まで、何もしゃべらんよとのたまっているところを見ると、新聞販売店からの突き上げを相当くらったのではないだろうか。読売新聞の拡販は、相変わらず盛んだが、最近も東京・大田区などで、全戸訪問的活動をしているところを目撃されている。この暑いなか、ごくろうさんである。
 いい加減に一リーグ制だの、合併への介入をあきらめて、長嶋さんの回復を願うキャンペーンをした方がよいのではないのか。

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2004/07/21

労働時間

 勝手にタイムカードが記録される会社があると聞いて、空恐ろしくなってしまった。つまり、いわゆるご奉公、残業代はいっさい出ない会社というものが、まだこの世に存在するのである。勝手にタイムカードが記録されるということは、勝手に首を切られるようで、怖い。おとなしすぎるよ、日本の労働者諸君。
 好きな仕事なら、どんなに働きつづけても、心地よい疲れしか感じないのが一番、理想的である。ただし、それでも、健康は蝕まれる。手塚治虫さんは、59歳で亡くなった。誠に無念極まりない。いま生きていたら75歳である。○○歳の夏目雅子さんに会えたかもしれないというCMが放映されていたけれども、私の場合、手塚治虫やマリリン・モンローに会いたかった。
 話は大幅にそれるけれど、マリリン・モンローは、1926年生まれだから、もし生きていたら、今年78歳。健在でもおかしくない年齢である。モンローは、実に友人・知人に恵まれた人だった。夫だった大リーガー、ジョー・ディマジオは亡くなったけど、元夫の劇作家・アーサー・ミラーはまだ健在だったのでは…。100歳近いはず。
 さらに、アメリカに亡命してきたアントン・チェーホフの甥と知り合いだったり、ビリー・ワイルダー監督に可愛がられたり、マーロン・ブランドとも恋仲だったこともある。フランク・シナトラとの関係の方がよく知られているけどね。ケネディ大統領との関係もあまりにも有名だ。アメリカの詩人たちとも親しかった。旧ソ連のフルシチョフとも握手したし、イギリスのエリザベス女王にも会っている。
 モンローは、映画撮影に遅れてくることで知られた。いろいろ、おもしろおかしい解説は、いっぱいあるけれど、本当のところは一体どうだったのだろう。遅刻というのは、一種の「抵抗」でもある。もちろん、社会的には、ほめられたものであるとはいえない。資本家は、あの手この手で、労働者の「時間」をはぎとうろうとする。剰余価値の秘密が、そこにあるから。モンローは、自分の好きな映画に出演したかった。本当に彼女が演じたかったのは、ドストエフスキーに登場する役柄だったという説もある。けっこう、芸能人の拘束時間は長い。けっこうどころでないかもしれない。
 さて、モンローの労働時間は、一体、どうなっていたのだろうか。だれも知らない。

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2004/07/20

長嶋さーん

 『週刊朝日』7/30増刊号を見ていたら、詩人・作家のねじめ正一さんがプロ野球合併問題に触れた文章を寄稿している。思わず、ひざをたたいたのは、次の個所。
 「私がさらにアタマにきているのは、長嶋茂雄さんがアテネ五輪のために懸命にリハビリを続けている最中に合併を言い出してきたオーナー達の根性である」
 まったく同感。「長嶋不在」が、いまのプロ野球の現状をいいあてているキーワードだと思う。ばかばかしいと思うなかれ。戦後日本のプロ野球を代表する選手といえば、長嶋茂雄をおいて、だれがいようか。いわば、戦後のヒーロー、ヒロインは、石原裕次郎、美空ひばり、長嶋茂雄の3点セットなのだ。

 ねじめさんの詩の一節に、次のようなものがあるそうだ。

  「プロやきゅうは
   ぼくらが
   ながしまから
   もらったもの」
 
 ファンを大切にしたからこそ、長嶋さんは愛されたのである。他の選手にも、もちろん、ファンを大切にした人たちがいる。そういう選手たちは、プロ野球界の発展に多大の貢献をしただけでなく、多くの人たちに大事なメッセ―ジを送っていたと思う。私などは、野村克也ファンで、長嶋さんが倒れてから、その偉大さを改めて認識した人間だから、倒れる前から、長嶋さんを応援していた人たちは、尊敬に値する人たちだ。
 長嶋さんの一日も早い回復を願う。
 

 

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2004/07/19

巨人戦の中継やめたらどうか

 読売ジャイアンツ(いわゆる、ひとつの「巨人」)が、マスコミにおいて、どのように取り扱われているか。
 球団合併問題が、世論の盛りあがりを見せていることは、かの有名な溜池通信のかんべえさま(ネット界の「さま」だと思うのですが…)も、ホームページでプロ野球の経済効果について言及されているとおり、もはや明白だとおもわれるのでございます。ふだん、プロ野球をあまり論じない方ですからね。
 さて、ここでは、私なりに、巨人戦中継の、まことにひどい実態を糾弾したいと思うのであります。
 とりあげますのは、2004年7月17日、関東地方でのラジオ、巨人戦実況中継であります。お手元に古新聞があれば、見ていただきたい。

 TBSラジオ 5:30 巨人×ヤクルト 解説・盛田幸妃
 文化放送  5:40 巨人×ヤクルト 解説・豊田泰光
 ニッポン放送 5:40 巨人×ヤクルト 解説・関根潤三
 ラジオ日本   5:20  巨人×ヤクルト 解説・水野雄仁

 以上のとおりなのであります。放送開始時間、解説者、実況が違うだけです。聞き比べたら面白いかもしれませんが、4局いっぺんに聞けるか! とおもうのであります。ましてや、この日は、巨人戦だけじゃ、ござんせん。セ・パあわせて6試合がとりおこなわれたのでございます。さらに、さらに、TBSといえば、横浜ベイスターズのオーナー企業じゃあーりませんか。みずから投資する球団の試合を実況中継せずして、なぜ他の3局が放送する巨人戦をとりあげるのか。理解に苦しむわけでございます。巨人戦ならば、スポンサーがつき、聴いてもらえるということなのでしょうが、あまりにも情けないのではないでしょうか。
 17日は、パ・リーグもそれぞれ、接戦を演じ、白熱した試合で、首位攻防戦まであったのです。こんな面白い試合を中継せずして、何が1リーグですか。何が球団合併ですか。巨人イデオロギーの崩壊は、オロナミンCのCMにまで及んでいるのです。支持基盤の崩壊は、自民党だけでないことを知るべきだということを申し上げて、短い講演を終わるものであります。どうも、ご清聴ありがとうございました。(短い拍手)

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2004/07/18

ファイターズ対マリーンズ

 17日、北海道日本ハムファイターズ対千葉ロッテマリーンズの試合を見てきた。観衆3万人。連休としては、まずまずの入りではないだろうか(いまは亡き大阪球場は満員になっても3万2千人しか収容できなかったものね)。千葉マリンスタジアムだけど、北海道ファンもたくさんいたぞよ。多くは、東京ドームで日ハムを応援していた人たちなんだろうね。ありがたいねえ、ファンは。あと、北海道の出身者もいるかもね。

 新庄選手は、オーラが出ているねえ。いいぞ、いいぞと心の中で叫んでいましたよ。現在のプロ野球で、彼ほど、ファンを意識している人はいないからね。本日は、当たりが良すぎて、マリーンズ選手のグラブ真正面に飛ぶ打球が多かったけど、一塁に全速力でかけこみ、その後、ジャンプする姿なんて、いいんでないの。
 
 この日は、すこし遅れて、妻、子どもとともに、スタジアム三塁側内野席に到着。席につくやいなや島田のホームランが飛び出した。わが1歳半の息子も、わけもわからず手をたたき、応援団ばかり見ていたよ。子どもにも、刺激になるねえ、プロ野球は。まあ、1歳半だから、記憶に残らないだろうけど、なんらかのインパクトはあるのでは…。興奮して、夜もなかなか眠らないという「おまけ」までついてきた。

 途中から登板の小宮山投手を見ることができたのも、収穫だね。110キロのカーブとか、138キロのストレートを巧みに投げ分けて、打線に火のついている日ハム打線を1回だけ、完璧に抑えた。その後、打たれたのは仕方がない。
 高橋信という選手(日ハム)も勝負づよいね。代打で登場して、きっちりタイムリーヒットを放つのだから。
 私は、北海道も、千葉もどちらも応援するという中途半端な人間であるが(大昔、南海ホークスの熱狂的ファンだったのだ)、この日の試合は、見ごたえがあった。接戦ということもありましょうが、選手たちのやる気を感じたなあ。
 優秀なマリーンズ応援団(一塁側外野席を埋め尽くし、ほとんど立ったままで、ずっと応援)も見ごたえある。「合併反対」のプラカードもしっかりもって、アピールしていましたね。さすがに、5回と7回のときだけのショータイムの時間だけに抑えているのが、さらにすごい。マナーいいね。
 あれだけ、若い人間の声が聞こえる場所も珍しい。いいよ、人間が、集団で、熱い声を出している姿は…。パ・リーグは、合併してはならない。セ・リーグなんかに負けるな!

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2004/07/17

日本プロ野球革命

 近鉄バファローズの選手たちも、ついに街頭へと飛び出した。パ・リーグ合併問題は、日々、広がりを増している。7月は、かのフランスで革命記念日のある月だが、日本でも、プロ野球革命が進行しつつあるのではないか。7月16日は、そのバスチーユ行進的段階として記憶にとどめる日になったようだ。
 役者は、そろっている。ルイ16世としてのナベツネ。ロベスピエールはだれかな。星野仙一氏かな。でも、まあ、ロベスピエールでは、革命失敗に結びつく名前だから、だれかにあてはめるのはやめておこう。革命勢力としては、ファン、プロ野球選手会、一部マスコミというところではないか。
 革命の第二段階は、直接、ナベツネらオーナーとのたたかいになるだろう。ナベツネは、役者だから、一歩も引くことはないだろう。堤義明氏や宮内義彦氏らが、悪代官の脇を固めている。他のオーナーが、最後まで革命勢力としてとどまることができるかどうかは、ファンと選手会の奮闘いかんである。
 第三段階としてのストライキ闘争が待っている。ここまでくれば、労働運動としての伝統的なたたかいになる。社会的大問題として、だれも無視できなくなるだろう。ただし、プロ野球ファンだけでなく、国民的支援が必要になるはずである。サッチャー政権下のイギリスでは、長い長い炭鉱労働者のストライキがあった。そのことは、イギリス映画の秀作にも描かれているが、国民的な支援なくして勝利には至らない。
 したがって、プロ野球選手会は、できるだけ、現段階で、支援の輪を広げに広げることが肝心なのだ。理論的支柱をうちたて、ファンとの交流を密にすべきなのだ。多数者革命こそが、真の勝利の条件である。
 うーむ。まあ、話半分に聞いてくだされ。ではでは。

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2004/07/16

おやじはがんばらねばならない

 電車の中で、アルコール血中濃度数パーセントはあろうかという、おやじさんが、ちぇッを連発していた。耳を澄ますと、「失敗した~」と酒くさい息を吐きながら、うめいている。車内は、ガラガラで、座席の端にポツン、ポツンとくたびれた体を傾ける人たちばかり。体を折りたたみすぎて、足だけしかみえない人もいる。
 なおかつ、おやじは、ずり落ちそうなカバンを引き寄せながら、ちぇッを連発している。だれかに話を聞いてほしいのだろう。あぶない、あぶない。酔っ払いのおやじの話相手になることはできない。帰宅がいつになるかわからない。
 気になるのは、「失敗した~」の言葉。そういえば俺にも、失敗談の一つや二つ、いや百や二百はあるかもしれない。「失敗」には、人生の香りがする。おやじよ、早く帰って、寝るのだ。俺も眠たい。
 いろいろ想像をめぐらす。上司の言葉。人間関係。得意先。なんだろう。夏目漱石がいう積極的開化と消極的開化の話も浮かんでくる。雇われて働く悲しさよ。おやじをバカにしてはいけないのだな。おやじは、我慢しているのだな。薄目をあけて、チラリとこちらを見た。

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2004/07/15

大衆操作

 パ・リーグ合併問題も、阪神タイガース球団による「2リーグでもええじゃないか」論の登場によって、いよいよ面白くなってきました。ファンを中心とする世論が、球団経営者を動かしつつあるものとして、注目に値しますのう。星野仙一氏を怒らしたのかねえ、やはり。ナベツネという反面教師の存在が、若い人たちを立ち上がらせ、プロ野球ファンを一致団結させてしまったのではないかいな。よろこばしき哉。

 ただし、注意しなければならないのは、ガス抜き的な動きです。ファンの要求にこたえるふりをして、まったく逆のことをやることもありうる。「大衆操作」にたけた、うさんくさい小泉政治に慣れ親しんだ者としては、あやしい動きには、よくよく注意しなければなりません。

 さて、話は変わりまして、アドルノ先生の話。『未来』という未来社が出しているPR誌に、竹峰義和さんによるハリウッド映画とアドルノ先生の関係を問うた、面白い連載がありますのう。アドルノ先生といえば、作曲もこなされたドイツの思想家ですが、アメリカ亡命中に、映画監督や俳優との交流があったのですな。ハリウッド映画のことは、いわば、けちょんけちょんにけなしていたのですが、実際は、頻繁に映画を見て楽しんでいたらしい。奥さん同士が同窓生という奇縁で、フリッツ・ラング監督と仲良くしていたり、チャップリンとも話をしたり、グレタ・ガルボと話をしたりと、うらやましいかぎりなのですな。
 まあ、これも、ナチスがユダヤ系の知識人・文化人を弾圧して、みんな国外へ逃亡したからなのですが、とにかく、ハリウッド映画には、こういう亡命者たちの貢献が含まれているのですね。
 竹峰さんの論考は、アドルノ先生がハリウッド映画の可能性を低くみていたとの通説を批判することに重点があります。
 私の見解は、竹峰さんとは異なり、アドルノ先生がハリウッド映画による「大衆操作」の側面を鋭く見破っていたことに、むしろ、感心しています。最近も、ペンタゴンとハリウッド映画との密接な関係を批判したフランス・ジャーナリストのドキュメンタリーが作られていますが、それを予見していたかのようです。ハリウッドによる戦争映画には、くれぐれも注意しましょう。
 

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2004/07/14

「九条の会」

 大江健三郎さんや加藤周一さんらが結成した「九条の会」の講演会が7月24日(東京・オークラホテル)にあるのだけれど、もう予約で満席になってしまい、キャンセル待ちらしい。そのキャンセル待ちも、そうとうな数にのぼっており、まず、生で見ることは無理らしい。う~む、というところでんなあ。しもたよ、はよ、予約しておくべきやった。

 どこかのテレビ局が中継でもしてくれたらいいのにね。もしくは、第二会場を設けるなどして、もっと多くの人に参加してもらうようにすればいいのに…。私のようなテレビ世代は、テレビで見るだけでも、相当満足してしまう「弱点」をもっているので、同時に話だけでも聞くことができればと思うのです。

 まずは、「九条の会」の盛況に、拍手を送りたいです。

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も一つ、おまけに合併反対

 『パイプのけむり』シリーズではないけれど、も一つ、おまけに合併反対話を展開する。

 『週刊朝日』7月23日号は、なかなか力の入った合併特集を掲載している。グラビア(?)で、「これが12球団のオーナー」なる見開きページで図解までしているのである。かつての怪獣図解シリーズ(知らんかなあ。1964年生まれだと、このシリーズには熱中したものだが…)を思わせるつくりだ。まさしく、オーナーたちは、12匹の怪獣たちなのである。
 朝日新聞のスポーツ記者たちは、紙面を見る限り、合併反対の論陣を張っているから、『週刊朝日』も同様の姿勢で、のぞんでいるかのようにみえる。
 選手会が、視野に入れているストライキについて、『週刊朝日』は、「…ストが始まると選手の年俸は、日割り計算で削減される」(元プロ野球選手会顧問弁護士)ことを紹介し、「たとえば年俸3千万円の選手の場合、1日約10万円が減額される」と指摘する。さらに、2軍の選手たちが、ストに耐えられるかと心配までしている。
 ただし、古田選手会長らは、2軍選手を巻き込まない対応も検討しているそうだ。さすがやね。

 『サンデー毎日』にも江本氏が登場していたが、『週刊朝日』にも江本氏が出ている。プロ野球には、ほかにも、論客がいるはずなのにねえ。 それでも、米国在住スポーツライター・梅田香子さんや、多摩大学教授の北矢行男さんが登場しているあたりは、『週刊朝日』としては、マシな方か。
 最後に、球団関係者の話として、「ストはきわめて現実味をおびてきた」との言葉を引用しているが、それならば、もう少し、合併反対運動を応援する姿勢を明確にしてはどうか。どっちつかずのところが、いかにも「朝日」。

 マスコミについて書くのは、今回の合併反対世論に与える影響が大きいからだ。プロ野球は、読売新聞社にしろ、中日新聞社にしろ、TBSにしろ、マスコミと、深いつながりがあるのだから。

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2004/07/13

マスコミよ! たちあがれ

 プロ野球合併問題で、しつこく書きますぞ~。なんせ、わしゃ、しつこい岸和田出身の人間やからのう。とはいえ、「亡命関西人」なので、おとなしくしてますけど。

 おうおう、『週刊現代』が、「星野・古田・堀江社長が『老害ナベツネを追放せよ!」っちゅう企画やっとるやんけ。長嶋さんの「感動リハビリ日記」の方が、目次では見出しがデカイのう。まだまだ、関心は低いちゅうことか。
 記事の方もイマイチやのう。全然、力にならん。見出しの割には、記事の中身がないのが週刊誌だから仕方ないとはいわさんぞ~。とはいえ、こういう記事が出てきたことは、喜ばしい。

 しかし、気にくわないのは、ライブドアの社長のことを、面白おかしく書くばかりで、肝心要の近鉄、オリックス、西武、ロッテなどの選手、ファンの声が、まったく書かれていないことだ。何をしているのだ。原稿で飯を食っているのなら、ちゃんと取材したらどうなんや。それに、1リーグ制の問題のようにとらえていて、選手たちがリストラされることには、一言もふれていないぞ。今回のプロ野球合併問題は、「リストラ」問題として捉えねば、相手側にいいようにされてしまうぞよ。赤字だから早く球団を手放したい、もうかる球団にしたいというのがオーナーたちの頭の中を支配しているのだ。
 北海道日本ハムファイターズのオーナー、広島カープのオーナーは、少しマシやね。なによりも、地域密着ということの大切さをわかっているようだから。もっと、いい記事を期待していますよ『週刊現代』さん。

 読売新聞以外は、割と、合併問題でキャンペーンを張り出した感じや。新聞拡販のたたかいとも絡んでいるから、なかなか面白くなりそうや。「しんぶん赤旗」もキャンペーンしているがな。
 「♪たたかいは、ここから~、たたかいは、いまから~。それ、そ~れ」

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2004/07/12

本盗!

 新庄選手がやってくれましたね。ホームスチール。ショーマンシップのあるプレーで、絶賛ものですね。
 公式戦でも、本盗は、どれくらいあるのかな。私は、旧南海ホークスファンなので、広瀬選手(知らない人多いかなあ、旧阪急の福本選手が現れるまでは、日本最高の盗塁王)が、公式戦で本盗を決めたことがあるんですよねえ。
 合併問題でも、本盗のような、あっと驚くプロ選手側からのプレーがあることを期待しています。

 

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2004/07/11

ナベツネという巨悪

 ナベツネ氏(以下、名前を呼ぶに値しないので、こう呼ばせていただく)は、9日、東京都内で開かれた読売新聞の販売店の集う会合で、プロ野球1リーグ制についての試案を披露したそうだ。なんとも、「試案」好きなお方である。
 ペナントレースの優勝チームと、東西対抗戦の覇者が争う「『天皇杯』にできれば、ありがたい」とのべたそうである(「読売」7月10日付)。
 「天皇杯」とは、また、なんと時代錯誤か! 彼の頭脳には、いまだに「万世一系これを統治す」の大日本帝国憲法が生きている。読売新聞社の記者たちは、恥ずかしくないのか! こんな反民主主義的な人間が、あなたたちのリーダーなのだ。
 もとより、自民党の機関紙化している読売新聞社に所属しているのであるから、良心のかけらをもつ記者たちは、内心忸怩たるものがあるに違いない。地方版などには、良心的な記事があることを私は知っている。だからこそ、このようなリーダーにたいして、たたかいを挑んでほしいのだ。日本経済新聞社は、「反乱」をおこして社長が変わったではないか。
 「読売」は、合併問題とはいわずに、「統合問題」と称している。あたかも、二つに分かれていたものが、一つになるかのような言い草である。ナベツネの指示か、はたまた、ヒラメ的思考にとどまるデスク、部長の仕業か。
 言葉でごまかすのは、やめよ。そのうち野球ファンは、読売新聞購読拒否運動を始めるかもしれない。ある民放のキャスターもいっていた。「巨人ファンであることを考え直さなければいけない」と。

 話は、変わりますが、どなたか、プロ野球合併問題の年表をつくってくださる方はいないでしょうか? 絶対、アクセスが増えると思いますが…。

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プロ野球選手を応援しよう

 日本のプロ野球には、すばらしい人たちがいる。それを支えている人たちも。そのことを考えたい。

 まず、第一に、長嶋茂雄さんである。現在の合併騒ぎも、長嶋さんが健在であれば、もうすこし、強行な議論にはならなかったはずだ。長嶋さんは、その一挙手一投足が注目される方である。いわば、プロ野球界の「天皇」なのである。いろいろ、マスコミでは、長嶋さんのことを面白おかしくいわれるが、実は、神経の繊細な、大リーグのことまで、早くから考えていたような、しかも、ユニフォームの着方、ボールの投げ方、三振の仕方まで、細かく、「美しさ」を追求していた方なのである。それは、長嶋さんを特集した本を読まれればよくわかる。作家・井上ひさしさんとの対談(かなり前ですが)でも、驚くべき〝野球理性〟を発揮しているのである。長嶋さんは、ただ面白いことを言う人ではない。すごい人なのである。

 第二に、野村克也さんである。本日も、テレビで、野村さんは、一リーグ制に反対しておられた。野村さんは、テスト生で南海ホークスに入団し、三冠王、3000試合出場など、数々の偉業を成し遂げられただけでなく、日本のプロ野球を面白くすることにも、貢献された。野村データは、投手と打者の対決の面白さを、心理小説レベルまで引き上げたのだ。パ・リーグを熟知しているだけでなく、セ・リーグでの監督経験を通して、両リーグを語るうえで、最適に人物である。野村さんによる、合併・一リーグ反対の論陣を応援したい。

 第三に、7月1日に亡くなられた高畠導宏さんである。落合選手(現・中日監督)を三冠王をとる選手に育てたことで知られるが、オールド南海ホークスファンの間では、南海時代に、「すりこぎ型バット」開発に貢献したコーチとして知られているはずだ。当時、藤原満選手(私は、この選手が大好きだったのだが)が、この「すりこぎ型バット」を使いだしてから、大活躍したのである。いまは亡き阪急ブレ―ブスの福本豊選手も、この藤原選手の活躍を見て、「すりこぎ型バット」を使いだした経緯がある。いまは、もう忘れ去られてしまった話かもしれないが、影のコーチたちにも、すばらしい人たちがいた。長嶋一茂さんが、スポニチ(7月9日付)のコラムで、高畠さんのことを書いている。高畠さんは、一茂さんに、落合選手が三冠王をとったときのビデオテープを、何度も見せてくれたという。高畠さんの、なんとか、選手を育てようという熱意には、ものすごいものがあったのである。このようなコーチも、なかなかいないが、プロ野球の面白さ、すごさを教えてくれる話ではないか。
 
 とにかく、こんなにすばらしい人たちがいるプロ野球を、合併だ、一リーグ制だと、しょうもないことでかき乱すのは、やめてもらいたいということだ。プロ野球選手というのは、特別な人たちなのだ!

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2004/07/10

再び、パ・リーグ合併について

 9日付朝日新聞にオリックスの宮内義彦オーナーが投稿していた。できるだけ、怒りを抑えて、冷静に宮内論文を検討してみよう。

 「人格化された資本」としての宮内氏の言い分は、あくまでも、プロ野球赤字体質論である。現代日本の景気を悪化させ、野球場へ足を運ぶことができなくなった人たちのことも眼中にない。そして、ライブドアによる近鉄買収の件にも一言も触れていない。プロ野球への新規参入は、二軍以下にしか認めないという態度である。徹底的に、みずからの都合の悪いことには、ふれないという「規制緩和」論者の特徴が、よく出ている。

 宮内論文で、言い訳めいた暴言として注目されるのは、「球団数が減少することでファンを裏切ることになってしまうのは残念だが、合併で2球団のファンをまとめあげることができれば、単純な減少よりは好ましい」という部分である。
 「ファンをまとめあげる」とは、一体、いかなる理性、知性、頭脳から、ひねりだされる言葉であろうか。宮内氏の観念では、「ファン」とは、「モノ」なのである。近鉄ファンとオリックスファンは、とても、「まとめあげる」ことができる人たちではない。水と油、月とスッポン、吉永小百合と泉ピン子ほど、違う。どちらがどうという問題ではない。このようなオーナーが、プロ野球団を経営すること自体が、間違っているのである。
 これまでのプロ野球は、多かれ少なかれ、オーナーの道楽的要素が強かったのである。近鉄では、熱心なオーナーがいなくなったこと、かつての南海ホークスにしても、オーナーが死去し、旧三和銀行の陰謀で、伝統ある大阪球場(江夏の21球の舞台)が変貌をとげてしまった。

 プロ野球ファンよ、立ち上がろう! オーナー主権ともいうべきプロ野球の体質を改める、いい機会ではないか。

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2004/07/09

大江健三郎さん、がんばれ

 作家の大江健三郎さんが、健筆をふるっています。『すばる』8月号と、『世界』8月号に、それぞれ、講演の記録と「九条の会」についての決意表明(?)が掲載されていますね。

 まあ、大江さんというと、その作品を読んだことがない人は、やれ、難解であるとか、初期の作品だけちょこっと読んだ人は、やれ、性を汚らしく描いているだの、悪口罵詈雑言、誹謗中傷、的外れな感想をのべたてるのが常です。恥ずかしいねえ。大江ファンからすれば、何を読んでおるのじゃ! と喝を入れたくなるわけですね。

 大江作品は、戦後民主主義を基本にすえたものであるだけに、思想史的かつ社会的背景を知らないと、難しい面があるかもしれない。しかし、文学作品は、理屈ではなくて、濃密な詩的言語で満たされた時空なのですから、大江ワールドにひたれば、戦後民主主義を体験できる、ものすごく豊饒な世界が広がっているといえるのです。
 ことに、いまだ、単行本化されていない「政治少年死す」にいたっては、社会的な事件にすらなりました。超国家主義の問題を、いまも大江さんは、考えつづけているのです。

 豊饒な世界という理由は、大江さんが、読んだ本の世界、経験した世界が、文学のかたちをとって昇華されているだけでなく、現代世界、現代日本へのメッセージが、その作品に含まれているからなのです。一つの小説の中に含まれるメッセージの豊かさにおいて、大江文学は、「森」のような構造をなしているといっても過言ではありません。それだけに、多面的な読み方ができるわけで、「森の広さ、深さ」がどれほどまでなのかを探る楽しみが、常にあるわけです。
 そんな、こむつかしいこといわいでも、ただ楽しめばよいやないのといわれる方が、おられたら、一言いいたい。
「はっきりと眼覚めて物事を考へるのが、人間の最上の娯楽だからである」(小林秀雄)と。
 

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2004/07/08

パ・リーグ合併

 参院選のさなかに、これだけパ・リーグ合併問題が激しくなるとは、こりゃもう、財界の参院選対策と思わざるえなくなる。ええかげんにせえよ、オーナーたち。宮内義彦オーナーは、日本経団連の役職についているし、渡辺恒雄オーナーは、自民党と直でつながっているし、堤義明オーナーにしても、会社の不正で、西武鉄道会長を退いたばかりではないか?
 うさんくさい人たちが、ファンや選手を無視して、合併話を強引にすすめる姿は、よくもわるくも日本資本主義そのもの、むきだしの姿ではないか。一番、ひどい目にあうのは選手で、何人リストラされるかわからない。プロ野球は、前からファン軽視の体質があったが、せめて、北海道は札幌に移ったファイターズだけでも、がんばってほしいものである。このチームは、企業理念に、いちおう、まともなことを書いているから…。パ・リーグのよさは、北から南に各チームがバランスよく配置されていることなのだよ。
 もともと、プロ野球は、1リーグ制から出発したのだから、1リーグ制にもどるのは、たいして変化はないが、チーム数を減らすとなると、話が全然違うのだ。そこのところをごちゃごちゃにして議論しているから、私も怒りが炸裂するのである。岸和田の人間を怒らしたらこわいどー。おらー。

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2004/07/07

ジュンク堂の著名人書店

 東京は池袋にあるジュンク堂書店では、著名な作家、詩人が、店長になって、みずからのお気に入り本を並べているコーナーがあります。初代店長は、谷川俊太郎さん、二代目は、安野光雅さん、三代目は、椎名誠さんです。
 機会があって、昼のひととき、椎名さんのコーナーをじっくり眺めてきました。書棚は、その人の知的生活、人生をうつす鏡だと思いましたね。「さまよえる湖」で、探険、冒険にめざめた椎名さんは、「隠された次元」という本で考えることを学んだそうですね。
 生物、実学系統の本がたくさん集められていて、いろんな少数民族の本もあって、読む本の傾向が私とはまったく違うので、極めて刺激的でした。椎名さんご推薦の本の中での売上ランキングもあったりして、なるほどなあ、椎名さんのコメントつきで紹介されている本は、やはり、よく売れているなあと思いました。もちろん、椎名誠さんの書いた本も並べてあるので、著作と、椎名さんが読んできたであろう作品との共演になっているわけですね。一度、見てきてはいかが。
 何年か前に、北海道は小樽市で、山口昌男さんの蔵書そのものが、展覧会として、陳列されたことがありました。もちろん、山口さんの蔵書の一部ですけれど、手にとって読むことができたりして、なかなか面白かったですね。
 ほかにも、文化人、知識人の蔵書展覧会みたいなものが、開かれるとよいのですけれど、博物館、美術館の学芸員のみなさん、やってみる気はありませんか。まあ、こんなこと書いても、目にふれないと思うけれど、ある一人の文化人がどんな本を読んできたかというのは、知りたいことなのですがねえ。

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2004/07/06

ERⅨ

 妻は、米ドラマ「ERⅨ」の大ファンです。きょうも、私が、自民党のしょうもない政見放送を見ていたら、いきなりチャンネルをかえて、見始めました。まあ、つくづく忙しいドラマだと思いますね。子どもが死ぬ場面が出て来たり、死んだ人が生き返ったり、病気とたたかうことを決意する人がいたり、行方不明だった人が無事であることが判明したり、結婚を申し込んだり、どれか一つだけでも、ドラマは、十分に成立します。

 妻は看護師をしているだけに、ERのリアルな治療、手術シーンが気に入っているようですな。アメリカの医療事情に、くわしい人がいたら、教えてほしいのですが、どうも、アメリカでは、こういう救急治療が中心になっているらしいですね。通常の診療は、医療費が高くて、なかなか医者にかかれない、みたいな情報に接したことがあるのですが、自分の目で確かめていないだけに、いまいち、ほかの人に話すときに、自信がもてません。

 アメリカの医療についての、わかりやすい、正確な情報がほしいですね。日本も、あんな、忙しい旅館の調理室みたいな医療現場が増えているのでしょうか。話は、違いますが、私の愛読する『ブラックジャックによろしく』も、日本の研修医の置かれた厳しい状況を、漫画の特徴をいかしたリアルさで描いています。看護師さんたちの現場も、知れば知るほど、過酷なものです。私は、まあ、あまり知らないと妻から馬鹿にされていますが…。
 それにつけても、選挙のゆくえが心配です。

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2004/07/05

お中元、あるいは、贈り物

 お中元のシーズンがやってきた。一体、だれが、いつから、こんな習慣をつくりだしたのか? サラリーマン社会が作り出したことは、間違いないのだが、さて、だれが、いつ、となると、難しい。知っている人がいたら、教えてほしいものです。

 贈り物にまつわる話で、直接、関係ないことですが、アドルノ先生(1903~69)は、こういっていますな。

 「贈り物をする習慣が堕落していることは、進物用商品という気色の悪くなるような発明に反映しているのであって、これは始めから本当は贈り物なんかしたくないために何を贈ってよいか分からないいまどきの世態と人情に当てこんで作られた品じなである」(『ミニマ・モラリア』三光長治訳、48ページ)
 
 外国にも、やはり贈答品セットみたいなものは、昔からあるみたいですね。アドルノ先生は、贈り物を堕落させた「進物用商品」、つまり、日本風に具体的にいえば、タオルとか、サラダ油とか、せっけんとか、そうめんとか、ビールとか、水ようかんとか、あられの詰め合わせであるとか、果物の缶詰の詰め合わせであるとか、を指しているわけですが、これらは、贈り物本来のあり方を台無しにしているといいたいようなのですね。さらにいえば、贈答品セットに頼らなくても、相手がいちばん喜ぶものを見つけられるはずだというわけです。

 さらに、アドルノ先生は、贈り物をする能力は、人間同士のつながりであり、そのつながり自体が、一つの贈り物であるともいっているのですね。私が、3年ぶりに札幌へ行って、感じたのは、このような人間同士のつながりという「贈り物」の感覚でした。歓迎してもらうほど、何かしたというわけではないけど、まあ、喜んでもらえるとうれしいのは、どこの国にいっても共通の感覚ではないかなあ。

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2004/07/04

毎日新聞の書評欄

 日曜日の朝は、新聞の書評欄を読むのが、楽しみ。コーヒーを飲みながら、書評子の腕前を味わうのだ。
 「毎日新聞」の書評欄は、本読みのベテランぞろいで、なかなか充実していてよいと思う。異論もあるでしょうけれど、「朝日新聞」と比べても、遜色がない文章が多い。科学本や若者向けの本に「朝日」は強いけれど、読み応えという点で、「毎日」に劣る。
 「毎日」の書評で良いのは、丸谷才一氏の書評ですね。これは、もう、いわゆる、ひとつのエッセイになっているのですね。4日付の書評欄に丸谷氏の名前がないので、がっかりというわけですが、次いで、伊東光晴氏、養老孟司氏、池澤夏樹氏、中村達也氏、清水徹氏、藤森照信氏、中村桂子氏とつづく感じです。ほかにも、大物がいた感じだけど、思い出したら、また、書きます。
 「朝日」では、だれの書評がいいかなあ。どうも、論説委員や編集委員が書く書評があって、うんざりしてしまいます。書評だけは、あまり内部の人が書くより、新聞社外の人に頼んでほしいなあ。それでも、いま、ロンドン特派員の外岡秀俊氏が書くものは、面白いと思いました。そのほかの人は、いますぐ、思い浮かべられません。「読売」では、井上ひさし氏が、月一回書くものが良いです。
 と、まあ、勝手な意見を書き連ねましたが、意見とは、ある意味で、勝手なものなのだよん。

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2004/07/03

快晴

 快晴である。1歳半にまもなくなる長男も、朝からパワー全開で、走り回っている。正確にいうと、小走りなのだが…。妻も、ふとんを干し、掃除機をかけて、私を追い掛け回す。いやはや、定番の風景だが、ささやかな、しあわせというものを感じる。でもね、こういう、しあわせが、いつまでも、つづくとは限らないのよね。

 それは、そうと、怪優、名優のマーロン・ブランドが亡くなった。彼の代表作は、一体、なんだろう。ならず者とかいう映画があるはずだけど、それは、見ていないし、地獄の黙示録は、みたけど、代表作といえるかどうか疑問だし、ラスト・タンゴ・イン・パリだったか、若い女性に恋する老人役も、それほどとは思わないし、結局、ゴッドファーザーになるのではないだろうか。
 マーロン・ブランド扮する、マフィアの大ボス、ドン・コルリオーネが、お花畑で孫を追い掛け回すシーンがありましたなあ。コッポラ監督は、うまいねえ。このシーンで、コルリオーネは、ころりと死んじゃうんですねえ。マーロン・ブランドの足を大写しにするシーンがあるのですね。デフォルメ的リアリズムとでもいうのかな。日常的な生活感を出しながら、凶悪な人間の最期を描くのは、効果的なんですね。
 その意味で、凶悪な戦闘シーンに、日常的な場面を挿入したのが、キルビル1のクエンティン・タランティーノ監督ですね。殺し屋二人が、格闘する場面に、子どもを送迎するバスがスーッと入ってくるのですね。あの場面は、うまいと思ったなあ。殺し合いばかりで、しょうもない映画だけれど、あの場面だけは、抜群によいですね。

 とはいえ、参院選のゆくえが気になる私でした。☆ちゃんちゃん☆

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2004/07/02

好きです札幌

 3年ぶりに札幌へ行ってきた。なじみの回転寿司店が中古パソコン店になっていた。小さい旅館がつぶれ、駐車場になっていた。ラーメン屋が飲み屋になっていた。また、逆に飲み屋がラーメン屋になっていた。パソコンソフトの会社が撤退していた。札幌ドームに、北海道日本ハムファイターズの応援に向かう若者たち、おばさんたちの姿を見た。
 札幌駅に、大丸のでっかいビルが張りついていた。駅北口の方に、これまた、でっかい高層マンションをつくる計画が進行中だった。でっかいどう、北海道の空が、どんどん狭くなっていく。
 ムネオの姿を見た。ムルアカの姿を見た。ボロボロなダチョウという感じだ。それでも、建設業者や若者には、結構、人気がある。自民候補のポスターを張っていた人が、ムネオのポスターも張る姿が、旭川では、目撃されている。土井たか子氏の姿も見た。50人の聴衆を前に演説していた。志位和夫氏の姿も見た。道理の力、草の根の力が政治を動かすと語っていた。小泉純一郎首相も、7月6日に札幌入りする。
 あと、北海道には、陸上自衛隊矢臼別演習場という、日本最大の演習場があるのだが、防衛施設庁長官が視察に来ている(2日まで)。いま、イラクのファルージャ虐殺をやったアメリカ海兵隊の砲撃訓練を固定化する動きがあるだけに、気になる動き。どうも、自衛隊と米軍が、北海道を軸に、機動性を培い、一体化しようとしているらしいぞよ。お~い、お~い、北海道、大変だどう。

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