2012/07/11

野田政権の冷酷さ

 野田佳彦首相と彼に追随する「政治家」と称する人々、および彼・彼女らをサポートする財務省をはじめとする高級官僚、さらには彼・彼女らを熱烈に応援する財界人は、おそらく人類史的に見ても、その血も涙もない冷酷さにおいて、五本の指に入るであろう。

 まず第一に、東京電力福島第一原発事故が起きて以降も原発再稼働を主導したことである。首相官邸を包囲する国民の声を一顧だにしないのは、人間という名の生き物の資格すら問われるというべきであろう。想像力どころか命の尊さにすら思いが及ばない「クリーチャー」に政治を任せておけないのは必定である。

 第二に、貧困の格差拡大を放置しておきながら、さらにそれを拡大させようとしていることである。消費税増税しかり、生活保護攻撃しかり。生活保護が無駄遣いというのは財界そのままの言い分で、要するに、大金持ちが自らの資産を取り崩したくないだけのことである。その大金持ちの資産たるや、大量の労働者を首切りし、「社員」「営業マン」をこき使って蓄えたカネである。つい最近もIT企業の社員が過労死させられた、いや事実上、働かされすぎによって殺された実例がある。日本の経済成長を支えてきたのは、資本家ではなくて労働者である。労働者をいじめて、何が「成長戦略」であろうか。

 第三に、TPP(環太平洋経済連携協定)および米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイ配備に見られるように、アメリカ政府への屈辱的なまでの隷属である。TPPは、農業のみならず、食料、医療をはじめ商業、工業にいたるまで日本経済の姿、形を完膚なきまでにアメリカ政府の統制下においてしまうものである。日本のJA、医師会がTPPに反対しているのは、「日経」「読売」「朝日」「毎日」などの愚かなマスコミがいうような自己保身ではない。今でも日本の首都をはじめ沖縄や全国各地に米軍基地が居座る日本が、軍事的にも経済的にも完全にアメリカの植民地になってしまうからである。植民地がどれほどの屈辱的な仕打ちを受けるかは、歴史を見れば明らかであろう。墜落事故や緊急着陸を繰り返すオスプレイ配備を断固として拒絶できない野田政権の姿は、「独立国」のそれではない。オスプレイ配備と訓練飛行に反対しているのは、いまや沖縄県知事、山口県知事、岩国市長だけではない。

 では、なぜこのような冷酷な野田政権が登場するに至ったか? この冷酷さは、裏を返せば、日本政府を事実上コントロールする財界やアメリカが、その支配を単純に持続させることができなくなっているからである。

 いままで国民をだまし続けてきた自民党、公明党の不振、および民主党の分裂、破綻。その最たるものが、これまで秘密にされてきた政府情報の流通である。人は、いままで隠されてきたことを知り、生存を脅かされるほど、だまされてきた事実を知れば、現状を変えようとする。原発の「安全神話」も、財界と政府が国民につき続けてきたウソの最たるものである。

 誰も自らの生命を危険に陥れる者に寛容である必要はない。人類史的にも、正当防衛というものは、認められている。抵抗権はある。しかし権力は、自らの言うことを聞かない人間に暴力でもって対処する。それは、関西電力大飯原発の門前の例を引くまでもなく、日米安保条約をめぐるたたかいなどでも明らかである。日本国民の中にある民主主義的意識、つまり本当の「人民主権」を恐れているからである。アメリカ政府は、常に日本人が「反米」「嫌米」にならぬように注意を払っているようでありながら、オスプレイ配備を強行しようとする。欠陥機を量産してしまったボーイング社への「配慮」ばかりが先行しているありさまである。

 大金持ちの利益追求を優先させる者らの集合体が、野田政権の本質である。

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2011/11/01

愚かな知事を持ち上げる愚かなマスメディア

 大阪府知事選、市長選が風雲急である。府知事を任期満了までできなかった愚かな知事が市長選に鞍替えするという珍事。橋下前知事のもとで苦労した府職員の名誉挽回を切に願う。そして、市長選での「彼」の落選を望む。

 その愚かな前知事を、またもや一部のマスメディアが異常なまでに応援している。大阪・よみうり(関東では日本テレビ)のミヤネヤ、東京・テレビ朝日(関西では朝日放送)のモーニングバードである。

 ミヤネヤは、橋下氏の辞任会見を延々と放送。一方、モーニングバードは、赤江珠緒キャスター、コメンテーター(男性)が橋下氏を持ち上げた。選挙が間近であるだけに、公職選挙法違反の疑いも濃厚である。こんな番組を見るのは閑人だけかと思うが、意外にも影響力があるので、無視できない。

 他の候補者名も番組で紹介したというアリバイは取り繕っているのだろうが、赤江氏に至っては、「過去の大阪府知事の名前が思い浮かばない」とまで言って、橋下氏を持ち上げた。兵庫県明石市出身とされる赤江氏が府知事の名前を知らないのは当然か。しかし、赤江氏は、歴代の大阪府知事を露骨に侮辱する発言をしていることすら気づかない。鈍感さ、ここに極まれり。黒田了一氏がご存命であれば、赤江氏の発言に、さぞ怒り、抗議したことであろう。立派な侮辱罪である。公正・中立な顔をして、橋下氏を応援したこれらの番組キャスターおよびコメンテーター(見識のないコメントばかり)の犯罪性をよく記憶しておかねばならない。

 宮根氏も赤江氏も好感をもたれている人物であるだけに罪深い。橋下氏が米軍基地を関空(関西空港)に誘致しようとしたことなど、頭脳から抜け落ちているのではないか。彼らは、米軍基地の存在が沖縄でどれほどの犯罪を巻き起こしてきたかも知らないのだろう。少なくとも、橋下氏の「犯罪性」や米軍の犯罪に無知・無恥なのなら、2人ともテレビ業界から去るべきである。

 奇しくも橋下氏の当選バンザイシーンが放映されて、「彼」の両隣に自民党元国会議員(中山氏)やら公明党現職国会議員(白浜氏)やらがうれしそうに万歳している。自民党、公明党の応援を受けて当選した橋下氏。なるほど、「小泉改革」の地方版としての橋下「改革」だった。ファシズムならぬ「ハシズム」の暴走を止めなければならない。しかし、どうやって。大阪府民、大阪市民の良識に期待するほかはない。橋下氏に連なる勢力を当選させないことを。

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2011/10/21

行き行きて重ねて行き行く

 中国が戦争か何かで日本を攻撃したことはあるだろか。いや、一つもないよ。右翼のみなさん、説明しておくれ。ヨー。

 かろうじて日本に攻め入ってきたのは、モンゴルで、その後、日本が戦争を仕掛けたアメリカで、ソ連で。逆に朝鮮半島に攻めていったのは豊臣秀吉の手下のご一行様。その後も台湾、朝鮮を植民地にし、中国東北部を起点に侵略していったのも能天気な日本様だよー、ヨーヨー。

 俺たちが使っているこの漢字、どこから来たって感じ。そんなこと忘れちまいなって言う人、感じ悪いって感じ。
 ヴィエトナムでも昔、昔、その昔、漢字使っていたっていうじゃない。ヨー。

 朝鮮が日本に挑戦してきたって、それはちっぽけな挑戦状。太った将軍様とやせた国民よ、拉致家族を日本に返しなよー、埒が明かないよー。ヨー。
 朝鮮王妃を殺した国は、どこだか知ってるかい。悲しいけど、残念だけど、それは日本様だよー。ヨー。

 いまさらアメリカの「属国」になりきってどうするの。ごはんが食えなくなりー、まずい牛肉てんこ盛り。アメリカ様の食い残しのパンなんか、いらねえよー。ヨー。

 TPP、俺のおなかもティー、ピー、ピー。心電図もティー、ピー、ピー。保険あてにならなくてティー、ピー、ピーだよー。ヨー、ヨー。仕事もないのに、なんでまた、アメリカに尽くさないといけないのかよー。ヨー。

 大金持ちは使い切れない金もって、どこへ行く、あーどこへ行く、ちゃんと税金払いなよ。貧乏人を脅かしてばかりいないで、金回せ。金は天下の回り物。あー、金よこせ。おしまい。

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2011/08/12

松根宗一

 松根宗一(まつね・そういち、1897年4月3日―1987年8月7日)
 愛媛県宇和島市生まれ。1923年、東京商科大学(現一橋大学)卒業後、日本興業銀行に入行。

 1932年、電力連盟書記長。その後、理研工業副社長、理研ピストンリング工業会長に就任すると同時に東京電力顧問に就任。

 1955年には電気事業連合会専務理事、1959年には電事連副会長。
 1956年の日本原子力産業会議(現日本原子力産業協会)発足当初から常任理事として参加。

 1962年から1973年まで日本原子力産業会議副会長を務めた。
 1970年から経団連エネルギー対策委員長。1984年から通産省総合エネルギー調査会原子力部会長を務めた。1967年、勲二等瑞宝章、1976年、勲一等瑞宝章。
 このほかの肩書として日本原子力発電会社取締役、日本原子力産業会議・核燃料問題懇談会座長、原産・総合企画委員会初代座長、原産・政策会議の議長、原産会議顧問、アラスカ石油開発会長、大同特殊鋼相談役、科学技術庁顧問など。

 自民党の田中角栄氏と「深い交際」(田中角栄「私の履歴書」日本経済新聞社、1966年)があったほか、核燃料サイクルの推進、電源3法の制定や東京電力柏崎刈羽原子力発電所の建設に深くかかわった。原産会議初の海外視察に参加したほか、戦後日本の原子力政策のほとんどに関与したといっても過言ではないと思われる。

 ※以上の情報は、原子力産業新聞、日外アソシエーツの『ジャパンWHO was WHO 物故者事典1983~1987』などをもとに作成した。
 いまだ松根宗一氏についての評伝がないのが、まったくもって不思議である。
 宇和島出身ではほかに、松根姓の歴史上の人物がいる。

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2011/06/01

おとなしい日本人

 またぞろ消費税10%への増税提案である。原子力発電所を推進して、まったく反省しない与謝野馨大臣によって、荒っぽく言えば、「貧乏人」が増えている時期に、「貧乏人」から金を巻き上げようという話である。時の政府やマスコミが、大企業から適正な税金をとるという話には、けっして向かわないところに注意しなければならない。「金持ち」は、消費税率が上がっても、まったく生活に苦労しないのは、誰でもわかる理屈であり、事実である。金をとられても困らない人から徴収するのは、普通の人間の感覚なのだが、この「普通の人間」の感覚を「金持ち」は忘れてしまうらしい。そして、その「余り金」の出所が、額に汗して働く人たちの手に渡るはずのお金をごまかしているとすると、ますます「金持ち」は、税金を払う必要がある。「貧乏人」は、もっと腹をたててよいはず。

 以前にも触れたとおり、「大金持ち」(大資産家)は、個人が一生のうちに「消費」できる以上の「資産」を保有しており、本来、社会に循環する資本を堰き止めている人たちなのである。金は天下の回りものという名文句があるように、お金が循環することを留め置くことは、それだけ「貧乏人」の手に金が渡らないようにしているのと同義である。

 いまだに税金の無駄遣いがある。その象徴は、政党助成金である。なぜ政党を税金で援助しなければならないのか。まったくおかしな話である。アドルノ的筆者が支持していない自民党や公明党、民主党、みんなの党などに税金が振り込まれている。それで、これらの政党に抗議しようとすると、誠に傲慢な態度で返答をするのである。自分たちが税金の施しを受けていることに鈍感で、有難味すら感じない連中に、どうして税金を入れる必要があろう。国民から税金をもらって、国民の望む方向と違う政治をしているのなら、それは、まさしく詐欺というものだろう。政党助成金をもらっていないのが日本共産党だけしかない事実を一つとっても、日本の「政党」のなかで、まともな政党がどこかは明らかだろう。既成政党批判を叫ぶ人たちは、いま一度、この事実を直視した方がいい。

 あの「名古屋市長」・河村某の口から、政党助成金廃止の言葉を聞いたことがない。毎度、毎度、偉そうに、税金じゃ、税金じゃと騒ぎ立てる人たちほど、政党助成金を忘却する傾向がある。また、大阪府の橋下某知事の口から、政党助成金廃止の話を聞いたこともない。なるほど、これは「民度」を反映しているのだという人もいるだろう。しかし、現行の選挙制度が「民度」を本当に反映できる仕組みであるかどうかも、よく吟味される必要がある。有権者との議論なしに、一方的な宣伝によって、有権者の代表を選んでしまえるシステムは、「思考停止」の「民主主義」と呼ぶほかない。

 「思考停止」に陥らないようにするには、閑が必要である。余暇である。忙しく「搾取」されているうちに、人間の一生は終わる。貧乏閑なし。閑があるうちに、資本が社会にきちんと循環するシステム、「思考停止」に陥らないような政治にしていく必要がある。誰かに踊らされるだけでは、つまらないのではないか? たまには、小説を読み、映画、演劇、音楽、美術、芸術にふれる機会をもちたいものである。むしろ、権利として、積極的に、そういう時間をもつべきだと思う。

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2011/05/25

原発推進なんて、もはや論外

 いまさら原子力発電所を推進するなど、考えにくい状況なのに、愚かなナオト・カンは、原発の再稼動をあきらめていない。これは、ナオト・カンだけでなく、民主党、自民党、公明党にも共通する。

 東京電力福島第1原子力発電所の事故の現状は、巷間伝えられているよりも非常に深刻。3基が同時に炉心溶融(メルトダウン)している状況は、人類が直面する初めての経験である。事故当初は、ブラックボックス状態があったとはいえ、専門家や技術者たちのなかに炉心溶融を指摘していた人たちがいる。やはり、政府と東電の密議によって、多くの「国民」はだまされてきたというべきだろう。飯舘村の人々への避難指示は遅すぎる。これもすべて政府の責任以外のなにものでもない。将来の集団訴訟に向けて備えるべきだろう。

 しかし、集団訴訟といっても、原発を推進してきた歴代自民党、公明党政権や東電やナオト・カン、国民新党や社民党(この党はウソツキである)が何か罰を受けるわけでもない。「国民」の税金で健康被害(内部被曝)などを手当していくことになる。原発災害の責任者を免罪するシステムについて、違和感を持つ。今回の原発災害では、マスメディアに登場して原発の「安全神話」をふりまいた人々を含めて、厳しく裁かれないといけないと思う。戦争犯罪に近い構図があることを見逃すわけにはいかない。

 何か、「国民」が原発を「許容」してきたのだから、原発災害を問う資格がないかのようにいう狂った人たちがいる。原発に反対し、その安全性に一貫して警告を発してきた人たちを無視し、嘲笑う態度には、激しい憤りを感じる。

 復旧・復興とあわせて、原発の廃炉に向けた運動を活発化させなければならない。まだ次の大震災が起こる可能性があるし、さらに破滅的な原発災害も起こりうるからである。

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2011/04/03

大震災と都知事選

 こんなに広範囲に放射性物質がまきちらされるヒドイ事態になっているのに、いまだに原子力発電所に「幻想」を抱き、推進をあきらめていない石原慎太郎は、あきらかに東京都知事にふさわしくない。都民の「安全・安心」など、本当は何一つ考えていないことが、石原の原発への考え方に集中的に表現されている。石原は、防災対策もまるで持っていない。帰宅難民への支援で、東京都の対応の遅さ、貧弱さを痛感した人々は、膨大な人数に及んでいるのだから、もう、そろそろ「石原以外」という選択にならざるをえないのではないか。ついでにいえば、芥川賞の選考委員としても石原はふさわしくない。

 4月3日(日)放送のフジテレビ番組「新報道2001」での石原の発言を視聴すれば、以上のような感想に至る。さて、「石原以外」で、どのような候補がいるのか。東京都の政治は、首都圏の政治でもある。都知事選の結果は、ただちに神奈川、埼玉、千葉、山梨、群馬、茨城、栃木の人々の生活にも影響する。これらの地域は、放射性物質が蓄積されている地域でもある。「アドルノ的」筆者の背広の放射線量を測ったら、なんと4マイクロシーベルトと出た。ちゃんと放射性物質は蓄積されているのである。3月11日も都内を歩き回ったし、翌日も外出。福島第一原発で水素爆発が起きた日も外に出てしまった。外に出ざるをえない。普通に歩きまわり、頻繁に外出していなくても、首都圏で通勤しているだけで、この通りである。空気中の放射線量など、いくら示しても意味はない。あれは電力会社が放射線について何も知らない人々向けに、いわば「安全性」を誇示するために、気休めに発表しているだけである。

 テレビ局は、電気がないと映らないのだから、まさに東京電力の言うがままである。「直ちに健康に影響は出ない」というくだらないフレーズも聞き飽きた。フジテレビの別番組「知りたがり」では、プルトニウムの危険についても率直に指摘しないエセ学者がいた。発言しながら顔がこわばっていたところが正直だったが、言行不一致は否めない。


 人間には、健康な人もいれば、健康でない人もいる。人それぞれなのだ。少なくとも、チェルノブイリ原発事故による子どもたちへの健康被害は確認されているのだから、放射性物質の拡散で、安易に「安全」を宣伝するのも無責任というものだろう。放射線の影響を受けやすい子どもたち、高齢者の体調がどうなるのかも、人それぞれ。しかし、いまの事態が3年も続けば、10年後、20年後には、子どもたちに深刻な影響が出てこないと誰が証明できよう。もし現時点で「影響がない」ということを平気で言う人がいたら、その人こそ「間違った情報」の発信者だろう。「間違った情報に惑わされないようにしよう」とCMで言わせているが、今現在、「正確な情報」もまた少ないのである。原発を推進してきた自民党、財界、とりわけ東京電力、エセ学者を擁護するような「情報」にこそ注意しなければならないだろう。

 フジテレビの番組で、脱原発と表明したのは、小池晃と渡辺美樹の2人で、石原と東国原は原発依存を改める姿勢を表明しなかった。みごとに「自民党」型政治と自分たちが親戚関係にあることを石原と東国原は示してくれた。少なくとも、こういう明々白々な原発被害にあっているときに、なおも原発にしがみつく愚者を選ぶというのも、自らの首を絞めるような行為になってしまう。

 しかし、なんたる失策か。ワタミ氏は、別の政策で、なんと「石原さんに賛成です」と言っているではないか。石原が勝った場合を見越しているのだろう。「商売人」だね。こうなると、消去法でも、小池晃しか都知事にふさわしい人物はいないということになる。ま、非常事態だから、小池晃を都知事にするという選択も悪くないと思うが、どうだろうか。

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2011/03/15

大震災と人災

 東北関東大震災(この呼称もいまひとつ事態をとらえていない気がするが)がもたらした大惨事への対処については、当然のことながら、緊急性を要する。

 東北の人たちには、何をさておいても、水と食料、安心して眠れる場所の確保というのが、大震災に何度も見まわれている「日本」にとって常識である。冬なので、毛布などで暖をとる必要もある。今回は、三陸大津波の教訓をふまえた宮城のあの有名な巨大堤防を乗り越えて大津波が押し寄せたのだから、未曾有の大災害であることは間違いない。過去の経験が通用しない面があることも事実である。命を一番大切にする政治の実現が求められている。

 家族を失い、住宅および家財の一切を失った多くの人々の心身に対する打撃は計り知れない。マスメディアの一部記者の無神経な質問に被災者は、さぞ腹立たしさを覚えていることだろう。命がけで救援活動を行っている人たちへの応援も必要だろう。2次災害の危険と常に隣り合わせであることも知っておかなければならない。

 何が優先されるかといえば、大津波にあった人たちを救援することに違いない。同時に東京電力福島第一原発および第二原発の緊急事態、東北電力女川原発の事態(こちらの方はどうなったのか?)が救援活動に困難をもたらしている。政府の動きが鈍い原因の一つには、原発事故への対応に追われている現実がある。おそらく、菅政権は、早い段階から原発事故の深刻さについて気づいていた節がある。にもかかわらず、東京電力まかせにして対応を遅らせた可能性がある。その例証は、異常に早々と米軍への支援を求めたこと、および、多くの問題を抱える「輪番停電」を深い思慮もなくあっさりと了承したナオト・カン首相の姿勢に表れている。東電言いなりの「人災」である。

 「人災」たる側面は、首都圏のテレビが「輪番停電」の告知に忙しいことである。これによって原発事故の報道が減り、被災地の状況を伝える報道が減り、事実上の「情報統制」が敷かれている。本末転倒とはこのことである。

 東京電力のホームページ、電話番号など通じないものを紹介して事足りるとするNHKの愚鈍さ。原発の専門的な用語を乱発して、どんな危険な事態が起きているかを端的にわかりやすく伝えない東京電力の厚顔無恥。数え上げればきりがないが、東京電力こそ真っ先に「被ばく」の事態について義援金を出して、街中を巡回して、おわびすべきだろう。原発が地球温暖化対策になるなどと言い、海外にトップセールスをするとしてきた民主党政権は真剣に反省すべきだろう。財界は、法人税減税の要求を撤回し、内部留保を投じて、大震災の救援を応援すべきである。国民の負担が増えることには熱心な日本経団連の動きは、大震災になると、途端に鈍くなる。自民党を通じて「増税」をけしかけている恥知らずな人々がいることを、この際、告発せねばならない。被災者に「増税」しようとする冷酷な人たちが自民党である。よく覚えておこう。

 また、このどさくさにまぎれて「高校無償化」などを廃止しようとする公明党の非情さについても批判しておかなければならない。公明党は、「高校無償化」を廃止すれば、多くの被災者にも経済的負担がのしかかることに気づかないのだろうか。自民党や公明党が、貧困対策にはとても不熱心な政党であることを改めて確認したい。

 「人災」をつくりだしている原因の一つは、「有事」訓練として今回の非常事態を活用しようとする邪な意図が日本政府に見うけられることである。都内で早くから退社して帰宅しようとしていた人々を、JR東日本などの言うがままに留め置いて、電車を止めて、わざわざ「帰宅難民」にし、狼少年的な停電予告によって擬似「被災者」(停電によって命が危うくなる人たちの存在を無視)をつくりだしている。これによって、本来ならば復興活動に貢献できるはずの人たちの活力を疲弊させ、生活を危うくする悪循環を生み出している。岩手、宮城、福島に親類縁者をもつ人たちは、いち早く、連絡をとり、行動したいはずである。

 物流と通信手段の状態や確保がどうなっているのかという情報も非常に少ない。緊急車両がどの道を通って、どこへ支援にゆけるのかもしっかりと示すべきだろう。
 
 ボランティア担当補佐官(本当に馬鹿げている)なんて、つまらない政治的な欺瞞の臭いがする一時しのぎの策動はやめて、被災地が何を必要としているか、どこに応援が足りないのかをちゃんとマスメディアを通じて示すことが先決だ。とにかく巨大な震災には、それだけ巨大な対策が求められる。原発に頼ってきた生活を改める必要もあるだろう。

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2011/02/22

映画「平成ジレンマ」 

 戸塚ヨットスクール事件のその後を追ったドキュメント映画「平成ジレンマ」(東海テレビ制作)を見た。

 この映画の上映が始まる直前まで、映画館の座席の具合がほどよくて、眠くて仕方がなかったが、本編が始まって、目が覚めた。あの記憶に残る「体罰」と称する暴力の記録映像が挿入されていたからである。
 
 戸塚宏氏は、服役後も健在で、戸塚ヨットスクールは、いまも愛知県美浜町にある。映画のタイトルに、齋藤監督の考えがこめられているのだろう。事件自体は「昭和」に起きたが、「平成」のいまも「問題児」をめぐる教育の「ジレンマ」は未解決ということらしい。戸塚ヨットスクールを存続させる社会を問う内容といってよいだろう。

 「啓蒙」されたのは、ヨットスクールの建物屋上から飛び降りた女性が背負っていた事情である。彼女は、精神神経科で薬を処方されていたらしい。ひきこもりがちで、病気を抱えた女性を受け入れた戸塚氏にも逡巡はあったようである。彼の苦悩する姿をとらえたのは、この映画が初めてではないか? マスメディアの報道陣が戸塚氏に的外れな質問を繰り返す様子は、戸塚氏に嫌悪感をもつ者にも、異様だと思えた。この映画がきわめて重いテーマを取り上げ、「事実」に迫ろうとした迫力は、この場面から伝わってくる。

 しかし、きわめて挑発的な映像を見るにつけ、いくつかの疑問も湧いてくる。戸塚氏は、「事件」後、一応、「体罰」を封じたらしい。ところが、講演会などで、いまだに「体罰」の教育効果に自信をもっているような発言を繰り返している点である。「体罰を禁止した結果、どうなったか」と開き直り気味である。ムービーカメラのレンズが向けられていないところで、いまも「体罰」があるのではないかという疑念が残る。現にカメラは、ヨットスクールに入寮している青年、子ども同士の間で、小突いたり、暴言を吐いたり、跪かせたりする暴力を映し出していた。温かな雰囲気が感じられない。脱走する若者が出るのも当然というべきであろう。

 戸塚ヨットスクールに子どもを連れてくる親は、貧乏ではない。毎月11万円を払い、入学に300万円を超えるお金を用意せねばならない。この映画では、子どもたちに喝を入れる教員側の証言が少なく、戸塚氏本人に真相をもう少し語らせてほしかった。あるいは、あまり本音を語らない人なのかもしれないが。やはり教育に「体罰」は必要なのかという絶望的な見解に誘導しかねない側面もあり、戸塚氏を応援するグループに迎合するような印象も免れない。

 あるいは、戸塚氏本人の口からしか問題解決の道を語らせないところも、この映画の訴求力を狭めているように思う。カメラの前の子どもたちは、意外にも素直で快活で、陽気で明朗ですらある。なぜ親は戸塚ヨットスクールに子どもを預けるのか。ある親は狂気に近い凄まじい言葉を述べて、子どもを入校させた理由を明かしている。本当だろうか。子どもは、親を選べない。それに引き換え、指導者側は疲れた様子で、沈鬱な表情で、暴力的な言動をとる場面も決して美しくない。それだけ彼らの苦悩も深いということなのだろう。

 とはいえ、当然のことながら、表だった「体罰」をふるうことは、戸塚ヨットスクールですらできなくなっている。時代は変化したのである。それでも、子どもをめぐる日本の環境は改善されたとはいえない。最低でも、子どもと向き合う親の生活を豊かにすること、長時間労働をなくすことは急務と言いたい。

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2011/02/01

本多勝一集全30巻、驚異のジャーナリスト

 本多勝一集(全30巻)の題名および収録内容の一部(17巻分)は当初の計画から変更されている。第1回配本は第2巻「旅立ちの記」(?)、最終回配本は第28巻「アムンセンとスコット」。

 戦後、洋の東西を問わず、これだけの著作を世に送り出したジャーナリストの例を知らない。地球的規模で歩き回り、歴史学への寄与(史料・資料的価値ある記録作成)も大きい。梅棹忠夫、今西錦司らに学び、薬剤師の資格をもちつつ、新聞記者になり、定年後も山登りをしながらジャーナリストとして活動を続けている。とくにその侵略戦争批判の取材、言論活動は鋭い。

 探検家としての側面、生物学者としての側面、民族学者(文化人類学)の側面、歴史家の側面、言葉とくに日本語研究者としての側面、社会学者としての側面、政治学者的、漫画・画家的な側面、生態学、遺伝学など横断的な側面をもつ。文明の生態史観的ジャーナリストと呼ぶべきか。とにかく研究されるべき余地は、まだまだある。

①幼年時代→大地球遠征隊
②旅立ちの記
③今西錦司論→貧困なる青春日記
④第二大海丸航海日誌→探検部の誕生
⑤憧憬のヒマラヤ→ヒンズーラージ探検記
⑥知床半島
⑦きたぐにの動物たち
⑧北洋独航船
⑨極限の民族
⑩戦場の村
⑪北爆の下
⑫アメリカ合州国
⑬ベトナムはどうなっているのか→ベトナムの戦後を行く
⑭中国の旅
⑮アムンセンとスコット→美しかりし日本列島
⑯カンボジア大虐殺
⑰殺される側の論理
⑱職業としてのジャーナリスト→ジャーナリスト
⑲日本語の作文技術
⑳ルポルタージュの方法→調べる・聞く・書く
21天皇の軍隊→愛国者と売国者
22子供たちの復讐→子どもたちの復讐
23南京への道→南京大虐殺
24そしてわが祖国・日本→地上最大の競走→大東亜戦争と五〇年戦争
25日本環境報告
26エスキモーの民話→貧困なる精神→アイヌ民族
27貧困なる精神→山登りは道草くいながら
28五〇歳から再開した山歩き→マゼランが来た→地上最大の競走(地上最大のレース)→アムンセンとスコット
29マゼランが来た→ドイツ民主共和国
30ドイツ民主共和国→ソビエト最後の日々

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